【歴史】西南戦争の古戦場から銃弾85発 劣勢・薩軍は鉄製 宮崎の七熊山 [七波羅探題★]
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西郷隆盛の薩軍が政府軍と戦った西南戦争(1877年)の戦場の一つ、宮崎県小林市須木地区の七熊山(ななくまやま)(929メートル)山腹から、当時発射された銃弾85発が見つかった。政府軍の日報などを手掛かりに、同県埋蔵文化財センターが調査・確認した。政府軍の銃弾は白っぽいサビに覆われた鉛製で49発、薩軍のものはサビが赤褐色の鉄製など36発。薩軍は鉛が入手できず、やむを得ず鉄を使ったとみられる。薩軍の劣勢ぶりが伝わってくる。
西南戦争は、西郷率いる不平士族が政府軍相手に起こした国内最後の内乱。1877年2〜9月、熊本城を皮切りに、「田原坂(たばるざか)の戦い」を経て大分、宮崎などに舞台を移し、最後は鹿児島で薩軍が散った。七熊山では7月の2日間、戦火を交えたとされる。
七熊山は登山道があるが、ヤマビルの多さもあって訪れる人は少なく、山頂まで続く雑木林に、戦場だったことをしのばせるものは特にない。埋文センターは2020年度から調査。政府軍がまとめた「征西戦記稿(せいせいせんきこう)」に記述がある両軍の防御陣地跡も約40カ所、山腹で確認した。山頂まで緩傾斜が続くが、防御陣地跡は土を掘って傾斜をなくし、1メートルの高低差を利用して兵士が身を隠したとみられる。
また、銃弾は山腹の複数箇所で見つかった。鉛製の半数近くは激しく変形しており、至近距離で発射された可能性が高い。両軍が5〜6メートルをはさみ、樹木に身を隠しながら銃撃戦を繰り広げたとする当時の記録を裏付けた。
埋文センター調査課の堀田(ほりた)孝博・調査第三担当リーダー(49)は「145年前に足元で起きた証しを知ってほしい」と話している。
調査の成果は小林市役所などで2〜3月、展示される予定だったが、新型コロナウイルスの感染予防のため、2022年度に仕切り直ししたいという。【梅山崇】
毎日新聞2022/3/16 14:33
https://mainichi.jp/articles/20220316/k00/00m/040/173000c >>5
鉛は柔らかいので銃身内部を傷つけないし、人体に着弾時に変形して傷が大きくなる
毒があるので体内に留まると中毒を起こす
融点が低いので炭火程度の熱でも溶融させて新しい弾を作れる 西郷どんは金玉袋を担がないといけないくらいデカかったのだろうか? 鹿児島っていまだに旧士族が威張っとるんやろ?
嫌いだわ このタイミングで出土するのかー
英霊が平和ボケした日本人よ戦えいってるんやろうね >>5
鉛弾の一番のメリットは値段が安い、加工が簡単、比重が重い >>8
西南戦争で火縄銃なんてほとんど使われてないんじゃないか?
戊辰戦争でもすでに弱小藩の二線級の兵器だし。
ペリーを迎えた部隊もゲベール銃だったらしいし当時の日本は意外に先進的。 薩摩もすごいな
一藩でイギリス、幕府、新政府と
今で例えるなら鹿児島県が日本や国と戦争だからな >>9
わかりやすいように言えよ
鉄だとちゃんと飛ばん(跳ねて精度も飛距離も悪い)し手製では鉛に比べて時間が掛かる
だから薩軍は抜刀攻撃にしか打開策がなくなる >>5
銃身がスチールなので
弾丸が鉄だと重心の摩耗が激しい
から鉛なんだけど
鉛はカスが銃身に溜まるから
銅のジャケットで覆ってるのが多い >>17
申し訳ないがアンタのその程度の器量では測れん >>12
寄生虫に冒された病気でデカかったと言われてるが 鉄弾頭は第二次世界大戦前後でよく使われてたよ
あの辺りは戦争多すぎてどこも鉛が手に入らんかったから
真鍮の代替品として薬莢にも使われてたりする >>26
西南戦争の頃ならまだ抜刀隊も活躍出来たんだろうね。 軍を解散した後に戦う必要性があったのか?
