0001蚤の市 ★
2023/02/24(金) 08:03:47.18ID:+uXsQHpi9朝はいつもより少し早く目が覚めた。午前7時すぎにいわき市内の自宅を出て、車で約1時間余り。2日、開業初日を迎えた真新しい診療所で白衣に袖を通した。
原発事故前、JR双葉駅近くで耳鼻咽喉科「ふたばクリニック」を開業していた。町内で患者を診るのは約12年ぶりだ。「ちょっと緊張したかな」と優しい口調で語った。
同県富岡町で生まれ育った。山形大医学部を卒業後、東北大の医局に入り、主に同県浜通りの病院に勤務した。40歳の時、妻の実家を引き継ぐ形で双葉町内でクリニックを開いた。
「あの日」を境に日常は一変した。原発事故が起き、避難を余儀なくされた。妻らと一緒に車に乗り込んで町の広報無線の指示に従って慣れ親しんだ自宅を離れ、浪江町の津島地区にたどり着いた。
知人の赤ちゃんの薬をもらいに向かった同地区の診療所は、着の身着のまま逃げてきた人であふれかえっていた。診察を手伝ったが、さまざまな症状を訴える患者を前にして「戦力になれなかった」。
避難した会津若松市内の病院で2年、いわき市内の病院で6年、耳鼻科医として勤めた。新型コロナウイルスが広がってからは思うような診察ができず、医師としてどうあるべきか考えを巡らせる日が続いた。
一部区域の避難指示解除を控えていた昨年5月、町から診療所の医師への就任を打診された。浪江での出来事が頭をよぎる。「双葉に戻る人は高齢者が多い。内科的な知識が必要だ」。引き受けるに当たって、学び直しを決意する。
いわき市内の総合病院の内科で、診察しながら学ぶ機会を得た。若い医師に積極的に話しかけ、医学書が入った携帯端末も使う。「年は関係ない。教えてくれる人が先生」。刺激を受けながら、研修と実践を重ねる。
戻る人と社会の「接点」に
町診療所の開業初日に診察した患者は、避難先で通っていた病院の紹介状を手にした高齢の女性1人だった。じっくりと話を聞き、薬を処方する。「2週間後にまた来てくださいね」と丁寧に語りかけた。
医療を提供し、住民が安心して暮らせる環境づくりに貢献するのはもちろん、診療所が地元に戻る人と社会とを結び付ける「接点」になれればいいと考えている。
診療所の診察は週2回。総合病院にも週1回行って研さんを積む。行き来は体力的に楽ではないが、自分のできる範囲で地域の力になろうと心に決めた。「地元の言葉で、気楽に話せる雰囲気を大事にしたい。来る人たちのたまり場みたいになるといいね」
河北新報 2023年2月24日 6:00
https://kahoku.news/articles/20230223khn000024.html