幕末まで当たり前だった日本の男色文化(バイ・ホモ)
衆道(しゅうどう、武士社会のホモ文化)

公家貴族では「悪左府」との異名をもつ藤原氏長者・藤原頼長がタチ、ネコどちらもこなす男色家で10人ほどの男色愛人との赤裸々な性的関係を克明に日記(台記)に記録しており、
奈良東大寺の宗性(そうしょう)のように、およそ100人の稚児と肉体関係を持った僧侶も存在した。

また天台宗や真言宗においては「稚児灌頂(ちごかんじょう)」という儀式が行われ、この儀式後に稚児は僧侶との初夜を迎えた。

その後、室町時代以降に戦地・寝所での護衛など女性が周囲にいない環境にいた武士同士の部下・小姓(10〜16歳頃の少年)との同性愛から発展したのが武士の衆道文化である。