・1940年5月13日、日本陸軍と海軍の間で「百一号作戦ニ関ス
ル陸海軍協定」及び「百一号作戦ニ於ケル攻撃実施要領ニ関
スル陸海軍協定」が結ばれ、陸海軍共同の”百一号作戦”として
5月18日から9月4日まで実施された。協定では
「陸海軍航空部隊は本協定期間中主攻撃目標を重慶市街及び
その周辺(極力第三国権益の被害を避く)に指向し兵力及び天
候の許す限り攻撃を持続す……陸海軍は六月中旬以降月明利用
期間は極力昼夜に亘り連続攻撃を実施す」
と定め、米英など第三国の権益所在地を極力避けるよう配慮さ
れたが、中国人が居住する市街地は徹底した爆撃の対象とし
、昼夜の別なく攻撃を続けることとした。
攻撃目標は「援蒋ルート」「敵航空兵力」「政府機関」「軍事
施設」としながらも、一般市民が集結する重慶大学附近や城内
中央部も含まれていた。
6月中旬以降は重慶市街地をAからHまでに区分して、各地区
を順次徹底的に絨緞爆撃する戦術が採用された。後の「戦闘詳
報」には市街地をA区、B区、C区などに区分した「爆弾弾着図」が
作成された。
重慶方面に対する攻撃日数は41日、その他の地域が30日で、奥
地攻撃全体で71日(海軍50日、陸軍21日)行われ、使用した
爆撃機は延べ4354機(海軍3627機、陸軍727機)で、投下し
た爆弾は2万7243発(海軍2万4121発、陸軍3122発)に達した。

無差別爆撃は国際法ハーグ陸戦条約「軍事目的主義」に違反。
「重慶大爆撃裁判」で東京地裁は被害者への損害賠償は破棄
したが、市街地=非軍事施設への爆撃を国際法違反と認定。