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日本語の不自由なwゼレンスキーファンのモーホーでジョー・バイデンファンのモーホーの>>241

フォート・デトリック研究所とは?
 1943年から1969年にかけてアメリカ合衆国生物兵器プログラムの中心施設として生物兵器の開発や実験、生産が行われ、1946年頃から旧日本軍
 の731部隊による実験資料が持ち込まれたとされるが、最初の本格的な活動は炭疽菌の大量培養で、次いでブルセラ菌・野兎病菌の培養のための
 建物が建設され、1943年8月から1945年12月までに、ハツカネズミ60万頭・モルモット3万頭・サル166頭を含む17種類の動物が使用されたとの事。
 1950年、容量1000m3の球形の大型実験設備「エイトボール」が完成、野兎病菌を詰めた爆弾の最初の実験が行われ、次いで炭疽菌の実験が行わ
 れたが、2000頭のアカゲザルがこの実験に用いられたとの事。
 1969年、リチャード・ニクソン大統領は攻撃用の生物兵器を作らないと言明したが、以降はアメリカ陸軍感染症医学研究所が設置され、対生物
 兵器・生物テロの防護研究を行っているとされるが、同研究所は、バイオセーフティーレベル4の高度な設備を持ち、防護研究用として、現在で
 も少量の生物兵器が配備されているとの事。
 1971年から1976年7月にかけて、研究所は韓国内で大量の胎児の腎臓を買い付けていたことが明らかになっているが、腎臓は中絶手術によって取
 り出された胎児のもので、持ち込まれた腎臓は流行性出血熱の研究に用いられていたとされているとの事。
 フォート・デトリックでは過去に4名の研究者が感染事故によって死亡しているが、2001年に発生したアメリカ炭疽菌事件の犯行に使用された炭
 疽菌株は、当施設で保管されていたものだったとの事。