工藤会とかいう和製のホテルモスクワ
手榴弾を使わないと一線を越えた扱いにならないとかかさすが修羅の国
工藤会はいわゆる「カタギ」の一般市民も攻撃対象とするという点で特に知られてきた^[59]。
みかじめ料の要求を断った健康センターに殺鼠剤を撒布(1988年)^[60]、
福岡の中国総領事館を散弾銃で攻撃(1988年)^[61]、
福岡県警元暴力団担当警部宅にガソリンを撒布し放火(1988年)^[62]、
資金問題で揉めた相手を散弾銃で至近距離から銃撃(1990年)^[60]、
パチンコ店や区役所出張所などを17件前後にわたって連続的に銃撃(1994年)、
港湾利権への介入を断られたことへの報復として元漁協組合長を射殺した北九州元漁協組合長射殺事件(1998年)^[63]、
2000年代以降のものでは、暴力団事務所撤去の運動に取り組んでいた商店に車両で突撃^[62]、
暴力追放を公約に掲げて当選した中間市長の後援市議を襲撃^[62]、
警察官舎敷地内の乗用車に爆弾を設置^[62]、
九州電力の松尾新吾会長宅に爆発物を投擲^[64]、
西部ガスの田中優次社長宅への手榴弾投擲及び同社関連会社と同社役員の親族宅を銃撃^[65]、
暴力団追放運動主導者の経営するクラブに手榴弾を投擲^[66]、
次期首相であった安倍晋三の下関市の自宅と後援会事務所に火炎瓶を投擲した安倍晋三宅火炎瓶投擲事件^[67]、
あいさつ料を要求する目的で大林組従業員を路上で銃撃^[68]、
みかじめ料を要求する目的で建設会社社長の車を銃撃^[69]、
トヨタ自動車九州の小倉工場に爆発物を投擲^[70]、
工藤会追放運動を推進していた自治連役員宅を銃撃^[71]、
みかじめ料の要求を断ったパチンコ店を火炎瓶や放火などをもって執拗に攻撃^[72]、
暴力追放運動を推進していた建設会社役員を射殺^[73]、
中間市の黒瀬建設社長が銃撃された黒瀬建設社長銃撃事件^[74]、
あいさつ料の要求を断った清水建設従業員を銃撃^[75]、
元工藤会担当県警警部を路上で銃撃^[76]、
みかじめ料の要求を断った飲食店を放火や刃物などをもって執拗に攻撃^[60]、
1998年に射殺された元漁協組合長の弟を射殺、^[77]、
1998年に射殺された元漁協組合長の孫を襲撃^[78]、
漁協関連会社の元女性従業員を襲撃^[79]、などが幅広い報道の対象となった。