【特集】「俺の死に場所はここだ」――覚悟を決めた真珠湾攻撃 103歳の元搭乗員の証言 [愛の戦士★]
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Yahoo!ニュース 12/2(木) 17:20
1941年12月8日は日本の運命を大きく変えた日だ。アメリカに戦争を仕掛けた真珠湾攻撃。この奇襲に、魚雷を積んだ雷撃機で参加した103歳の男性が東京にいる。あれからちょうど80年、「俺の死に場所はここだ」と覚悟を決めて臨んだ戦いを振り返ってもらった。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
話してこなかった真珠湾
東京都区部の集合住宅。近隣には保育園や公園もあり、夕方になると子どもの声も聞こえてくる。指定された場所に着くと、高齢の男性がこっちこっちと手を振っていた。吉岡政光さん、103歳だ。
「もう年ですから、なかなか足が思うように動かないんですよね」
照れたように笑い、ゆっくりと部屋に戻る。リビングの一角には九七式艦上攻撃機の模型が飾ってあった。
毎年12月8日が来ると、吉岡さんは古い記憶を思い出す。80年前の1941年、日本海軍が行ったアメリカ・ハワイ州の真珠湾軍港への奇襲攻撃。吉岡さんは攻撃に参加した艦載機(航空母艦に搭載される航空機)の搭乗員だった。長年自分の子どもたちにもそのことは話してこなかった。数年前に初めて話したらひどく驚かれたという。
「もう息子もじじいですけどね、『なんで話してくれなかったの』と。負けた戦争ですし、仲間も死んでいますし、恥ずかしい思いがあったんですかね。でも、考えてみたら、あの時のことを忘れられても困る。それで話すことにしたんです」
1918(大正7)年、石川県に生まれ育った吉岡さんは18歳で横須賀海軍航空隊に入隊。1939年9月に卒業し、大分海軍航空隊の訓練に参加していたところ、高知・宿毛湾に停泊中の航空母艦・蒼龍の乗組員になる指示が出た。船に乗るとすぐに南シナ海へと向かった。同年11月、日中戦争の南寧攻略作戦が吉岡さんの初の実戦だった。
南寧では艦上爆撃機に乗ることになった。吉岡さんの役割は操縦ではなく、偵察と爆撃。後部座席に座り、地図をもとに目的地までの進路を決定したり、飛行時間を計ったりしながら、爆撃する任務だった。
「南寧での実戦を経て日本に戻ってからは、摂津という名の標的用の古い戦艦を対象に爆撃訓練をよくしていました。5キロの演習爆弾は、当たると煙を出すんです。それでどこに落ちたかを確かめる。『ちょい右、ちょい左、ヨーソロー(まっすぐそのままの意)、ヨーソロー……、よーい、てッ!(撃ての意)』という調子でね。1941年夏からは艦上攻撃機に乗って、(鹿児島の)出水基地に近い浅瀬で雷撃の訓練をしていました。浅海面襲撃訓練という名で、空中から発射する魚雷で艦船を倒す訓練。実際にどこを攻撃するのかは、聞いていませんでした」
そんな訓練を積みながら、1941年11月18日、大分・佐伯湾に停泊していた蒼龍は吉岡さんら隊員に行き先を言わずに出航した。
※続きはリンク先で
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a16c15c83bdafdbf9533f8e06d43f08c6d402fe
(撮影:森健)
https://i.imgur.com/srCI4T4.jpg
リビングに飾られていた九七式艦上攻撃機の模型(撮影:森健)
https://i.imgur.com/Ut0CYBF.jpg
航空母艦・蒼龍(写真:毎日新聞社/アフロ)
https://i.imgur.com/zW9z6bc.jpg /)`・ω・´)
蒼龍の搭乗員の方は、結構戦後まで生き残ってるよね あの世に行ったら
戦友はみんな若いままなのか……… 散る美学っていうか、日本にはそういうのあるよな
でも、戦争では、そういうのは許容できない
生きて帰ってくるのが最重要任務だよ
まぁ、死ぬ事分かってる任務もあるけど (103)ってことはぎんさんの三女と同い年か
大正生まれだな 実際に真珠湾攻撃のときに死んだ人の墓が、親戚の墓のある墓地にあるわ。
まだ戦争に負けてないときに造ったのか立派に墓銘が掘ってある。 80年前の今頃、無線封鎖でアリューシャン列島付近を航行中か(´・ω・`) 戦争も知らない我々がこの爺さんに四の五の言える訳がない
そして戦争も知らんのに愛国だとか恥をしれと言いたい
もし言えるとしたらこの爺さんのような人だけだ 掘ってある。 × → 彫ってある 〇
何人かは真珠湾攻撃で死んでるみたいだな。 今の若者だったら何であれ死に直面するとこんな所で死ぬのは嫌だと思うのだろうが、
この当時の戦闘機乗りの若者はここが死に場所なんたと納得して受け入れいたということだ。
これは一面では洗脳された結果の狂気と言われる反面、別の面では悟りを開いた境地だとも言える。 90歳は戦中で戦争を知らん(空襲とか疎開なので)が、100歳を超えてくると戦前の人。
日本のために頑張った世代。100歳以上の人たちが、戦後の日本の建て直しに貢献した。
90歳代以降は、カス。 真珠湾攻撃したパイロット達は精鋭中の精鋭だから
気力体力知性が、トップクラス。
普通の爺とは違うよな 今さ、国のために子供作れとか国のために育ててるんだから金出せとか言ってるけどさ
じゃあ戦時みたいに国のために子供差し出せって言われたら喜んで差し出すの?
自分のために作ってるだけでしょ? ファイターパイロットみたいなスペシャリストを使い捨てだもんな
コストの基本中の基本である人材を理解してないんだからそりゃ負けるわ 本当に戦争を知っているのは95歳より上の人々しかいない。
だからそれ以外は結局みんな伝聞の伝聞からの知ったかぶりで語っているに過ぎないということになる。
というか我々自身もだが、そいつらは右であれ反戦を叫ぶ左であれ戦争を全く知らない。 >>1
この年齢の方ぐらいが戦った最後の生き証人なんだなぁ、 当時はGPSなんて無いから
洋上航法だけでも命がけ
ラバウルからガダルカナルなんて
帰って来れずにガス欠で優秀なパイロット使い捨て 戦後のろくなもん食ってなくても長生きするんだもんな >>17
> 悟りを開いた境地だとも言える。
戦争に行って人間が丸くなる人も中にはいるかもしれないが、
なかにも猜疑心が強くなって陰険になる人もいるかも。うちのある親戚の場合は、
戦争から帰ってきたら口数が減って怒りっぽくなってしまったと聞いてる。 ゲームやってて思うけど
97式艦攻の死亡率って滅茶苦茶高そう
よく生きてたな この人とか、一式陸攻の高橋淳さんさんとか
100歳前後なのにマジで頭ハッキリしてるよな
身体も頭も丈夫 >>13
この人が、80年前の蒼龍にタイムスリップしたら、
歴史がどう変わるのか、気になる 真珠湾攻撃よりも神風特攻隊の方が悲惨だろ
隊員は家に一時的に帰ると、布団の中で怖さのあまり泣いていたと隊員の妹が
今になって語ってた。他の神風隊員の場合は「誰が身重の親の面倒を見るんだ」
と涙ながらに語っていたと言ったりもした。当然、みんなの前では威勢よく
鬼畜米英を倒すとか言ってるけども。当然、これらの隊員は神風で戦死している。 80年前の出来事なんて記憶も薄れてるだろうに
話聞いてなんか意味あるのか? >>35
そもそも身体も頭も丈夫でなきゃ
海軍のパイロットにはなれなかったろ。 >>34
ミッドウェーの前に降りてるし、かなり運も良かったのだろうな 戦争ってほんとくだらないよな
いまの時代なら命かける人は一人もいないだろう >>1
なお、この標的艦の摂津は、無線のリモートコントロールで色々動くハイテク艦に魔改造されていたりする。
当時のハイテク艦艇なのだ。 まだ100歳とかでそんな人がいるんだなあ
1945年に子どもだったワイのとーちゃんは死んだのに >>40
真珠湾攻撃の空母搭乗員なんて、
甲種合格のバリバリのエリートだからな 真珠湾攻撃はどうやら世界史でも稀な大成功の奇襲攻撃なのね。
あんなに成功した奇襲攻撃は無いでしょ? >>1
真珠湾攻撃はアメリカに利益をもたらしたという意味で
アメリカにとっては大成功
日本の破滅が決定しか瞬間 >>25
それ以前にあんな超大国に戦い挑む時点で負け確定だけどな
うちの祖母も開戦のニュース聞いて呆れてたそうだ >>47
そりゃあ、あらかじめ情報を得ていたアメリカ政府が
ハワイの米軍に情報を秘匿して、わざと日本に攻撃させるがままにしていたからな この人の話の内容は
戦史とほぼ一致してるから
話盛ってないと思うよ >>42
いや、いるよ
ワクチン1つでこれだけ一生懸命に騒げるんだからw
人間はアホなんだよ
誰かが戦うという仕組みさえある国なら戦争は無くならない >>49
なんか日本の権力者って平気でそう言う事やるよな
ありえな過ぎて引くというか 誰も好きで死傷率の高いところに行ってるわけではなく、コネとか、顔が効くとか、年次とか
上官に取り入るとか、あらゆる手段を駆使して軍隊のなかで生き残ろうとはしてるでしょ。 戦争生きのびた人は長寿なイメージ
やはり生命力が段違いなんだろうか >>17 洗脳された結果の狂気
軍人が戦場に臨む思いを「洗脳による狂気」や「悟りの境地」と思うようでは何もわかっていない。
この例では、当時、既に日中戦争が続き、ノモンハンでもソ連相手に多くの犠牲を出していた。
戦場に臨むのは、国や家族を守りたいという使命感や義務感にもとづくもの。
本人が望むことなのだ。
これを「洗脳」などと他人のせいにする理解では、何度でも同じ過ちを繰り返すぞ。 >>63
実際今繰り返してるようにも見えるけどね
何とは言わないけど 攻撃機乗りで初戦から参戦してて生き残ってるって幸運の持ち主じゃないか? >>61
誰がなんのために流したプロパガンダだと思うの? アメリカのアベンジャー雷撃機
昔の飛行機とはいえこんなにでかいのか。
重厚感もやばい、小銃そこらで撃ち落とせる気がしない。
こりゃ編隊で飛んできたら怖いわ。
https://youtu.be/fJdGc7ZcK58 死ぬ覚悟だったのにまさかその後80年以上生きるとは思ってなかっただろうな >>2
ミッドウェー直前にかなりの割合で人事異動があったからな >>63
どんな立場で断定的にそれを語ってるの?
