以下、第13師団山田支隊所属の”山砲兵19
連隊”及び”歩兵第65連隊”の兵士らの陣中日記

・山砲兵19連隊・黒須忠則(上等兵)
「12月16日 捕虜せし支那兵の一部、5000名を揚子江の
沿岸につれ出し、機関銃を持って射殺す。その后銃剣にて思
う存分突き刺す。自分もこの時ばかり30人も突き刺したこと
であろう。山となっている死人の上を上がって突き刺す気持
ちは、鬼をもひしがん勇気がでて、力いっぱい突き刺したり。
ウーンウーンとうめく支那兵の声、年寄りもいれば子どももい
る。一人残らず殺す。刀を借りて首をも切ってみた」 

・山砲兵19連隊・近藤栄四郎(伍長)
「遂に2万の内3分の1、7千人を今日揚子江畔にて銃殺と
決し護衛に行く、そして全部処分を終る、生き残りを銃剣
にて刺殺する」

・歩兵第65連隊・遠藤高明(少尉)
「12月16日、捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍
命令により捕虜の3分の1を江岸に引出しT(第1大隊)
にて射殺す」

・歩兵第65連隊・大寺隆 (上等兵)
「12月18日、昨夜までに殺した捕リョは約2万、揚子江岸
に2ヶ所に山の様に重なって居るそうだ、7時だが未だ方(片)
付け隊は帰へって来ない。」
「12月19日、午前7時半整列にて清掃作業に行く。揚子
江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に警(驚)く、
石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし。今日の使役兵は
師団全部、午后2時までかかり作業を終わる。」

・歩兵第65連隊・宮本省吾(少尉)
「午后3時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮(虜)兵
約3千を揚子江岸に引率し之を射殺す」