卑弥呼が死んだのが247年ころと考えられ 現在注目されている箸墓古墳が250年ころに建設されたとわかってきたので

箸墓古墳に埋葬されたとされる倭迹迹日百襲姫が卑弥呼だと考えるのが有力になってきました。
ちなみに、この箸墓古墳、建設当時は400mを越える巨大なものだった事がわかってきて これは規模でいえば仁徳天皇稜クラスですから、絶大な権力をもっていた事がわかります。
また、箸墓古墳は前方後円墳ですので、いわゆる天皇の一族だと言えるので 当時の統治者が天皇家で、卑弥呼はその一族である。と言う説が成り立ちます。
さて、倭迹迹日百襲姫にはもうひとつの伝説があります。
それは、陰部を刺されて死ぬと言う異常な死に方をしているところです。

神話では、スサノオがアマテラスの女官の陰部を刺して殺し、アマテラスが怒って岩戸にこもった訳ですから。
この女官が倭迹迹日百襲姫となり、卑弥呼が死んだ年に起こった247年の日食とつながる訳です。
このへんで推理小説的には、もう謎は解けた!って感じかと思いますが。
質問の卑弥呼の時代の天皇ですが、倭迹迹日百襲姫は7代天皇の娘です。
かなり長寿だったようで、生きている間に8代、9代、10代と変わっています。

10代が崇神天皇で、8-9代の時代に倭迹迹日百襲姫が実権をにぎって 10代で崇神天皇にバトンタッチしたと言う感じじゃないかと。
で崇神天皇の娘が豊鍬入姫(とよすきいりひめ)で、アマテラスを祭る初代斎宮になっています。
もう、おわかりですね。

卑弥呼の後を継いだされるトヨです。