経験者? 真珠湾攻撃やらなきゃアメリカ日本に宣戦布告できなかったと思う >>1
侵略戦争の実行犯が武勇伝みたいに語ってるんじゃないよ!
その手はアジアの無辜の民の血と涙に濡れているぞ。
犠牲者の怨念と慟哭は永遠に卑怯者の日帝を呪い続けるだろう 権力者の楽観と自分の思い通りになるという傲慢さは今でも同じく肌で実感する
なんなんだろなこの性質
治らないのかもな 「その時歴史は動いた」の真珠湾回でインタビューに出てた
加賀の99艦爆乗ってた前田さん
2年前に亡くなってた >>68
当時の日本人からすると、とうとうやったかって感想で意外でも何でもなかったらしいけどね
そりゃABCD包囲網とか、石油、鉄、ゴムとか禁輸して経済封鎖してたんだから、
追い詰めて先に手を出させるというアメリカのいつもの手だけどね
真珠湾にあんな大艦隊いたのも日本の開戦に備えるためだったらしいし
攻撃知ってたとまでは思わないけど、ありうるくらいは思ってたろう >>70
なに人の居るビーチに不時着水してんだよw >>74
仮にアメリカ政府が宣戦布告して
日本と戦争したとしても
アメリカ国民の中には、なんで日本と戦争なんてするんだ?
政府アホすぎだろ?モンロー主義を守れよって声が大きくて
徹底的に日本を叩くような戦争にはならなかっただろうな
ましてや、原爆投下とか絶対に不可能
日本人が卑怯な奇襲攻撃をやってアメリカ人を殺した
リメンバーパールハーバーのプロパガンダでアメリカ国民は
対日参戦で一致団結させたキッカケがこの真珠湾攻撃
山本五十六はアメリカ通なんだからアメリカの世論を味方につけるような戦略を取らずに
逆にアメリカ世論を完全に敵にしてしまうんだから
拙劣だった マトリックスのセリフで生命の目的は…、ってあったよな > ヨーソロー(まっすぐそのままの意)
ヨーソローって船関係でよく聞くけどそういう意味だったのか 今日本で戦争に従軍して生きてる人って
100歳前後でも76年前だから
20そこそこだからペーペーの下っ端しかいない
もうあの戦争の証言なんてまともに得られないだろうな 今の中国見てみ、
戦争しない道選んでもアメリカの嫌がらせはずっと続いただろう >>1
この世代の方は自然と敬うことが出来る
現在の80前後以下は駄目だ 当時の人間は何で戦争に反対しなかったんだろうって、ずーっと疑問に思ってた。
だから、ワクチンには反対する。
国にはだまされない。
それが歴史の教訓。 ホントなんだろうか
記事は軍歴の裏とか取ってるのかね
実はおじいちゃんボケてはいないけど長年の憧れが募って艦攻乗りだったことにしてるとかいうオチないんか?
後ろの棚に戦史関連の本とかたくさんあるし、長年体験談や戦史読み込んでるうちにリアルな経歴や体験談を語れるようになって息子に「実は俺な、」って半分冗談見たく言ってみたら本気にされて広まって今更ホントの事言えなくなったとかw 奇襲かけて圧勝のようにも思われてたけど
ほんとならやらんといかん追撃もできんくらいギリギリの戦いだったからな
生還されただけでも御立派
ボロ勝ちしてたらハワイ占領まで行ってるし >>88
自由は戦って勝ち取るもの。
もちろん武力ではなく。思想と団結で。
平和は不断の努力の継続で作り上げるもの。 >>90
当時は反政府的なことをいうと特高にしょっぴかれて病死して帰ってくるか、お空がきれいって言いながら帰ってくるかってことは国民の常識だったのでまともな人なら表立って反対なんかしない > 語り始めてみれば5時間が経っていた。
記事になってない部分たくさんあるんだな >>39
オレが書こうとしたことをw
3号は可愛かったね 今みたいに「何の為に生きて、生きる意味もいつ死ぬのかも分からず、無為に生きてるだけ」なら、いっそ「自分の死に確実な意味を持たせられる」方がマシなんじゃないかとも思うがね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています