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週刊女性より
佳代さんは、亡き夫・敏勝さんの出身地である神奈川県藤沢市に小学3〜4年生のころに引っ越してきたという。海からほど近い地域で、佳代さんは地元の市立小・中学校を卒業した。
角田(旧姓)佳代ちゃんは転校生で、おばあちゃんとご両親と弟の5人家族でした。
角田家が藤沢市に越してくる以前のことを、佳代さんの母・八十子さん(すでに他界)の同級生だった女性が明かしてくれた。

「八十子さんは高校時代に鎌倉市内のお寺の敷地内にあった3畳ひと間の借家に、家族3人で住み込んで下駄店を営んでいました。
そして、お寺からまた引っ越されて、八十子さんのお母さんがハウスキーパーをしていた横浜市内のとある会社の寮に
、ご家族でしばらく生活されていたんです」

その後、八十子さんは圭さんも現在一緒に暮らしている祖父・角田国光さんと結婚し、’66年に佳代さんが誕生。
「'74年ごろに寮が取り壊されるなどの事情で“家がなくなるから困っている”との相談を受けたので、
私が仲介して藤沢市内の平屋に引っ越されたんです」(八十子さんの同級生)
そのころ、角田家をひとりで支えていたのは国光さん。高校を卒業後、横浜市港北区内の『東和製作所』の従業員として、
定年となる'98年まで勤務していたという。
「『東和製作所』は、缶ビールの缶や段ボールを作る機械の部品を製造する工場でした。

八十子さんは病気のストレスも相まって、とある宗教団体に入信したのだという。
「リウマチで精神的にお疲れになっていて、八十子さんは『A』という団体に入会していたんです。
佳代さんと息子さんのお名前もその団体の関係者からつけてもらったそうで、旦那さんも入会していたと思います。
私も八十子さんから勧誘を受けて1度入ったことがありますが、元信者が藤沢市内で凄惨な事件を起こしたときに
親戚から“抜けなさい”と言われて退会しました。そのあとにも佳代ちゃんが霊媒師のような人を頼っているのは、
八十子さんが入っていた『A』の関係があるのだと思います」(八十子さんの同級生)

一部でも報じられたが、現在の小室家の自宅(横浜市)近くにある飲食店に、
約15年ほど前、佳代さんは“霊が見える”という女性を連れてきたことがあるという。
その飲食店店主が証言する。
「圭くんが年長から10歳くらいのころまで、うちの店には月に2〜3回、ご家族3人でいらっしゃっていました。
旦那さんが亡くなったあと、30代くらいのその女性と圭くんの3人で店にいらっしゃって、“すごい方なので、ご紹介したくて連れてきました”と
佳代さんから紹介されたんです。
店に入ると“この絵がここに飾ってあるのは知っていました”と、店内にあるものがわかっていたような口ぶりだったことを
覚えています。

さらには、霊が見えると言って店内の空席を指さして
“圭くん、あの席からお父さんが見てるよ”と圭くんに話していました。
宗教関係の方だったようなので『A』の関係者だったのかもしれませんね」