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道志村のある丹沢山麓は、古来より仏者や修験者が入山して修行した霊場である。

あるとき道志村に遊びにきていた童女が山中で遭難し行方不明になったことがあった。
不幸にも童女は山中の道に迷い込んでしまい崖地の合間に落ち込んでそこで力尽きてしまったのだ。

それを哀れに思われた毘盧遮那仏さまが蛭ヶ岳に権現され、
童女は毘盧遮那仏さまの元で仏道の修行をすることになった。

2年半もの間丹沢の厳しい風雨雪にさらされることは
高位の阿闍梨でなければ成し遂げられないという千日回峰行にも匹敵する荒行である。
童女は毘盧遮那仏さまの元で菩提道の修行に邁進し、遂には成道することと相成った。

成道するにあたって何か心残りがあってはいけないと思った毘盧遮那仏さまは童女に
「何か心残りになることはないか」
とお尋ねになられた。

すると童女は答えて曰く、
「父母と姉が今もわたくしのことを探してくれていて、そのことだけが気がかりなのです」
と。

それを聞いた毘盧遮那仏さまは道志村の西山の涸れ沢の麓で捜索者に権現され、
童女の骨を見つけ出して届け出たという。

信心の篤い当地の村民たちは、この事跡を以て西山の涸れ沢のことを
「成道ヶ沢」と呼び倣わすようになったと云う。

翌年の春、西山に登った猟師が童女が発見された沢の方面を見ると
一面に美しい花が咲き乱れ、そこはまるで仏典にある極楽浄土のようであったという。
これが転じて「成道ヶ沢」を「浄土ヶ沢」とも呼ぶようになったのである。

云々。