鹿児島を灰にしてまで城山に籠る必要があったのか?
何故鹿児島に帰ったのか? これをやったからロシアのような
歴史の逆回ししないで前に進んだ
無職になった侍の反乱でも
厳しく弾圧しないと先祖帰りになる >>23
そんなこと考えてない
明治政府に不満を言いに行く
ただそれだけ >>33
日露戦争でも勝負をつけるときは銃剣での突撃が主攻だよ。 >>5
鉛は比重が鉄より大きいので物理的に威力が強い。
拳銃弾なら衝突の衝撃でマッシュルーム化と言われる変形を起こして更に威力を増すが、黒色火薬のこの時代にはそこまでの威力はない。
軍事的に重要なことは融点が低いこと。
鉛と融点は330度程度で金属の中では圧倒的に低く結果大量生産がしやすい。
鉄は鉛ほど重くないため威力が弱いが、硬いため装甲などに対しては有効。
ただし、黒色火薬のこの時代に徹甲弾となるようなエネルギーは用意できないし、何より西郷軍も政府軍も洋風軍になっているので甲冑はつけていないから硬いと言うメリットは生きにくい。
何より面倒なのはその融点の高さ。1500度以上という高温は炭素などを混ぜ込むことで下げることができるとは言え、特別な炉を用意しないと実現できない。
結果的に必要な弾数を短期間で西郷軍が用意することは難しかっただろう。 鉄だと軽くて弾道が曲がりやすい
つまり当たりにくい弾になる >>34
己等の益荒男ぶりを示すためにやっているだけで
合理性を追求したいわけじゃない
熊本の神風連の乱も同じ >>41
もう不満を募らせた
若者が政府弾薬庫を襲った後。
話し合いとかの段階ではない >>24 ゲベール銃が西欧ではもう旧式だったから、日本に輸出されたわけよ。 >>42
元会津藩士が抜刀隊の部隊に所属していたのは事実だけど
抜刀隊の主力はほぼ薩摩藩士。 新政府のが「武器がー」云々で言い訳や「内戦がー」とか言い訳で逃げるヘタレどもと違って一藩でも最後まで戦う
カッコいいじゃないか >>46
まだ階級をとかれていない西郷なら話し合いの場はつくれる。 >>49 政府軍の首領も薩摩だけどな。(´・ω・`) >>23
薩摩側には当然あっただろう
それが錯覚だったとしても
実態は益荒男としてしか生きられない
南九州武家系野蛮人の最後のひと暴れに過ぎない
精神的な意味しかない
髷を落として刀を置くくらいなら
死んだほうがマシな時代錯誤な男達の >>24
資金力はあったからね。
全ての藩いうわけにはいかなかったが、日本で流通していた銀の量は当時の世界としては破格に多く、その気になれば欧米の軍艦だろうが、最先端の後装式の雷管式銃だろうが買うことができた。
そして何が最新式かと言った情報を長崎の出島を通じて得るルートとその情報を理解しる高度な人材を有していた。 >>50
西郷は配下の人間に「武士」を辞めるように説得する気はなく
一緒に死ぬことを選んだ
そこに合理性はない
精神論の世界 >>49
良くも悪くもその狂気が薩摩隼人たる所以。
ただ、だからボロ負けしたという事実はある。
本気で戦うなら跳ねっ返りが火薬庫襲ったらそいつらを切り捨てなければいけない。
情を優先して戦争始めるなんてあまちゃんが勝てるわけがない。 >>53
世界では既に時代遅れの2流品の武器を争って買い付けて
多量の銀を欧州に流した馬鹿な時代。 >>30
>真鍮の代替品として薬莢にも使われてたりする
ドイツは技術があったから鉄で薬莢が作れた。
(プレス加工で伸びる鉄材料と潤滑剤があった)
貧乏なくせに技術がなかった某国と金持ちアメリカは黄銅の薬莢。 >>56
でもだから薩摩の人間は
西郷さんが好きなのさ。
で大久保が嫌い。 >>54
プーチンの暴挙も実はロシアを変える為にやってたりして >>57
それは事実ではない。
開発した等の本国でさえ充分整備されていないガトリング砲やアームストロング砲を多数輸入し、最新鋭のスナイドル銃を多数輸入していた。
銀の流失は公定レートの違いを悪用されたのだから武器の買い付けとは次元が違う。 >>61 プーチンは多分、最初は余裕で勝つつもりだったと思われるから、負けるとわかって戦をしかけた西郷とは違うかな。 戦国時代の武田も織田に堺を抑えられてたせいで鉄砲の数はあれど鉛や硝石の入手には相当苦労してたんだよな
実際領内の神社に弾薬に使用するため銅製のびた銭を供出するよう命じてる書状が残ってるし 熊本県民はなぜ味方をしなかったんだろ?
