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>>404
消印が昭和62年(1987)5月5日になってるがその2年前から
朝日ジャーナルという雑誌で統一教会の危険性が告発され始めた
これに文鮮明が激怒して朝日新聞を散弾銃で襲撃し始めたらしい
消印のちょうど2日前、5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃されて
社員が散弾銃で射殺されてる
問題は、これと前後して複数の事件を起こしてて、全部に散弾銃が使われている点。
文鮮明の自伝では、韓国から密輸された散弾銃が10万丁あったらしい。
冷戦下は反共の建前があったとはいえ、ソビエト崩壊のタイミングあたりで、なぜ破防法が適用出来なかったのか。