0001朝一から閉店までφ ★
2021/12/16(木) 21:28:57.99ID:1sRQzNT+9大エジプト博物館(GEM)の展示棟に移送される「太陽の船」=2021年8月6日、エジプト観光・考古省提供
https://p.potaufeu.asahi.com/ca24-p/picture/26533429/e5d44533adb6ff08a7cd62784528437c_640px.jpg
Re:search 歩く・考える
世界的な観光地として知られる、エジプト・ギザのピラミッドで67年前、大型の木造船「太陽の船」が発見され、エジプト人が自らの手でよみがえらせた。その後、「第2の太陽の船」も見つかり、復元が今も続いている。日本人が深く関わっていると聞き、私は興味をそそられ、取材を始めた。
外気温36度。拭いても拭いても額の汗が止まらない。6月28日、私はギザ台地に鎮座するクフ王のピラミッドの足元にある、大型の仮設テントの中にいた。
テントが覆っているものは、長さ約33メートル、深さ約5メートルの「船坑」と呼ばれる穴だ。2013年6月から第2の船の部材の取り出しが行われ、20年末までにほぼ終わった。テント内はガランとし、船坑も木製のふたで覆われていた。
https://p.potaufeu.asahi.com/7e54-p/picture/26533441/d2456f50049c5379f3a4b93185a22d60.jpg
クフ王のピラミッド(左)と、カフラー王のピラミッド=2021年9月6日、エジプト・ギザ、北川学撮影
残っていた数点の部材を見せてもらった。焦げ茶色で表面にひびが入り、一部はボロボロに崩れていた。粘土の塊のようにも、大きなチョコレートのようにも見えた。
太陽の船は、古代エジプトで崇拝された太陽神ラーとクフ王の乗り物と考えられている。神様と王様が一緒に船に乗って永遠に天空を行ったり来たりすることで昼と夜が訪れる。古代エジプト人の宗教観を形にしたものだ。
https://p.potaufeu.asahi.com/0133-p/picture/26533438/f40718a33f3a300d1f15cc115ee54b52.jpg
1954年に発見された「太陽の船(クフ王の船)」=NPO法人「太陽の船復原研究所」提供
頭の中で、全長40メートルの木造船が空に浮かぶ様子を想像する。子どもが描いた絵のようで、何だかほほ笑ましい。ギザ県の高校で歴史を教えるムハンマド・アトワンさん(48)は太陽の船について授業でよく話す。「エジプトで発見された傑出の遺物。悠久の歴史があるわが国の誇りです」
■忘れられた存在に日本が注目
https://p.potaufeu.asahi.com/f32c-p/picture/26533440/d517132a2c2542a797fa41f63809fbde.jpg
クフ王のピラミッドの南面。「第2の太陽の船」はテント(中央)の辺りで見つかった。右奥の建物は、1954年に見つかった「太陽の船」が展示されていた施設=2021年9月6日、エジプト・ギザ、北川学撮影
最初に発見されたのは1954年。船坑の中に、解体された状態で収められていた。当時のエジプト考古局が2年かけて部材を取り出し、さらに14年かけて復元。82年に一般公開した。
発見者で名付け親のエジプト人技師、カマール・マラーハさんは当時から船がもうひとつ埋まっていると考えていた。だが、目にすることなく87年に世を去った。その後、調査されずに人々の記憶から忘れ去られた。それに注目したのは、エジプト考古学者で東日本国際大学総長(早稲田大学名誉教授)の吉村作治さん(78)だった。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://globe.asahi.com/article/14501237