早稲田大学雄弁会出身だった。
三木武夫内閣 (1974年12月9日〜1976年9月15日) で内閣官房副長官を
務め、1975年 「スト権スト問題」 のときは連日マスコミに登場した。
また1976年の 「三木おろし」 では国民は存在感を強く認識した。