密は大久保利通の大坂遷都建白書を読むと即座に江戸遷都論を執筆、大久保に書き送った。

密は次の4点から江戸に遷都すべきだと論理的にのべている。

@蝦夷地を含めると江戸が日本の中心になる。

A大坂平野よりも関東平野がはるかに広大であり開発の余地がある。

B江戸には大名屋敷が数多くあり活用できるため経済的である。

C大坂は首都でなくても商都として衰えることはないが、江戸は都でなければ寂れてしまう。

以上のように壮大でダイナミックな江戸遷都構想論に大久保も啓発され、最終的に江戸が東京と名を改められて日本の首都に決定したのである。

https://ameblo.jp/historykunibo/entry-12700143193.html