ヤマト国=邪馬台国

西暦180年頃、即ち桓霊の頃に畿内で突如銅鐸文化が消滅し、九州系の銅鏡文化に祭祀が変わる。そして纏向遺跡の建造が開始されて纏向型前方後円墳が出現する。

これは九州勢力によって畿内の銅鐸文化人が征服された事を意味しており、邪馬台国の成立が神武東征神話の元ネタだったことが分かるだろう。

あの巨大な纏向遺跡は少人数の征服者では建設が出来ない。畿内の征服は西日本各国が連合して行われた大規模なものであったろう。この連合を纏めた大首長がいたはずである。

普通に考えればこれこそが邪馬台国つまりヤマト王権の初代王と大斎王の卑弥呼だろう。

ネトウヨは涙目だろうが、ジャップは国家設立の頃に中華の属国となったのである。