表面だけをなぞって、その深層を見る能力も意欲もない人が、何を語ろうが、何の価値も生み出さず、そりゃあ薄っぺらな意見になるわなぁ。

信者の二世の辛さは、統一教会に限らず、エホバの証人でも、創価学会でも、生長の家でも、酷い青春期を強いられた者は沢山いる。

無害に見えるカトリック司祭の息子も、プロテスタント牧師の子供も、お寺の坊主のせがれも、圧力に押し潰されそうになった二世は、数えきれない。

そうやって親に生き方を押し付けられた人の苦しみを想像できない人が、その苦しみを訴えている人の経験を知ろうともせずに、自分のチンケな経験の範囲で物事を語っても、話にならない。
どの大学だろうが、何学部だろうが、どーでもいい。
私は、そんな薄学をさらけ出すことに恥ずかしさを感じない三浦氏に、同情してしまう。