【こうもん】 江戸時代の閘門開閉を実演 さいたま市 [朝一から閉店までφ★]
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2022年08月26日08時00分
江戸時代中期に造られ、閘門(こうもん)式運河として日本有数の歴史があるとされる、さいたま市緑区の国指定史跡「見沼通船堀」で、閘門開閉の実演が3年ぶりに行われた。
見沼通船堀は、規模は小さいものの、同じ方式のパナマ運河より180年以上前の1731年に完成した。最大の特徴は、見沼代用水路と芝川の約3メートルの水位差を克服する仕組み。角落(かくおとし)と呼ばれる細長い板を水門に積み重ねることで水の流れをせき止め、水位を調整し舟を通す。
見学に来ていた見沼区の小学1年生の女児(7)は「水が多くなるのがすごかった」と驚いた様子。母親(41)は「有名なので一度見たかった。機械を使わず、昔ながらの手法で水を止められるのは、歴史を感じる」と話した。【もぎたて便】
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022082500648&g=jfn 徳川から政権かっぱらって77年後に無条件降伏
それから77年、衰退まっしぐら
徳川家に大政奉還しろよ こうもんが開いたり閉じたりするのをねっとり観察するのか 江戸時代にも運河あったんだな
中国からの知識なんかな 閘門があるということは、干満で海水が埼玉まで上がってくるという事。 >>17
古墳時代からある
難波の堀江(なにわのほりえ)は、仁徳天皇(オオサザキ大王)が
難波(現代の大阪市)に築いたとされる水路(または運河)である。 >>28
今思えば絶コーモン返しは貨幣損傷等取締法に違反するよね >>17
ここは芝川と見沼代用水を結んでるんだが、
こな用水沿いにはヘルシーロードと言うサイクリングロードがあって、埼玉圏をママチャリでも縦断出来てしまう
見沼代用水(みぬまだいようすい)は、江戸時代の1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために、武蔵国に普請した灌漑農業用水のことである。名前の通り、灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路であった。現在の埼玉県行田市付近の利根川から取水され、東縁代用水路は東京都足立区、西縁見沼代用水路は埼玉県川口市に至る。
全長85キロ
埼玉・東京の葛西用水路、愛知県の明治用水とならび、日本三大農業用水と称されている[3]。疏水百選にも選定され、かんがい施設遺産に登録されている。 取水口の利根大堰では鮭の俎上が見られるよ
途中の行田には古代蓮公園とか教科書にも載っている国宝の鉄剣の出土したさきたま古墳群とか忍城とかあるし、
荒川まで延々と続く桜並木は圧巻の一言
特におススメなのが、見沼田んぼを取り囲む見沼代用水西縁と東縁の桜並木
見沼氷川公園にはカカシのデカい銅像があって、唱歌山田のカカシの由来とされてる 江戸のインフラを支えた小室藩主伊那氏がいなかったら江戸の太平は続かず近代日本の世界列強の仲間入りもなかったのだよ。
埼玉なくして今の日本は存在しなかったのにみんなさいたまを敬おう(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています