【史料】邪馬台国の女王・卑弥呼の記録も 大野城心のふるさと館開館3周年記念特別展「筑紫の至宝 〜国宝 翰苑(かんえん)の世界〜」 [ごまカンパチ★]
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https://news.allabout.co.jp/articles/p/000000089.000027592/
大野城心のふるさと館に初めて国宝がやってくる!
大野城心のふるさと館では2021年11月6日(土)〜12月19日(日)まで大野城心のふるさと館開館3周年記念特別展「筑紫の至宝 〜国宝 翰苑(かんえん)の世界〜」を開催します!
https://prtimes.jp/i/27592/89/resize/d27592-89-af125282cf5c93f6b0de-0.jpg
本特別展は、地域の至宝を取り上げる特別展です。
太宰府天満宮が所蔵する国宝『翰苑(かんえん) 巻第卅(まきのだいさんじゅう)』の世界観を掘り下げ、そこで紹介されている末盧国(まつろこく)、伊都国(いとこく)、奴国(なこく)といった
倭国の国々とともにご紹介します。
☆国宝『翰苑 巻第卅』とは?
『翰苑』は、唐の張楚金(ちょうそきん)が記した書物で、さまざまな歴史書から匈奴(きょうど)や倭国など、中国周辺の国々についての記述をまとめた事典です。
中国では既に原文・写本共に失われていますが、世界で太宰府天満宮にのみ、平安時代に作られた写本、国宝『翰苑 巻第卅』が現存しています。
本文につけられた詳細な注釈には、今はもう残されていない歴史書からの引用も多いため、日本やアジアの歴史を知る上で大変貴重な資料です。
倭国については、邪馬台国の女王卑弥呼や倭の五王といった有名な人物についても取り上げられており、斯馬(糸島市志摩)の地名のように、
『翰苑』にしか記録されていないものもあります。
■展覧会情報
【名称】大野城心のふるさと館開館3周年記念特別展「筑紫の至宝 〜国宝 翰苑(かんえん)の世界〜」
【会期】令和3年11月6日(土)〜12月19日(日)
☆国宝展示期間 令和3年12月7日(火)〜19日(日)(左記期間外は複製のみ展示)
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌平日)
【会場】大野城心のふるさと館3階企画展示室
※続きはソースで 前方後円墳がある都道府県は下記の通り
奈良県
大阪府
京都府
兵庫県
埼玉県
意外にもたったの5府県しか無いのである 邪馬台国は奈良県にありました。
これは動かしようのない事実 こんなことより小室佳代が逮捕されるかどうかのほうが大事 よこしまな馬の踏み台の国
こんな国名をつけていいのか
昔から中国はおかしな国だった 邪馬臺(台)國(国)
魏 jia ra əї ək
実はジャカルタあたりだったんじゃねw >>2
うそ言うな、四国にも九州にも関東にもあるだろ。 まだ邪馬台国九州説信じてるのかよ
懲りない連中だな つうか、也って文末だろ?
そんな間際らしい漢文書くか?
也で区切って次の文だろ。
名曰卑弥呼。宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帯方朝見。其後貢聘不絶、及文帝作相又數至。泰始初、遣使重譯入貢 名曰卑弥呼。宣帝之平公孫氏也。
そのまんまじゃん
卑弥呼=公孫氏。日本人というか倭国人。 >>2
東北から九州まで
全国で5000個あるんですが… >>2
日本で前方後円墳が一番多い県は千葉県
最大の古墳群は宮崎の西都原
関西はど田舎だった >>14
関東人より関西人がどの分野でも圧倒的にトップにいるし、
昔から関東人のレベルはかなり低いんよなw >>2
渋谷のNHKにもかつてあったとブラタモリでやったばかりだろ 明治から昭和のアホな高度成長期にかけて多くの古墳が壊されて副葬品も散逸したからな
海外にも多く流れた >>9
畿内説なんていまや日本史板で完全論破されて虫の息だぞw
いまどき畿内説信じてたら狂人扱いされる >>20
実は考古学界はそんなもんどうでもよく、一般人に目を向けてもらいたいから出来レースしてるだけ 翰苑の記述だと邪馬台国は完全に北部九州なんだよな
まあ実際そうだったんだろうけど >>2
前方後円墳が無いのは
北海道、青森、岩手、山形、高知、鹿児島、沖縄
他の都道府県にはある。 >>18
