イスラエル軍とイスラム組織ハマスの衝突から28日で3週間となる。イスラエルとパレスチナ自治区ガザの双方の市民の声を伝える。(蜘手美鶴)

◆イスラエルのラハミムさん 友人と隣の一家は殺害された
 ガザから最も近いキブツ(集団農場)のナハル・オズは7日早朝、真っ先にハマス戦闘員に襲撃された。住民のダニー・ラハミムさん(69)は電話取材に「なぜ助かったのか分からない。紙一重の奇跡だった」と振り返った。
 7日午前6時半すぎ、ラハミムさんはサイレンで眠りを破られた。次いで聞いたことのない激しいミサイルの発射音。「とんでもないことが起きている」。間もなくキブツ内から銃声が響き始めた。
 ナハル・オズでは住民約500人が農作物や乳牛を育て、ほぼ自給自足の共同生活を送っていた。ガザの東800メートルの最前線にあるため、監視カメラやフェンスが何重にも設置され、自警団もあった。住民も武器を持ち、ラハミムさんは「安全だと思っていた」。
 襲撃時はたまたまイスラエル兵15人がいたことが幸いし、侵入した戦闘員150人とわずかでも戦うことができた。ラハミムさんと妻は自宅のシェルターに逃れて18時間耐え、救出されたときには日付が変わっていた。息子夫婦と孫3人に再会したときは涙で声にならなかった。しかし友人や隣家の家族が殺害され、住民の犠牲者は14人に上る。3人が連れ去られていた。
 ラハミムさんは現在、別のキブツで避難生活を送る。22日は殺害された女性(18)の葬儀に参列した。ハマスが公開した人質の写真には、誘拐された女性の父の姿があった。
 1980年代後半まではナハル・オズとガザには日常的な往来があり、住民の交流もあった。ラハミムさんも自身の結婚式にガザの友人を招いた。今回の襲撃後、別のパレスチナ人の友人はいたわりの電話をくれ、その優しさに涙が出た。
 「悪いのはハマスだ。空爆にさらされるガザ住民もハマスの被害者だ」。ラハミムさんはハマスに憤るとともに、自由のないガザ住民に思いを寄せる。
◆ガザのシュブラクさん 1日コップ3杯の水 空爆のたびに壁に身を寄せ
 真っ青な空から白い紙が何百枚もガザに降ってきた。「ガザは戦場となる。南へ避難しなさい」。イスラエル軍機がまいた警告文を読み、ガザ北部ガザ市に住むワラア・シュブラクさん(27)は恐怖で体が震えたという。オンライン取材にガザの窮状を語った。
 衝突が始まった7日以降、イスラエル軍はたびたび警告文をガザにまいている。地上侵攻は間近とみられ、北部住民のうち約60万人が南部に避難したとされる。しかし隣国エジプトへ続く唯一の道であるラファ検問所は人の出入りが許可されず、ガザ全体の住民約220万人は逃げ場がない。
 シュブラクさんは現在も家族7人でガザ市内の自宅にとどまる。同じアパートでは約50人が息を潜ませ、イスラエル軍の空爆で数百メートル先のアパートは黒煙を上げて吹き飛んだ。空爆のたびに窓から離れて壁に身を寄せて耐える。多くの友人や親戚が命を落とし、「今生きているのは運がいいだけ」と話す。
 21日にはラファ検問所から物資搬入が始まったが、依然として食料や水の不足は深刻だ。もともと水が足りないガザでは需要の1割をイスラエルからの購入や海水の淡水化でまかなう。だが衝突以降はイスラエルからの供給が止まり、停電によって淡水化装置も停止。空爆の合間に走る給水車が頼りだが、供給はわずか。シュブラクさん家族は、1人あたり1日コップ3杯しか飲んでいない。
 イスラエルが封鎖するガザは「天井のない監獄」と呼ばれる。住民の出入りは制限され、多くの若者はガザの外の世界を知らない。数年おきに大規模な空爆や戦闘があり、そのたびに病院や建物が破壊される。
 「自由もなく、ずっと戦争の中で生きている」とシュブラクさん。怒りの矛先はイスラエルに向く。「イスラエルは私たちの土地や家、暮らしを奪った。占領の実態を知ってほしい」

東京新聞 2023年10月28日 06時00分
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