聖書から学ぶように、神は人の死を望まず、悪人さえも生かしたい(エゼキエル18:23-32)。
人類の始まりから、人間同士の殺し合いは残念ながらあったが、
その悲惨な現状を描くカインとアベルの物語(創世記4:1-16)の中で印象的なしめくくりがある。

殺人者として罰を受け、追放されるカインに対して
「主は、彼に出会うものが、誰も彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった」(創世記4:15)
と言われているのだ。
加害者は、被害者に対する加害者であると同時に、自分自身に対する加害者でもある。
わたしたちがそれに気づくなら、彼らが回心するように願い、
そのための機会と時間を与えたいと望むだろうが、
死刑制度はそれを不可能にする
(ルカ23:34「父よ、彼らを許してください。彼らは自分が何をしているか、わかっていないからです」)。
被害者の遺族が加害者に対して愛情を感じたりすることは無理だろうが、
加害者が自分の犯した罪を認め回心するように、遺族が祈ることができるようになれば、遺族自身も癒されよう
(マタイ5:44「あなたたちを迫害する者のために祈れ」)。

http://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/bulletin/no100/bujp1002.html