0001ばーど ★
2023/08/13(日) 08:53:57.10ID:FQDzlW2w9「自分の人生に、こんなにいいことが起こるなんて思ってもみなかった」。秀明さんに長女(1)が生まれた日を思い出すたびに、小澤さんには、柔らかな笑みがこぼれる。事故があってから、一日一日を送るだけで精いっぱいだった。
85年8月12日、包装機器メーカーで働く夫の孝之さん(当時29歳)が東京への日帰り出張から戻るのを自宅で待っていた。地域のバレーボールチームで知り合って結婚し、当時は妊娠4カ月。孝之さんもおなかに耳を当てながら、新しい家族を心待ちにしていた。「ほんとに幸せだなって思っていました」
だが、孝之さんを乗せた羽田発の日航123便は午後6時56分、伊丹空港に向かう途中に墜落した。身重の小澤さんは、御巣鷹に向かうのを止められた。代わりに現場に行く実兄に、バレーボールを供えてきてほしいと頼んだ。球には「立派な子供を生みます。天国から見守ってください」とメッセージが書かれた。
翌年に秀明さんが生まれ、3DKの公団住宅で2人暮らしが始まった。夫婦の思い出をたくさん話した。「お父さん、何でも『これおいしい』って食べてくれたんよ」「ここの体育館にバレーボールの練習でお父さんと一緒に行ってん」。自分の胸の中に夫がいるように、秀明さんの中にも父親がいてほしいと願った。
ふと、寂しさに襲われたり、仕事に疲れて帰宅したりした時も、秀明さんは学校での出来事を面白おかしく話して笑わせてくれた。
秀明さんは18年に結婚。首も据わらない長女を抱き上げて「父は楽しみにしていた我が子に会えないまま旅立ってしまったんだ」と改めて思った。風邪を引いた長女が夜中ぐずって眠らない時、「僕たちはうれしいこともしんどいことも夫婦で共有できる。母は1人だったから大変やったやろな」と気づいた。
今年の父の日。「父親になったんだ」と実感したという秀明さんは、LINE(ライン)で「よく頑張りました」と母にねぎらいのメッセージを送った。小澤さんは「ありがとう。あなたがいたから、生きてこられた」と返信した。
以下全文はソース先で
毎日新聞 2023/8/12 19:39(最終更新 8/12 22:55)
https://mainichi.jp/articles/20230812/k00/00m/040/251000c
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2023/08/12/20230812k0000m040254000p/9.jpg