2022年06月28日11時00分

 瞽女(ごぜ)さんを知っていますか? 旅をしながら家々の門口で三味線を弾き、唄う盲目の女性旅芸人のことです。今から50年ほど前、越後の街道や山を瞽女さんと一緒に旅をしてその姿を写真に残した人がいます。

 写真家の橋本照嵩さんです。写真から伝わってくるのは、どんな境遇にもくさらず、たくましく生きた瞽女の日常であり、彼女らを温かく受け入れる村人の姿です。橋本さんに瞽女さんとの旅について聞きました。(ライター、編集者 金丸裕子)





戦後姿を消した瞽女さん

 「世話になった人を訪ねて村から村を旅し、すずめのさえずりで目を覚ます。村の風を感じ、瞽女宿の匂いの中、三味唄でさわぐのがいいんだがのう」

 家々の門口に立って芸を行い、その報酬として金品を受け取る、いわゆる「門付け」をしながら旅をしたある瞽女は、橋本さんにそう語ったそうです。橋本さんは瞽女たちと一緒に旅をするうちに、ひたむきに大地を踏みしめて生きる様子に引かれていきました。

 瞽女とは、生きるために三味線をたずさえ、村々を回って唄った女性旅芸人です。福祉制度のなかった時代、目の見えない女性が暮らしを立てる道は限られていました。幼い頃に「口寄せ(霊媒師)になるか、瞽女になるか」と親に問われ、瞽女を選んだ女性が多かったそうです。

 旅する瞽女の姿は、昭和の初め頃までは日本各地で見られました。戦後になり、社会が変わるなかで瞽女たちは廃業していきました。現在、瞽女唄を継承する人々はいますが、瞽女そのものは消えてしまいました。






一緒に旅した50年前の風景

 橋本さんは、越後の風土と暮らしの中で門付けをする瞽女さんを撮るために、1972年3月から1973年5月まで「長岡瞽女」とよばれる人たちと旅をし、撮影をしました。

 風花が舞う春のあぜ道を、すげ笠をかぶり、重い荷を背負った3人の瞽女が縦一列に並んで歩くモノクロ写真に始まり、農家の縁側に腰掛けて瞽女が三味線を弾くのを夏服の少女たちが眺める一枚、湯船につかったり、唄を聴かせたお礼にもらった千円札を手に笑ったりするものも……。
橋本さんの写真から瞽女たちが飛び出して動きはじめ、冗談を言い合いながら歩いたり、村人たちとばか話をしたり、三味線を弾いて唄いだすかのようです。50年前に旅をしていた瞽女たちがすぐ目の前にいるように感じられるのです。

 改めて橋本さんからお話を伺い、瞽女の暮らしや文化、彼女らを見守ってきた地域性について、写真とともにご紹介していきたいと思います。

 橋本さんが瞽女を撮りたいと思い立ったのは1970年でした。

 「高田瞽女最後の親方だった杉本キクイさんが国の無形文化財に選ばれたという記事を新聞で読み、これをやりたいと思ったんです。『アサヒグラフ』に掛け合うと、お前に合っているかもしれないとすぐに取材許可が下りました。
杉本キクイさんを訪ねると、養女の杉本シズさんが風邪で寝込んでいるから家には上げられないといわれました。杉本さんはもう旅には出ていないということでしたが、取材をする中で、
門付けをしながら村を回っている長岡瞽女がいることを教えてくれました。翌年の春先に再び連絡をすると、シズさんが回復したからと、撮影させてもらうことができました」







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