神社の鳥居の起源は、アメリカ西部の牧場
の門というくらい、いい加減な説 >>7
この翰苑(かんえん)という書物では、「邪馬嘉國」になってるんだぜ >>18
こういう中国人工作員がほんとに増えたよなぁ もともと九州北部の円墳に祭祀場の付いた形態が前方後円墳の起源だろうね
奈良説では必死で否定するけどw 朝鮮半島からの渡来人が1番多かったのは滋賀県と奈良県だったので
奈良県人はほぼ純粋な朝鮮人と言える 縄文人は北海道から沖縄までと
ロシアの一部とアメリカを支配していたぞ 古代 東海を超えた大韓が 小倭列島を平定していた痕跡ですね つか邪馬台国論争世代超えて江戸時代からいつまで続けているのだw
魏志倭人伝を書いた中国人の学者入れて共同研究した方がよくね そうなんですねえ
日本の国宝だからといって日本人が、縄文弥生人も含めて、
こさえたものばかりが選ばれているわけではないんですなあ。
漢籍とかね、まさに>1のように日本の国宝として選ばれているんですなあ。
そういや、外国発の国宝には西欧の横文字のそれもあるんだよ。
「ポルトガル国印度副王信書」なんつってねw 趣深い。
まあそれにしても国宝って前近代、古代中世の古物とか
大変多いんですけど漢籍を筆頭に見ているとね、
仏像でも仏典でも墨蹟でもね、海外の先進文物を
いかに吸収してきたか、これが実によくねえ、わかりますねえ。
もちろん偉大なる大韓や大中華といった東洋の大国ですが。
そういうわけで一衣帯水の古今ともに先進国である兄の国
偉大なる大韓と和親し、韓日合邦する必然性がわかるよね。
だってそうだろう? 邪馬台国は偉大なる大韓にあったんだからwww 邪馬台国論争は現実的には畿内説で決着済み
九州説とか昭和時代の遺物
今は平成でもなく令和の時代 >>29
翰苑 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%B0%E8%8B%91
対句練習用の幼学書として書かれたとされている。
誤字や脱文が非常に多く読みにくい。 >>47
負け犬畿内説おつw
日本史板で惨敗したからってこんなところで何も知らないN速民に洗脳工作かよw
哀れよのう >>47
日本全国に「前方後円墳」があるが、それぜんぶ「忌部一族(阿波勢力)」が進出した証拠だから。
大和盆地もその一つ。
そこのところをよく理解してから、発言するように。 わははははは @阿波 九州説、というか九州方面の珍説群は
山ほどある珍説を絞るなり有力な遺跡を見つけるなりしてからまた来てね >>51
>有力な遺跡を見つけるなりしてからまた来てね
畿内説のお前もな。 @阿波 俺が弥生時代の権力者だったら巨大なオマンコ型古墳を作らせてそこに葬られるようにするわ 卑弥呼は呪い師だから国内の村々を転々として豊作祈願や雨乞いの儀式をしたり病人を治していたのかもしれない
邪馬台国というのは卑弥呼婆さんに帰依してる村の集合体で実はとんでもなく範囲は広かったのかもしれない
魏から使者が来るということでそれに合わせて巡回ルートを九州で謁見できるように調整したのかもしれない(適当) 小田先生が第一線を退かれたらしいが次は誰が仕切るのか >>56
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』 『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
大麻といえば、阿波忌部。
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。 @阿波 >>55
畿内説はもはや成立すらしていない
情弱か知恵おくれか嘘つきしかいない >>56
卑弥呼=日御子or日巫女こそが天照大神のモデルでブッダやキリストみたいな神道の教祖とも言える存在だったのかもしれない >>61
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」。
御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。 @阿波 なんとも
「後漢書曰く、倭は韓東南大海の中に在る。山島に依り居す。
およそ百余国。武帝が朝鮮を滅してより使訳が漢に通じるのは三十(=卅)余国。王を称す。
その大倭王は邪馬臺に治す。楽浪郡境はその国を去ること万二千里。その地はおおよそ会稽(東冶)の東にあり、朱崖、儋耳と相近い。」
「魏志曰く、倭人は帯方東南にある。
倭地を参問すれば、孤立して海中の島々の山(魏志は上)にあり、あるいは離れ、あるいは連なり、巡り巡って五千余里ほどである。
四面はともに海に極まる。営州より東南、新羅を経てその国に至る。」
「魏略曰く、帯方より倭に至るには、海岸に従い水行する。
韓国を過ぎ(魏志では歴)、枸耶韓国に到る。
七千余里。始めて一海を渡る。千余里。対馬国に至る。
その大官は卑拘といい、副は卑奴(母離)という。
良田はない。南北に市糴している。南に海を渡り一支国に至る。官を置く。対馬と(与対馬)同じ。土地は三百里四方。また、海を千余里渡って末羅国に至る。
人は上手に魚を捕る。うまく水に浮き沈みしてこれを取る。東南五百里、伊都国に到る。
万余戸。爾支という官を置く。副は洩渓觚(魏志では泄謨觚)、柄渠觚という。その国王は皆女王に属している。」 >>47
畿内説のほうが昭和だろ
「北九州に遺跡なんてないやんけードヤー」
してたら、
吉野ヶ里見つかって腰を抜かしてんだから
むしろ畿内にこそ遺跡が恐ろしくない >>64
動かぬ、倭国(阿波)の決定的証拠 : 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波 > 7世紀末、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)9月28日の条であり、
常陸国・備前国・伊予国・日向国、そして伊勢から朱砂(辰砂)が献上されている。
決定打にはならんね
特に伊予と日向はあるが、阿波なぞ出てこない >>64
吉野ヶ里wwwwww
やっぱり昭和で時計が止まった爺さんだった >>66
>7世紀末
出直してこい!
動かぬ、倭国(阿波)の決定的証拠 : 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波 邪馬台国がどこにあったというより西日本ほぼ全域が邪馬台国だったんじゃね
別にこれといって国としての支配体制やインフラなんかなかったけどカリスマ教祖卑弥呼の熱狂的な信者が各地で大勢を占めて卑弥呼がこう言ったとあるとなんでも言うことを聞いたから実質的には国のような集合体になっていた
卑弥呼自身もシャーマンなんだからお付きのものとともに村々の招聘に応じて各地を転々としていた可能性がある 和歌山に丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)という神社がありますな
鎮座する地が伊都郡 創建が約1700年前といわれてます
これは何か卑弥呼や東遷と関係ないやろか 🇯🇵日本語と倭国語は違うじゃん?
🇯🇵日本語は一字で1つの意味(👀め、🤝て、👌よ、🏃♂く)
絵文字に近い。
二重母音とかもあったんじゃ?
倭国語はハンガリー語似?! 太宰府天満宮は令和の典拠、万葉集梅の歌序が書かれた場所やね
先人の思いは大切にしないとね
天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封□(穀の禾の部分が糸)而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以□(手偏+慮)情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠 「変体漢文については、それが本当に訓読されるべきものであった
かという点が時に問題とされることがあるが、少なくとも単語レベルでは訓読に従って
書かれたのであることが、改めて確認された」 歴史上に出てくる最初の女性が、「○○こ」で終わる名前で良かった
これが例えば「ひみお」だったら男性だと勘違いする人が多かっただろう >>69
西日本一帯+関東仙台平野+が「倭国(倭人がいる地域)」で邪馬台国は
「都」だな。 「こ」(子)は必ずしも女性を表すわけでもないんやで
例 小野妹子(男性) マツコ(男性) >>79
倭は民族や地域で(倭国というのはもっと後)、国はあくまで邪馬台国(その他倭の領域内にあったいくつかの国の名前が出てくる)
常識的に考えたら都市国家やせいぜい近隣の村いくつかの集合体だと考えがちだけどこれが教祖を支柱とした宗教による結束なら実は西日本ほぼ全域が邪馬台国としてまとまっていたというのもありえなくはないのでは?
魏も邪馬台国の当時の辺境部族の集合体としては常識破りのバカでかさに驚いて味方につけておかないと不味いと考えて金印を送って寄越したのだろう >>67
>およそ117ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られる。
1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された。
現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園である。
昭和終わる二年前だね
雑魚じゃ無理だった >>81
ない
あるとしたら北九州から奈良大和まで版図にしてないといかん
ところが都までの日数が近すぎる
だいたい、吉備を大和政権が平らげたのが吉備津彦命の話になるんで、
どうやっても雄略天皇より200年も前に征服してると辻褄がまったく合わない
さらに言えば出雲国や吉備国の記載がまるでないのも変だろ
日本書紀が嘘か、魏志倭人伝が嘘か >>79
魏志倭人伝の「都」は動詞だから名詞の「みやこ」じゃないよ
「都」の動詞としての「すべる」の意味
邪馬台国は女王のすべる所
つまり、邪馬台国は女王の治めている領土って意味だよ 山門って書いてやまとって読むところがこの近くにあるんだよね そもそも邪馬台国自体あったのか?こっちに名前の痕跡がなさすぎじゃないか?それほどの国なのに卑弥呼を祀ったり伝承もないし。 水行二十日陸行一月ってどう考えても邪馬台国は本州のどこかだろ >>88
卑弥呼なんていう名前は日本の文献に出てこないしね
出て来てもそれは魏志倭人伝等の大陸の文献をなぞってるだけだし >>85
日本書紀なんて噓八百だよ
8世紀に大和朝廷が成立した時に箔をつける為に創られたものだ >>89
こういう風に現在の移動技術で考えるバカがいるから、畿内説を唱えるバカがいる
当時の航海技術では、風が吹かないと移動は出来ないし、陸は整備などされていないから荒野を歩けば今の10倍以上の時間が掛かる
そもそもそんなに無理して近畿圏に行くよりも、近い九州北部の文明圏と交流するのが論理的だろう
近畿圏との交流は、もう少し経ってから
邪馬台国というか、魏志倭人伝の舞台は北部九州で間違いない ドイツ系と接触しないと
匂って漢字を新しく作らないじゃん? >>64>>84
棺桶に片足を突っ込んだ九州爺さんは30年前から情報更新できず、今では高校生でも知ってるような基礎知識さえ持っていない
こういう老いぼれが九州説とかいう俗説をいまだに信じてるわけだ
山川出版社『詳説日本史B』
「奈良県の纒向遺跡では、2009(平成21)年に3世紀前半頃の整然と配置された大型建物跡が発見され、
邪馬台国との関係で注目されている」
東京書籍『新選日本史B』
「最近では、大型建物跡や大溝が見つかった奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘結果や、漢の鏡の出土分布などから、
大和盆地南東部がその候補地として有力になりつつある」
清水書院『高等学校日本史B』
「初期の前方後円墳の一つである箸墓古墳の築造時期の見直しや、奈良県の纒向遺跡で
魏志倭人伝にいう「宮室」にあたるとも考えられる遺構が出土するなど、この問題に関する新たな発見が続いている」 当時の福岡からは吉備など瀬戸内海系の土器が多数出土している
東海の土器も見つかっている
奈良の纏向遺跡からは大量の東海の土器と吉備の土器が見つかっている
魏志倭人伝に出てくる九州北部の国々は一大卒の管轄下にあると読める
九州北部は吉備など瀬戸内海勢の支配下、奈良は東海勢の支配下にあり両者が手を結んでできたのが女王国じゃないのかな?
女王国が中国に助けを求めるくらいの強国の狗奴国
こちらが倭国大乱以前の枠組みの中心なんじゃないか?
狗奴クナはひょっとしたらクニの語源かもねえ
クナ、クニがつく神さま、大【国】主、ス【クナ】ヒコナ、【クナ】ト >>85
だからみんな卑弥呼個人の熱烈なファンだったけどその後のなんらかの関連性があるのかないのかさえ分からない大和朝廷の言うことは聞く気はなかったんだろ >>43
朝貢国の研究してる中国人は九州だって言ってるよ。 >>88
卑弥呼は「日の御子」か「日の巫女」で神道におけるモハメッドとか太平道の張角的存在で後に神格化されて天照大神として祀られたんじゃね 倭国大乱より100年近く前の1世紀半ばの福岡に近畿地方中心に広がっていた方形周溝墓が現れる
棺は福岡在来系の甕棺
墓制から見ると近畿と福岡のハイブリッド
婚姻を結んだのか近畿地方と福岡の良好な関係が伺える
伊都国の始まりかな?
これが倭国大乱前の中心となる枠組みかもねえ つまり天照大神は釈迦やキリストのように実在して神道の教祖であるばかりでなく日本の建国の母だった
むしろイスラムにおけるモハメッドのような存在だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています