幼き台与のその後は本当謎
巫女を表す漢字が霊だが台与は孝霊の漢字諡号と関係あるのかもな
摂津風土記にはトヨウケは摂津の飯盛山にいたが障ることがあり丹後に帰ったとある
神の時代から人の時代への境を生きた王だったのかもな

因みに古墳時代に従軍する巫女の一群の埴輪が見つかっている
鏡を掲げ櫛を挿した巫女たち
巫女の役目は軍を纏めることだったんじゃないか?

孝霊は孝の巫女の意味だ
処女を軍や民衆を纏める為に捧げる風習があったのだろうか

元は始まり、源、首長という意味の漢字だな
孝元は孝の長が姿を現すという意味だろうか
神々を逃し人の世にバトンタッチする手配をしたのかな?
弥生時代末期まで営まれていた奈良や大阪のヒスイの勾玉や銅鐸が見つかったたくさんの集落は弥生時代末期に営みを終える

熊野川の辺りの微高地に弥生時代末期〜古墳時代前期に営まれた集落跡が見つかっていて、その上には事解男が祀られている神社が建てられている
対岸のゴトビキ岩という磐座からは銅鐸を模した石製品と銅鐸の破片が見つかっている