秋田県を襲った記録的な大雨は7月15日の発生から間もなく1カ月がたつ。県内各地で河川が氾濫し、県都・秋田市では内水氾濫も発生。市内の浸水家屋は過去最多5000世帯を超え、県内の住宅被害は8日時点で15市町村の計5854棟に上っている
 大雨で男性1人が死亡した五城目町では、12日午前6時時点で11人が避難所で生活している。

 広範囲が冠水した秋田市は11日時点で床上浸水が3241世帯、床下浸水が2047世帯に上り、記録が残る1927年以降で最も大きな浸水被害となった。市の被害家屋調査は継続中で、世帯数はさらに増える見込み。罹災(りさい)証明書の発行が遅れており、市は人員体制を拡充して対応を急ぐ。

 県内の農林水産業の被害額は135億2800万円に達した。大雨関連では81年の98億7000万円を上回り、過去最大となった。

 水稲など農作物の冠水が7510ヘクタールで確認され、被害額は28億7700万円。農地や農業施設の被害は77億7600万円、林地や林道路肩の崩落の被害が26億2500万円に上る。

 「1カ月近くたって楽になった感覚なんてない。まだまだ大変。先は険しい」

 秋田市南通に住んでいた無職石川公之さん(71)は今月7日、3週間余り続いた避難所暮らしを終え、民間の賃貸アパートに入居した。ひとまず仮の住まいに腰を据えたものの、表情はさえない。

 2年前、重い持病がある弟(65)の介護のため、神戸市に家族を残し秋田市の実家に移った。7月15日は平屋の家が1メートル超も浸水。押し入れの上段で弟と身を寄せ合い、見る見るうちに上昇する水位におびえながら夜を明かした。翌朝、警察のボートで救助された。

 酷暑の中、避難所と自宅を往復し、こつこつと片付けを続けた。「体が持たない」「しんどいな」。心身が休まらない環境がたたってか、安定していた弟の病状が悪化した。

 弟の入院が決まり、8月1日に市の避難所担当者へ伝えると、石川さんも避難所を出るよう言われた。市内で生活し、弟の面倒を見てきた経緯や苦境を理解してもらえなかった。慌てて宿を探したが、秋田竿燈まつり(3〜6日)直前で空きがなく、途方に暮れた。

 結局、避難の継続が認められ、その後に入居可能なアパートも見つかった。ただ、先行きへの不安で頭はいっぱいだ。資金や介護のことを考えると、実家の修繕より、弟を神戸に連れて帰る方が現実的に思える。

 足元には問題がいくつも横たわる。被災直後に申請した罹災証明は、3週間たっても市の認定調査が来ない。弟は退院のめどが立たず、実家の後片付けもまだかかりそうだ。

 「再建に向けて心機一転『さあこれから』って、そんなスタート地点にも立てていない。それでも、できることから一つずつやるしかない」。自身に言い聞かせるようにつぶやくと、室内に残る泥をかき出した。
(秋田総局・柴崎吉敬)


浸水被害に遭った実家で、室内の泥をかき出す石川さん=8日、秋田市南通
 秋田県内では生活再建の見通しが立たない被災者の過労や健康状態の悪化が懸念されている。猛暑が続く中、ストレスが重なり、心身の限界を訴える住民も少なくない。迅速な支援に向け、民間団体と行政が連携を強めている。

 「なんとしても災害関連死を防がなければならない」。秋田市で9日にあった支援関係者の会議で切迫した訴えが相次いだ。

 住宅復旧や生活相談に当たる民間団体と自治体の担当者ら約80人が出席。片付けが手つかずの住宅があることや、罹災証明書の発行が遅れていて公的支援の申請が進まないといった課題を共有した。

 主催した秋田市のNPO法人あきたパートナーシップの畠山順子理事長は「今が関連死を防げるかどうかの分岐点。とにかく声を拾い上げ、必要な支援につなげなければ恐ろしいことになる」と強調した。

 浸水した自宅の2階などで生活する「在宅避難者」も多いとみられ、避難の長期化による影響も出始めている。畠山さんの下にも、家を再建する余力がなく途方に暮れる高齢の男性から「もう無理かもしれない」と悲痛な叫びが届いた。

 畠山さんは「行政と民間団体、それぞれに強みがある。官民の垣根を越えて連携し、手厚い支援につなげていきたい」と話す。
(秋田総局・高橋諒)

河北新報 2023年8月13日 6:00
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