何が言いたいのかというと、
古今東西を問わず最も重要視される”実学”や”実技”を伸ばす為の方法論は
一つじゃないでしょ、そういう話でね。

人間には個性があるんだから、各々の人間に適した鍛錬方法というのは
一つじゃないんです。

棒にぶら下げた東大入学という文字が書かれたバナナをとるために
必死になって朝から晩までぴょンぴょん飛び続ける鍛錬が合う人いれば
合わない人もいる、そういう事ですね。

私にはそういう非論理的で脅迫的な動物に見世物芸を仕込むような
”ちんどん鍛錬”は合わないし、つまりそのような試験を受ける事自体が
私にとっては悪影響しかなかった、私は大学を卒業したあたりで
ようやくその”大事な事”に気付いたのです。

鍛錬というのは自分に合った形で実力を伸ばすためにやるものです。
では実力とはなんでしょう? それは東大模試でいい成績を取る事ではありません、
実際に対人相手で論理構造のしっかりした意見を言って
多くの人に何を伝えるスキルであり、何かを生み出せる才能であり、
そしてスーパーグレートゴールで点を取る事であります。

皆さんもいい加減に目を覚ましましょう、この偽日本国は教育からして
全てが朝鮮儒教に汚染されていておかしいのであり、そして日本文化的ではないのです。