1955年に発生した森永ヒ素ミルク中毒事件で同じ年から被害者救済運動を叩き潰し、翌年以降はメディアからも被害者運動の存在を完全に抹殺しきった森永乳業が、「潰し切った」と思い込んで調子に乗り、1967年に発刊した『森永乳業50年史は、まさに犯罪企業の悪魔の辞典と呼べるものである。
その中に、事件を発生せしめた「赤ちゃんコンクール」や森永と行政・メディアとの癒着、その後の事件圧殺を狙った計画的なプロパガンダについて自慢げに語る異様な対談記録が収録されている。電通はもちろん森永の下請けに過ぎないが人道主義を無視したその思考方法は加害企業のそれと見事なまでに一致している