【埼玉】乳児 全治約4週間の大けが 逆さづりか 両親逮捕 上尾 [ぐれ★]
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※2023年5月10日 17時53分
NHK
ことし2月、埼玉県上尾市で生後2か月の乳児の右足をつかんで逆さづりにし、足の骨を折る大けがをさせたとして、30代の両親が傷害の疑いで逮捕されました。乳児は、ほかにもけがをして現在も病院で手当てを受けていて、警察が当時の状況や詳しいいきさつを調べています。
警察などによりますと、ことし2月、当時、埼玉県上尾市に住んでいた生後2か月の乳児が意識不明の状態で病院に運ばれ、病院は虐待が疑われるとして警察に通報しました。
警察が調べたところ、右足のくるぶしの付近の骨を折る全治およそ4週間の大けがをしていたことが分かったということです。
続きは↓
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230510/k10014062841000.html >>2
正確には『日本に住んでる人』な。
ヲタクも含めて出自を書いてないわけだから。 >>7
自民党は悪くないって書きなよ
わかりにくいよ 日本では、平安時代の『今昔物語集』に既に堕胎に関する記載が見られるが、堕胎と「間引き」即ち「子殺し」が最も盛んだったのは江戸時代である。関東地方と東北地方では農民階級の貧困が原因で「間引き」が特に盛んに行われ、都市では工商階級の風俗退廃による不義密通の横行が主な原因で行われた。また小禄の武士階級でも行われた。
当時、妊娠前に育児を調整する手段や知識が乏しかったので、妊娠または分娩の後に間引くのが普通だった。妊娠中の手段としては、腹をもんだり、ほおずきの根を差し入れて流産を促す(掻爬)手段があり、しばしば母体が危険に晒された。分娩後の間引きとしては、膝やふとんで窒息させる方法、石臼で圧殺する方法、濡らした紙を顔にはって窒息させる方法などがよく行われた。多くの場合、取り上げ婆(明治に免許制になる前の産婆)により行われた。
江戸幕府や諸藩の領主たちは労働力減少や田畑の荒廃を恐れ、しばしば堕胎や間引きを禁じたが、それで罰せられるのは稀であり、大人の殺人と同等に扱われた例もない。そのため間引きの風習は明治まで続くこととなった。
仏教や神道は出産に関わる事を禁忌としており、胎児や新生児に関して語る事は無かった。また、赤ん坊は初宮参りという通過儀礼を済ませる事によって産褥が終了し、人間社会の一員になるという一般認識があった。乳児死亡率の高かった当時、「七歳までは神のうち」という言葉が伝えられる地域があるように、子供を正式な人間と扱うようになる期間には地域によって違いがあった。 土地持ちの農村社会では子供が安く扱われる様になるのは事実 とにかく結婚して家族持つと勝ち組だそうな 気分次第で我が子を半殺しに痛めつけ嬲るこいつらも勝ち組という分類でw >>4
まあそれは的を得てるな、絵馬にまで残してるから
鎖国して自国内で養う為に人工調整するのか、人工調整せずにガンガン外国に侵略戦争起こして人工調整するのかの違いやし アベノミクスの効果無し、コロナ禍収入減→間引き‥怖 >>10
人間の赤ちゃんの未熟さや目の位置を見ると
どちらかと言うと人間は肉食動物寄りだなと感じる >>14
そんな日常なかったよ
平気で嘘吐く地域に産まれなくてよかったわ 埼玉で貧乏人でも暮らせるのは北本より北だからな。それより南はかなり無理しないと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています