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以前のWikipediaより

1992年12月には、「尊師」に次ぐ位階の「正大師」に昇進。「マイトレーヤ正大師」として1990年の武装化開始後は生物化学兵器開発に関与し、亀戸異臭事件にも参加した。1993年9月にはロシア支部長に就任[4]。
1992年よりロシア支部に派遣されている[19]。早川紀代秀曰くロシアでの上祐は「グルのようで、小麻原みたいになっていた」[20]。

テロ活動に関する謀議では、参加はしていたものの肯定的でなかったことから麻原に叱責を受けたと語るが[4]、野田成人によると、どうせ失敗するのではと考える他の信者をよそに「絶対にこのプロジェクトは成功させるからな!」と張り切っていたという[18]。

オウムに批判的なあらゆる意見に対して徹底的に反論、数々の疑惑事件は○価学会や米軍、自衛隊を初めとする国家権力の陰謀であり、サリン被害を受けているのはオウムだとの見解を示し続けた。海外メディアに対しても堪能な英語で反論した[注釈 6]。なお、青山も村井も上祐もサリンに関わっていた。

「まぁただ私はあまりごちゃごちゃ言いたくないんですよ、これ(フリップ)見たら分かるでしょう? 馬鹿らしいですよこんなの!」と言いながらフリップを投げたり、村井秀夫刺殺事件直後の会見では、記者が今度の事件で麻原彰晃代表が会見を開くのかと質問したところ、「麻原を殺す気ですか今度は? 麻原を殺す気ですか? 今度は!? 尊師を今度は殺すんですか!?」と激昂した[21]。