鹿児島とはお隣同士で仲がいいのに 堺を抑えていたからというより、鉛や硝石の原産国と直接つながってた説があんよな。織田は。
だからあんな短期間で畿内を抑えることができたと。 >>59
日本人もそういう西郷が好きだが、近代国家日本が生き残るためには冷酷な大久保の手腕も必要だったのだろう。
ただ、西郷はもう少し政府にいて欲しい人材だと思うけど。 >>50
んー
多分あっさり階級を捨ててそうだからその発想自体出なさそう
辞表→帰郷→世捨人→子飼いの若いモンの後始末→自裁、ではないかと >>17
その理屈でいくと吉田松陰とかかなりアレな人になる 後方に船で上陸して挟み撃ちにして前線を潰すとか
新政府が長岡でやったこととまんま同じ事をやられての敗北とかな。
船がない時点でそんなシナリオ、開戦前から篠原も村田も桐野も永山も
全員わかっただろうになあ。 >>2
初代のNATO弾で口径七.六二ミリのライフル実包があった。
規格を西側共通として、製造は各国でするのだが(自衛隊も使うので、日本も国産している)
西ドイツ製のものだけが、微妙な差異があった。
.
それは薬莢の口の部分で噛む弾丸の側溝の肉厚で、そこが他国の308弾よりもごく僅かに薄くされていたのだ。
その違いが何をもたらすかというと、敵兵の体内に入ったときに西ドイツ製の弾は、
高い確率で弾丸が二つに折れ、被甲もバラけて、爆発的に飛散するのである。
これは非人道的と禁止されたダムダム弾の効果を合法的に狙ったものであった。
.
さてそこで、この弾丸の側溝を薄く造れという指示書や命令書はドイツに存在するだろうか?
私は、せぬと思う。これもまた、下級技師の個人的なイニシアチブでしたことであろう。
しかしそれは、すべての上級技師、すべての高級陸軍人、すべての指導的政治家の暗黙裡の全幅の支持を受けていた。
だから、記録もなければお咎めも無い。
. >>68
発想があるかないか以前に、薩摩の不平士族を守るためなら嫌でもやらんと。
それが大将の器ってもんだ。若者の面子を守るためにみんなで一緒に死んでどうする。 >>64
NHKの歴史探偵かなんかで鉱山も抑えられてたとか言ってたかな >>65
熊本城、熊本鎮台は
島津薩摩を抑える為のものだし。
薩摩藩は賊軍だし仕方ない。 >>69
大河の「花燃ゆ」、評判は悪かったけど前半の松陰のとんでもなさはよく描かれてたよ >>67 西郷が日本の近代化に必要な人材だったとは思えんけどなぁ…
幕府を倒すためには必要だったが、そこで役割は終わってた。
政府に残っても、征韓論みたいな好戦論者に祭り上げられるくらいしか、役割がなかったように感じる。 >>73
鉱山を奪い合うために南信から東三河にかけて侵攻してたんで
東三河周辺で争いが耐えなかったな。 >>63
その通り
プーチンは負ける気は全く無いよ >>70
めちゃめちゃ怒ってるから一回喧嘩して気を鎮めさせようぐらいの感覚だろうか
それを武士で一藩全体でしたから甚大な被害になったのだろうと
深い戦略戦術は無さそう >>66
海外と直接繋がってたとしても物資は堺に到着してそこから日本各地に運ばれる
結局堺を抑えることができなければ安定した物資の入手は難しくなるよ >>65
事実ではない。
九州の人たちはなぜかあの狭い島の中で歪みあっている。
熊本藩は薩長に協力したが、薩摩と血縁があったわけではなく、新政府に敵対する意思はなかった。
