教宣部創設の経緯2017年3月31日金曜日ブログ『創〇学〇はカルトです』より
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今回は、創〇学〇の嫌がらせ実行部隊、教宣部創設の経緯を述べる。
この組織は当初、日蓮正宗対策を目的としていたので、そこから説明したい。

創〇学〇は元々、法華講(単に「講」ともいう)と呼ばれる、日蓮正宗の在家信者団体の一つだった。
余談だが、学〇と双璧を為す正宗系のカルト・顕正会も、元は妙信講という日蓮正宗の傘下の講だった。

しかし、創〇学〇の教勢拡大に慢心した池田大作は、上部団体である日蓮正宗を、逆に自らの傘下におこうと画策した他、
本尊模刻などの教義上の逸脱を繰り返し、遂に平成3年(1991年)に破門された。

ただ、この際に破門されたのは、創〇学〇という団体であり、個々の学〇員の日蓮正宗信徒としての資格が、即座にはく奪されたわけではない。
つまり、学〇を通さずに直接、日蓮正宗寺院に法事での読経などを依頼することは引き続き可能だった。

両者の対立関係が続いていた以上、このどっちつかずの状況は、いずれ改めなければならなかった。
そこで日蓮正宗は、平成9年(1997年)10月に、同年12月1日以降、創〇学〇員は日蓮正宗信徒としての資格を消失するとの通知を送った。
正宗の信徒であり続けたいなら、学〇をやめるようにと迫ったのである。

創〇学〇は、日蓮正宗の総本山大石寺の大御本尊は、「幸福製造機である」と現世利益を説きながら、
一方では「大御本尊を拝まない者は地獄に落ちる」と脅して、会員を増やしてきた団体である。

この通知を受けて、日蓮正宗との関係が完全に切れ、大石寺の大御本尊に参拝できなくなることに不安を感じ、
創〇学〇をやめて正宗信徒になる学〇員が、相当数でると予想された。

この事態に対応することを目的として、教宣部は創設された。実は、創〇学〇は正宗が発した上記通知の内容を、事前に把握していた。
教宣部が旗上げされたのも、通知が出される以前、平成9年夏である。

ジャーナリスト・野田峯雄氏の著書に、教宣部創設に際して、
第五代秋谷会長(当時)が檄を飛ばしている内部文書が転載されているので、その一部を引用する。


>「今回、新たに『教宣部』が設置された。方面、県、そして末寺ごとに。21世紀を前にして、本格的な日顕宗(対策)を進めていく。
>その『攻撃班』、急先鋒として、悪を攻め、退治するのが教宣部である。先生(池田大作さん)もこうおっしゃっている。
>『広宣流布には、いろいろな戦いがある。世法の戦いもあれば、仏法の戦いもある。最も大事な戦いは日顕宗を攻める。極悪を攻める戦い。
>これが仏法の戦い。この戦いが根本である』と。第二、第三の戦いと考えると、大きい誤りである。そこに教宣部のもつ使命がある。
>仏法上、しっかり受け止めていく。日顕宗こそが、そこが一凶である。一凶を禁ずる戦い。そこに教宣部の使命がある。