2022年9月2日 6:00

 仙台市の「戦後処理」の象徴ともいわれる青葉区川内の追廻(おいまわし)住宅の移転問題で、最後の1軒となっていた60代男性が市の補償に応じ、移転に同意したことが1日、分かった。市が70年以上にわたって積み残してきた仙台の「戦後」が終わりを迎える。ただ、仙台地裁で係争中の国との訴訟は、土地利用料の部分で折り合いがつかず、全面解決にはまだ時間がかかる見込みだ。




国と係争中、全面解決にはなお時間

 土地を所有する国が男性に建物を撤去して土地を国に明け渡すよう求めて2020年10月に提訴していた。男性側は借地権を主張して争っていた。男性と市は今年8月11日、市の補償の下で23年3月までに建物から退去することで同意した。一方、国は遅延損害金を求めており、和解協議は難航している。

 訴状などによると、追廻住宅は国が1946年に応急住宅として約620戸を整備、51年に事業主体の住宅営団が解散したことに伴い住民が建物を買い取って暮らしてきた。市は46年に地域を公園用地にする都市計画を決定。以後、国や市が移転交渉を続けてきた。

 一方で市は73年に住宅の新築や増改築を認め、77年には住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)の一般融資が受けられるようになったため、住民らの新築が相次ぎ、問題が複雑化した。

 住民らは毎年国に土地代を支払い続け、大半は2006年9月で契約を終えた。男性は借地権の契約更新を国に請求したが、国は認めず猶予期間を経て提訴に踏み切った。





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https://kahoku.news/articles/20220901khn000039.html