自身の“弱点”を理解していたが故の焦りもあったのだろうか。小室さんの経歴書には、複数の虚偽が含まれていた。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に留学時の「電通アメリカ」でのインターン歴や、三菱東京UFJ銀行(当時)の行員時代、成績優秀者として二度にわたり表彰されたという経歴だ。
 インターン歴について小誌が電通グループに尋ねると、「そのような事実は確認できませんでした」と回答。銀行での表彰歴についても、同行関係者はこう証言した。
「新人が二度も表彰されていたら間違いなく覚えているはずですが、誰の記憶にも無いのです」

 だが、“弱点”は経歴だけではなかったようだ。別のUFJ関係者が言う。
「当時、小室さんは“問題児”扱いされていた。彼の担当案件では、上司がお客さまへお詫びしなければならないことも多く、上司は随分苦労したそうです」
 銀行を退職後、パラリーガルとして勤めた奧野総合法律事務所でも、決して評判は良くなかったという。
「彼のフォーダム大留学が決まったとき、奧野事務所のメンバーの一人は『やっといなくなる』と清々した様子を見せていました。決して仕事ができるタイプではなく、むしろ“お荷物”だった、と」(法曹関係者)
 垣間見える小室さんの「本当の実力」――。その仕事ぶりに周囲から疑問を持たれながらも、小室さんは米国で弁護士を目指した。10月26日の会見で、眞子さんは「海外に拠点を作って欲しいと私がお願いしました」と明かしたが、この「お願い」により、小室さんにとってNYでの就職は“至上命令”となっていたのだ。