>>990
まったくだな
3月11日ではなく3月12日だ


「テレメンタリー」 2012年11月6日(火)放送内容
『“3.11”を忘れない 封印された「メルトダウン」』
https://kakaku.com/tv/channel=10/programID=641/episodeID=601731/

原子力安全保安院

去年3月12日の原子力安全・保安院の会見で燃料の溶融(メルトダウン)が始まっていると話した中村幸一郎審議官の姿は突然会見から消えた。
会見ではさらに大量の放射性物質が放出されるおそれがあることも発表していた。

そして会見から30分後福島第一原発の1号機が水素爆発した。当時官邸にいた菅直人は冷却機能が停止したと聞いた時にこのままいけばメルトダウンだと認識していたと語った。
中村幸一郎の発言は独断の公表で枝野官房長官は、まず官邸に知らせないのはなんたることだと発言したという。そして次の会見に中村幸一郎の姿はなく、その後の会見では担当者が毎回変わり炉心の表現もあいまいになっていった。

そして中村幸一郎は自身のメルトダウン発言を否定した。メディアはメルトダウン発言を大きく取り上げたが、その後の保安院の発言などにより炉心損傷という言い方についていった。
藤森教授は炉心損傷という軽い言葉のシンボル操作を受け入れてしまった、さいしょから炉心溶融だったといえばメディアへの不信感は少なくなっただろうと話した。

こうして中村幸一郎もメルトダウンも消えたまま状況は悪化。福島第一原発3号機も水素爆発。福島産ホウレンソウ、東京23区で乳児による水道水に摂取制限がかけられた。
不自然な交代劇が人々の疑念に拍車をかけていた。枝野幸男氏は中村氏が消えた背景は、私の知る範囲では聞いていないとコメント。しかし保安院には官邸からの圧力のメモが残されていた。

菅直人は、保安院に発表する時は官邸に伝えるようにという指示がその後の発表影響したかもしれないと語る。原子力安全保安院では国民への発表よりも官邸への報告が優先されていた。