こんなんがまかり通る国だからな。闇は深いわ。


石井紘基刺殺事件

2002年10月25日、民主党の衆議院議員・石井紘基が、世田谷区の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺され死亡した。

翌10月26日、指定暴力団の山口組系右翼団体(“構成員即ち代表”の一人団体で、いわゆる「右翼標榜暴力団」)『守皇塾』代表の伊藤白水が警察に出頭し逮捕される。伊藤は「家賃の工面を断られたため、仕返しでやった」と供述したが、石井が国会議員や官僚の腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」との見方もある。10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言したという事実などが挙げられている。

2004年6月18日、東京地裁で被告に無期懲役の判決が言い渡されたが、判決では被告が主張する「金銭トラブル」という動機を信用することができないとした。2005年11月15日、最高裁で無期懲役の判決が確定した。

事件当日、石井の鞄には国会質問のために国会へ提出する書類が入っていたが、事件現場の鞄からは書類がなくなっており、いまだに発見されていない。

石井議員の左の中指は切断されていた事が明らかになっており、2010年10月に放映されたテレビ朝日の番組「報道発 ドキュメンタリ宣言」で、法医学者の上野正彦氏は、指は外側から切断されており、カバンを握った手が邪魔だっために指を切断したのでは無いかと推察を述べた。

また、この番組内で、服役中の伊藤は、テレビ朝日に向けた手紙内で「当方の事件は、いろいろと政治の裏側で動く金と人脈が関係しており-」と明かしており、面会時のインタビューに対しても「でたらめを言わざるをえなかった」「本当の事を言えば頼んだ人が誰かを言わなくてはいけなくなる」「殺害を頼まれた」「それを言えばその人の顔に泥を塗る事になる」と答えたと報道された。