【社会】横井庄一の「その後」を見続けた博物館員が追想/あの「ニュースの主役」を大追跡【1】 [朝一から閉店までφ★]
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2022年2月13日 10:00
「もはや戦後ではない」と高らかに謳い、高度経済成長の時代を迎えた72年、まさかグアム島に日本兵が潜伏を続けていようとは…。発見された横井庄一さん(享年82)の帰国は、今からちょうど50年前のことだった。
「恥ずかしながら生きながらえておりました」
72年2月2日、帰国後の第一声である。45年8月15日の終戦の知らせを信じることができず、ジャングルで実に28年もの潜伏生活を送っていたのだ。
そして横井さんは帰国後、地元の愛知県名古屋市で第二の人生を送る。
名古屋市博物館に長らく勤務した竹内弘明氏は、横井さんの余生を知る数少ない人物だ。亡くなる直前まで、足かけ15年にわたって交流を重ねた。
「横井さんのグアムでの生活を刻んだ貴重な品々を、博物館で預かって展示する形をとることに。そのため、3年ごとに契約を更新する必要があり、横井さんのもとを訪ねました」
竹内氏は初対面の時にまだ20代半ばで、横井さんは60歳を過ぎていた。そのため、話しかけても「若憎にはわかるまい」と、多くを語ってもらえなかったという。
「特にグアムの生活については、しゃべりたがらない様子でした。74年にフィリピンのルバング島から帰国した小野田寛郎さんとよく比較されましたが、例えて言うなら小野田さんは『職業軍人』で、横井さんは『敗残兵』。それゆえの、秘したところがあると思います」
やがて、一言二言ではあったが、竹内氏に本音を明かすことも増えていった。横井さんは出征前、洋服職人として生計を立てていた。帰国後も同じ仕事に就けることを楽しみにしていたが、
「時の人になってしまったから、そんな状態ではなかったですね。あまり話をしたがらなかったのに、生活のために全国を講演で回らざるをえなくなった。私にボソッと『普通に生きたかった』と漏らしたことがあります」
■失神するまで殴られ、ライフルの銃口を向けられた
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://asagei.biz/excerpt/38975 横井さんは
救出される前は
幻覚に悩まされ続けたんだよな
そらそうだよな
あんな過酷な状況じゃあな 横井庄一さんは戦後日本に順応できたけど、小野田少尉は馴染めなかった印象 まともな国の軍隊なら司令官や残りの士官が降伏交渉するのに真っ先に自決しちまうんだもんな
兵隊さんがかわいそう >>13
生きて虜囚の辱めを受けず
死して罪過の汚名を残すなかれ
言った本人が敵国裁判で刑死だもんなー 小野田少尉は上官の命令がないと帰らん言うて当時の上官まで引っ張り出してたな >>11 本当に恥ずかしながら生きながらえているな
普通に生きたくなかったのか? >>15
責任は無論あると思うけど
他方でやつが一人で勝手に創作したものでもないけどね >>8
スパイ・ゲリラ養成の為の【陸軍 中野学校 静岡分校】で、工作員としてのエリートとして教育を受け、上官の命で、自分と同じく中野学校出身者で組織された分隊で戦後も戦い続け、
1人減り、2人減り、そして最後は1人になった時、おめおめと投降など出来るか!と言う強い意思と、
実際、日本に帰ってきて、戦後のテレビ等の乱チキ騒ぎに巻き込まれて、
【これが仲間の命と、自分の人生を捧げて護った国なのか?】
と言う疑問と自責の念が大きくなり、奥さんとブラジルで、1から始める事にしたからな。 すべてを話すことができない過酷なジャングル生活
あんな時代に生まれなくてよかった 「よっこい庄一」どっこいしょの変化形として語り継がれている 「恥ずかしながら」の後に「天勾践(こうせん)を空しゅうするなかれ。時に范蠡(はんれい)なきにしもあらず」と義務教育しか受けていなかった横井庄一は言ったのに当時の大卒の記者は古参を除き、ほとんど理解できなかった。 >>37
昔の日本人は勉強熱心でつつましくて忍耐強くて教養深いなぁ
その余韻で戦後の成長があった 自民党が創価学会切らないワケ
自民政府が公共事業を発注→創価企業が中抜き→一般人が安価で労働
そして中抜きの一部が政治家へ戻り、選挙資金へ
そして自身はタックスヘイブンを利用して脱税🤤
これが続く限り、税金上がって給料減り続ける
パソナも天理の談合で死人も出した太陽光事業者メガソーラージャパンも不正融資の太陽光事業者テクノシステムもアベノマスクも全て創価学会
https://i.imgur.com/fyO2Syq.jpg
https://i.imgur.com/lzRBaMq.jpg
https://i.imgur.com/IfbspHy.jpg
https://i.imgur.com/VKWbwqq.jpg
https://i.imgur.com/S7mIGMY.jpg むかしBE-PALってアウトドア月刊誌に横井さんの体験談が連載されてたな >>18
谷口少佐は直属の上官ではなかったという話だったな
命令を受けた当時は第18師団所属ということだが師団長も軍司令官も方面軍軍司令官も南方総軍司令官も全部あの世でその上の大元帥閣下は存命だが流石に陛下に言ってもらうわけにもいかなかったんだろう 逃亡兵ではないのか?
そうだとしても誰も彼を責める事はできないけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています