>>274

元TBS社員 「うちの局がこんなになってしまった経緯を話しましょう」

その1

(1) 1960年代~
テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例え ば「朝鮮民主人民共和国」 を “北朝鮮” と呼んでしまった、など)に対して、
朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。

彼等はヤクザまがいの風貌で自宅にまで押しかける始末だった。
抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に “在日枠” が密かに設けられる。
総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(形だけの面接)での採用が毎年続く。

在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に 「お願い」 をして更にに弱みを握られるなど、
素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく。

(2) 1970年代~
政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。
在日社員の 「反日番組」 を 「権力に対するペンの戦い」 「調査報道」 と勘違いした経営幹部が 社内で在日を積極登用。

「日本人社員と在日社員に昇進の差別があってはならない」 などと理想論を述べたのは良かったが、結果を見れば昇進差別をしなかったのは甘い日本人だけ、

課長、部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底し、異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる。

(3) 1980年代~90年代
昇進した在日社員が主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など、 決定的なポストを占める。

某サヨク週刊誌の在日の朝鮮人編集長(筑紫哲也)をキャスターに迎えたニュース23の番組が学生時代に学生運動に没頭した団塊の世代の視聴者の支持により高い視聴率を得る。