志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日-1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。


終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い[1]、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において
諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けたとされる[2]。

1948年11月、シベリアより復員[1]。

1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる[3]。
1953年11月、外務省アジア局調査員となる[1] が、「二重スパイ」の活動は継続した[3]。

1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた[4]。
しかし罪には問われず、その後、1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内で死去した[1]。


親族:
甥 志位和夫(現日本共産党中央委員会幹部会委員長)