仙台の中心街で50年以上にわたり、働く人たちのおなかを満たしてきた立ち食いそばの店がある。「そばの神田」。その名から全国チェーンと思い込んでいる人も少なくないが、れっきとした地元資本。10月8日の「そばの日」を前に「うまい、早い、安い」の秘密に迫った。(編集局コンテンツセンター・佐藤理史)

学生向けの「立ち食い」店
 「いらっしゃいませ」「そばですか? うどんですか?」。威勢よい声が迎える。

 9月末の平日午後2時、青葉区中央3丁目の駅前南町通り店を訪ねた。約45平方メートルの店内で、10人前後がそばをすすっていた。ピークは午前11時~午後1時半の昼飯時。多い店は1時間に150食を売り上げる。

 かんだ商事(青葉区、従業員約60人)が仙台市中心部に立ち食いスタイルの「東一屋」5店、仙台市若林区と多賀城市にあるロードサイド店「町前屋」2店を展開する。7店で1日平均約4000食、年間150万食を売る。

 1965年、先代の小笠原章彦さん(故人)が東京の早稲田、御茶ノ水、水道橋で開いた店がルーツ。当時は駅舎外の立ち食いそば店が珍しく、学生の多い地域を狙ったもくろみが当たった。同年、早稲田大第二文学部に入学した俳優吉永小百合さん(77)も評判を聞きつけ食べにきたらしい。

「神田の生まれ」で店名に
 かんだ商事によると、4年ほどで東京を離れ、宮城県に拠点を移した事情は定かではない。初めに開いた塩釜市のJR本塩釜駅近くの店が軌道に乗り、1969年8月、仙台の一番町店を構えた。当時はかけそば40円、てんぷらそば55円。85年までに名掛丁店、駅前店と勢力を伸ばした。

 気になる店名の由来は、章彦さんが東京・神田生まれだからだという。「東京資本と勘違いしているお客さまは多いようです。仙台から引っ越した後に『あれ? ない?』ということがあると聞きます」(小笠原雅子経営本部広報担当、以下同)。

 昔ながらの経営に磨きをかけたのは長男拓さん(57)。製薬業界から転身し、2000年に社長を引き継いだ。04年以降、ゆでそばから、自社製の生そばへと徐々に切り替えた。

 05年には若林区卸町にセントラルキッチンを設けた。そば打ち、かつお節削り、野菜の下ごしらえなどを約10人のスタッフが引き受ける。経費の削減、店舗での調理時間の短縮、品質の安定化を一挙に果たした。

 そば粉は殻を除いた「丸抜き」と殻ごとひいた「ひきぐるみ」を独自に配合し、香りと喉ごしの良さを追求。打ちたてを食べてもらおうと1日3、4回に分けて各店に配達している。だしは鹿児島県枕崎産のかつお節、さば節を厳選する。

女性客増え、家族連れも
 さりとて、かけそば330円の大衆店。物価高の折、ほぼワンコインに収まる価格帯が大きな魅力だ。安さとうまさのあんばいが重要になる。早さも大事。ゆで時間は1分20秒で、食券を受けてから2分での提供を目指している。(混雑時や注文内容によって5分ほどかかる場合がある)

 近年は店内を明るくきれいに改装していることもあり、客層に変化が見える。女性客が増え、休日は朝食時に家族連れが訪れるという。「お子さまは立って食べること自体が新鮮みたいで喜んでいます」

 コロナ禍で2020年春に6割まで減った売り上げは9割方、回復した。18年に始めた椅子席だけのロードサイド店がけん引する。「高齢者や子連れのお客さまも入りやすいと好評をいただいています。丼物も多く、ファミリーレストラン感覚で利用されています」

 10月から新そばのシーズンが本格化するが、1年を通して最も客が入るのは年末だという。「ゆっくり座って食事できないほど、忙しい時期なのでしょう」。「そば神(かん)」の繁盛は、仙台の活気のバロメーターと言えるかもしれない。

[人気メニュー・トップ3](略)

[そばの日]新そばシーズンで、十は「そ」、八は「ば」と読めることからこの日になった。おいしいそばをより多くの人に味わってもらおうと、東京都麺類生活衛生同業組合(約2500店加盟)が制定した。

河北新報 2022年10月6日 6:00
https://kahoku.news/articles/20221005khn000022.html