2022年02月01日

「私どもの知るところ、これはオーストラリアの牛肉でございます」。
 20年前の2002年1月23日。兵庫県西宮市の埋め立て地にある老舗の倉庫業「西宮冷蔵」で社員服を着た小柄な男性が記者たちを冷凍倉庫に集め、積み上げた国産牛用の箱を開いて説明していた。

 男性は当時48歳の水谷洋一社長(68)。この「爆弾会見」で日本中が大騒ぎになった。
 その頃、BSE(牛海綿状脳症、通称:狂牛病)と呼ばれた奇病が世を震撼させていた。前年の9月、国産の牛肉にBSEに罹患している牛がいることを発表した農林水産省は、全頭検査前の国産牛肉について、すべて買い上げて焼却処分する方針を取る。
 これに目を付けたのが雪印乳業の系列の雪印食品の「雪印関西ミートセンター」(兵庫県伊丹市)だった。安価なオーストラリア肉を国産用の箱に詰め替えて30トンを国産牛と偽って国の関連機関に買い上げさせ、補助金1億9600万円を詐取した。偽装牛肉を預けていたのが西宮冷蔵である。







「阪神大震災の日」の一本の電話

 水谷社長が偽装を知ったのは、どこかで嗅ぎつけた朝日新聞と毎日新聞の新聞記者に若い社員が取材されていたことだ。「雪印さんには、ちゃんと是正して『ミスでした』と国に報告するように助言しとけ」と社員に言っておいた。雪印は当然、そうすると思った。
 思い返せば前年10月、関西ミートセンターの社員らが来て「誰一人立ち入らせないように」と厳命して自分たちだけで倉庫作業をしていたことがあった。誤ってマイナス30度の巨大冷凍室に閉じ込められる凍死事故があれば一大事なので普通は最低一人が立ち会う。
 だがこの時、水谷氏は雪印側の「絶対に誰も入れないで」を了承した。雪印食品は西宮冷蔵の売り上げの一割を占める大切なお得意客。また6年近く前の阪神・淡路大震災では東京本社から応援出張してくれて、滅茶苦茶になった倉庫を片付けてくれた。信頼しきっていた。
 彼らは一日かけて詰め替え作業をして帰っていった。「あれやったんや」。
 1月17日のこと。関西ミートセンターの菅原哲明センター長(当時47)から突然、電話があった。菅原氏は震災時の応援出張のリーダーだった。「今日は阪神大震災の日やな。懐かしいなあ」と切り出した。恩義こそあれ、恨みなどない。電話はよもやま話で終わった。
 だがその日の夕方、買い物中に水谷氏はニュースで横浜市が隔離していた牛肉の焼却処分を始めたことを知る。電話は完全犯罪の勝利宣言だったとわかった。「お前ごときが余計なことを言うな」と言わんばかりの菅原センター長の電話を思い出した途端、水谷氏の体に怒りの炎がめらめらっと燃え上がる。
「こんなことが許されてええはずがない。なめとんな。おのれ、みておれ」
 冷凍庫にはまだ焼却前の肉、つまり決定的証拠が残っていた。水谷氏は毎日新聞と朝日新聞の二人の記者を呼び経緯を説明した。
「正義の告発」だが何しろ相手は巨大企業。「世間が自分の味方をしてくれるやろうか。ごまかされて、こっちが嘘ついたみたいにうまくやられるかもしれない。名誉棄損とかで訴えてくるかもしれない」。……心配だった。しかし決断した。
「よっしゃ、書いてええぞ」。
 記者にGOサインを出し、新聞を印刷する輪転機が回る。翌未明から蜂の巣をつついたような大騒動。新聞社、放送局、雑誌などが押しかけた。それが冒頭の場面である。

     ===== 後略 =====
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https://www.dailyshincho.jp/article/2022/02011107/?all=1