薩摩人がある種の狂気を特長とするなら熊本は頑固で議論好きなもっこすが気質。
西郷が軍を上げたというだけで西郷に協力するわけはない。
そもそも西南戦争の一年前に熊本では神風連の乱が制圧されている。
負傷者200名を出しながら120名以上を倒して乱を治めた政府軍の力を見せつけられているのに西郷に協力するわけがない。 >>71
HKのライフルがローラーロッキング機構
で薬莢切れが問題になってたから
その対策なのかなと勝手に
想像してみたり… >>72
そもそも大将の器だったかどうかもわかんない(西南の役時点で)
世捨人みたいに過ごしてたとき頭打って性格が変わったと言う説がある 薩軍は決起前に政府軍に弾薬を押収されたせいで先込め銃メインで戦わざるを得なかったんだよな。装備も兵員も劣性なのに組織化された近代軍隊相手に半年間南九州でよく暴れることができたな 標高千メートルとはなかなかお高いとこで戦っていたのですね >>5
鉛→体内でグチャグチャに砕ける
鉄→体内でそのままの形状で留まる >>17
今で言うと、使い物にならなくなった公務員達を引き連れて、全員殉職させるつもりで全滅よろしく散っていったのさ
最初からそのつもりでその役目を引き受けた西郷さんは偉いよ >>77
征韓論は困ったもんだが、理屈を人々の動きに変えることが西郷の真骨頂。
西郷亡き後の薩摩閥は迷走気味でしばしば元勲たちの個人的利害で国政があっちこっちしてる。最後にそれを取り仕切ったのは山形だが、西郷が元気だったらこういう迷走は起きなかったと思う。
大久保は言われているほど元勲たちを抑えられていない。 >>64
戦国時代は火薬の原料は輸入されてたような。 <<日露戦争でも勝負をつけるときは銃剣での突撃が主攻だよ
機関銃が配備されるまでは銃剣突撃が決定力があった
機関銃で 銃剣突撃が鎮圧されて 戦車が陸の王者になった >>73
武田と徳川で鉛の鉱山の奪い合いしてるからな
長篠を中心に信濃国境にかけての奥三河には鉱山が点在していた
近年の研究で奥三河には睦平鉛山の存在か確認されてるし、武田と徳川が奥三河の争奪に執念を燃やしたのは鉱山を確保するための争いだったつってことだな >>90
巻き添えで大きな被害を被った宮崎県にとっては迷惑でしかない。 >>91
もともと西郷は調整役としての抜擢だからな。
長州征伐しかり、薩長同盟後しかり戊辰戦争しかり。明治政府のなかでも。 >>86
というか、新政府軍の明治維新時の主力のエンフィールド銃が薩摩に大量に残っていたが、政府軍は後装式のスナイドル銃に換装していた。
政府を作ったのが薩摩である以上薩摩が政府とは別口でスナイドル銃を大量に買えるわけもない。 >>92
輸入はされていたんだけど、当然生産もなされていた。
文書に残っているのはトイレの下の土。浸透した糞尿が硝酸菌の働きで硝石になっている。
実際にはもっと能動的に大規模な硝石製造プラントが稼働していた。 >>47
いや
幕府軍はナポレオン3世から手に入れてたからゲベールマスケット
維新軍も最初はゲベール入れたけど
大村益次郎の判断でミニエー調達するも、スナイドル銃に転換してる
こっちはライフル ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています