初めてたえが性虐待を受けたのはこの頃、9歳の時だ。父親から指や異物を膣に入れられるようになった。

 身体的虐待も激化した。それは和寛に対しても同様だった。

 屋外にある風呂に連れていかれ、“行水”と称して何十回と水の中に顔を沈められた。息ができず「苦しいな、早く楽になりたいな、このまま死ねたらいいのに」と考えたことが、たえの最も古い記憶の一つだ。

 季節問わず、裸にされて屋外へ放り出されることもしばしばだった。

「当然、近所中に見られます。行水の時だって私たちの悲鳴が響き渡るわけです。それで通報してくれる人がいて、警察官が駆けつけることもありました。けれど父親が『しつけのためにやった』と言うと、警察官も『ほどほどに』で帰ってしまう。そんなことがしょっちゅうあったんですけど、当時の警察はそれ以上動こうとしませんでした」

 近所の人は次第に、通報しても無駄だと学習したようだ。

 和寛が小学3年生のある夕方のこと。父親から裸で後ろ手に縛られ、腰にロープを巻いて車の後部につながれ、父親の運転するその車に引きずられたことがあった。まだ明るい時間帯であり、近所の人たちも目にしたが、止めに入る者はいなかった。

「普通に考えたら、殺人行為じゃないですか。だけどそれすら誰も助けてくれなかったんです。『あの子かわいそうだよ、誰か助けてやりなよ』と言い合うだけで終わりました。あの父親は怖い、何をされるかわからないというイメージが周囲にも植え付けられていたのでしょう」

たえは11歳になり、小学5年生から6年生になる頃、初潮を迎えた。

 父親はその日、異様に上機嫌だった。日頃は金がないと言っているのに「お祝いだ」とケーキを買ってきた。

 夜、たえだけが父親に呼ばれて「布団に入れ」と言われた。

「その日初めて挿入されたんです。父親が布団をめくって、隣の布団に座っていた母親に『ほら見ろよ、入った入った』と言いました。母親も『何やってんの』と笑っていました。それが性被害と言われるものだと理解するのはもっと後のことで、その時点での認識は、気持ち悪い、痛い、苦しい。和寛は別の部屋にいました」https://news.livedoor.com/lite/article_detail/25435619/