先日、選挙ドットコムという媒体の動画企画で論客の西田亮介さんとご一緒する機会があり、その席で「おい、一郎。情報通信白書読んだか。ついに新聞を読んでる10代がゼロになったぞ」と教えてもらったんですよ。
 見物にいったら、やっぱり新聞を読んでいる10代はほぼゼロになっていました。

政治や社会問題の争点が遠い世界のことに

 何が大変だって、新聞やラジオに親しんできた60代から80代以上の世代と、これから日本社会を担う10代の若者たちの間では、当たり前のことですが「どの媒体から情報を得て、何に信頼を置くのか」がまったく異なるようになってしまうということですよ。

 ある調査では、年代別政党支持率の参考にする次回投票意向先について、10代、20代は47%から49%が自民党に投票し、最も低い60代が30%ほどであることを考えると、中高年は特に「政治はこうであるべき」という気持ちが強いこともあって「若者の右傾化」みたいなことをいう人が増えるのも事実なんですよね。

 ただ、今回の総務省が出した情報通信白書のように、そもそも若い人が新聞を読まないよとなると、例えば党派性の強い朝日新聞や東京新聞といった媒体からの情報を得なくなる。それどころか、10代20代における新聞に対する信頼がテレビよりも低いという状態になると、彼らのリテラシーからすれば政治に関する問題やいま起きている社会問題に対する争点などは遠い世界のことになってしまう。

 他方、20代の大学院生や社会人と話をしていると、かなりナチュラルに「就職先がちゃんとある自民党のほうがいいです」とはっきり言ってくる人たちもいる。政治について語ることが若者の間でさしたるタブーにならなくなり、いまの生活に概ね満足だから自民党政治を追認するという、安保闘争を戦い抜いてきた団塊世代が聴いたら憤死しかねない発言をけっこう普通にするんです。出世をあまり考えず、給料は安くても働き口があるならば、生活ができて概ね満足という「志のない若者が増えた」と中高年が思うのは、新聞を通じて「こういう社会であるべき」というイデオロギーが希薄になって生活保守が強くなってしまったからなのでしょうか。

(中略)

新聞は、紙を捨てた後に何を残すのか

 何よりも、若い人にリーチしなくなった新聞を作っている新聞産業の人たちが長年の低落傾向を前に悩んでおられたのだろうと思いますが、ついに10代でほぼゼロとなってしまった新聞は、紙を捨てた後に何を残すことになるのでしょうか。海外の事例では、デジタルシフトを鮮明にしてサブスクリプション(月額課金など)に移行して影響力を保っている新聞社も出ていますが、なにぶん、日本の新聞社は巨大であり、事実上不動産業みたいな状態になっている面もあるので、あまり機動的な対応ができないまま衰退が決定的になってしまった印象です。

 再生エネルギーにせよ原発再稼働にせよ、イデオロギーとしてしか見ず、産業の転換や社会の変容のところまで読み解けないまま汚染水放流反対と論陣を張った新聞社たちの自業自得もありつつ、とはいえ新聞社が担ってきた「機能」は残っていくでしょうから、その次をどうするのか実に悩ましい局面になったなあと思います。

 若い人の読者が「ほぼゼロ」の媒体って、死ぬしかないと思うので。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/3b8fab313d1208ff1863ac871c4967b99da392c0