幕末まで当たり前だった日本の男色文化(バイ・ホモ)
衆道(しゅうどう、武士社会のホモ文化)

応永27(1420)年に来日した朝鮮使節の記録には
「日本の将軍は少年を好み、選んで宮中に入れている。そこには、仕えている女性も多いが、特に少年を好んで愛している。国中の武士たちもこれをならって、皆、将軍のように少年を好んでいる」(老松堂日本行録)とあり、

武家社会の男色は、それまでの一部の公家の美少年趣味とは異なり、女人禁制の戦場で武将に仕える「小姓(武士の身辺の世話をする雑用係)」として連れて行った部下に手を出したことなどが始まりだとされる。

また武士の中には幼少期に寺で教育を受ける者もいたため、寺でそうした慣習を覚えるということもあったといわれる。