【歴史】平安時代に死に別れた武士の兄弟、900年ぶりに末裔がまさかの“再会” きっかけは新聞記事、記者「ドラマのような偶然」 [樽悶★]
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山内首藤氏の系図が載る「尊卑分脈」(左)=国立公文書館デジタルアーカイブより引用
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▽偶然読んだ新聞記事
2022年2月上旬、大阪府豊中市の山内研治さんは新聞に目を通していた。普段じっくり読むわけではないが、その時はなんとなく隅々まで。すると、ある記事が目にとまった。
仙台市に住む99歳の小野寺宏さんが、地域や祖先の歴史を調べ続けているという。小野寺さんは、父がまとめた祖先の膨大な記録を後世に残すため、史料の裏付けをして「中世の小野寺氏」(1200ページ)という大著にまとめていた。小野寺氏は中世の武士の家系だ。
「これはもしや…」
山内さんは直感した。この小野寺氏は自分の先祖である山内氏と関係あるのではないか。鳥取県出身の山内さんも、実は70歳の時から祖先の歴史を調べ始めていた。当時はちょうど平安時代にさしかかったあたりだ。
山内さんは新聞社に連絡を取り、記事を書いた記者を介して、小野寺さんにこんな手紙を出した。
「小野寺氏と山内氏はひょっとして昔の兄弟ですか」
▽実の兄弟だったと確認
小野寺さんの答えは明快だった。
「小野寺氏の初代・小野寺義寛(おのでら・ぎかん)は、山内首藤(やまのうちすどう)氏の流れをくんでいます。山内首藤俊通(としみち)の弟とされています」
山内さんは感動で体が打ち震えた。実は、山内家に伝わる系図には、兄弟との表記があったものの、中世に作られた系図集の権威「尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)」にはその記載がなかったのだ。
山内さんによると、小野寺家に伝わる系図に兄弟との記載があり、義寛の推定生まれ年が1124年であることから、俊通と実の兄弟関係であることは間違いないと確信できた。
山内首藤氏とはどんな家系か。山内さん側の資料によると、美濃国(現在の岐阜県)を源流とする土豪だったとされ、藤原姓を名乗り、後に源氏の武士となった。その後、分家として近江(滋賀県)、伯耆(鳥取県)に分かれたという。
この兄弟は、中世の日本史に登場している。
「兄」である山内首藤俊通は源義朝の家臣だった。1159年の「平治の乱」で戦い、京都の四条河原で殺された。
「弟」の義寛も源氏の家来として活躍し、軍功を挙げて栃木県栃木市岩舟町小野寺に居を構えたという。義寛の息子道綱は鎌倉幕府を開いた源頼朝の御家人になったとされる。栃木市には「小野寺城跡」や道綱の墓所も残っている。
▽先祖の一人は源頼朝を矢で射て死罪寸前
ちなみに、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも山内首藤氏は登場している。山内首藤経俊(つねとし)であり、義寛のおいに当たるという。経俊の生母は頼朝の乳母だった。鎌倉時代の歴史を幕府側から記述した歴史書「吾妻鏡(あづまかがみ)」にも、経俊の名前が登場する。
頼朝が打倒平氏を掲げ挙兵したのちの、1180年の石橋山の戦い。平家方として戦った経俊は自らの名を書いた矢で頼朝を射た。この時、頼朝は敗北するが、その後の戦いで勝利し、経俊は捕らえられた。死罪を言い渡されたが、母が助命を懇願。乳母から言われた頼朝は命までは取らなかった。記録には「忽(たちま)ち梟罪(きょうざい)を宥(なだ)めらる」(助命された)と残っている。
▽定年後に通信制の史学科卒業
小野寺さんは戦後、仙台市役所や化学系の会社勤務を経て、定年を迎えた。もともと歴史好きだったが、退職前に大学の通信教育課程に入り直し、史学を専攻、6年かけて卒業した。そこから執筆を始め、先に挙げた祖先の本の他、かつて在籍した仙台陸軍幼年学校の資料集や、妻の祖父に当たる宮城県出身の元衆院副議長内ケ崎作三郎の生涯…など、約40年で15冊の本をまとめ上げた。現在も別の本を編集作業中という。
小野寺さんが調査、研究に情熱を傾けてきた系図。彼によると、時代や家によって記載が異なるものが多いことから歴史史料とは言えず、伝承なのだそうだ。「古い系図は正しいと証明することはできないが、間違いとも言えない。ただ、引用文献を整理し、新たな史料を探して示す必要がある。それが結構大変なんです。後世に残るものを作らなければならない。あとの時代に誰かの役に立ってくれれば、やったかいがあったというものです」(以下ソース)
2023.12.27
https://www.at-s.com/sp/news/article/national/1383688.html >>1
新聞記事に必要性を出そうと必死だねぇ。
段々スピリチュアルになり始めた。 ワレワレハ、アダムとイブから増えてったけど、近親相姦しないといけないことに気づいた俺。 歌謡曲を愚弄してジャニーズAKBエグザばっかり流してきたせいでこの体たらくなのに、結局懐メロ歌謡曲にすがるゴミマス死ねよ >>3
家系図作りが商売になったらしいからな
とにかく誰かと繋がりを持っていたいんだろうか
さっぱりわからんが オレの祖先は何億年も昔から続いているけどオレのところで断絶。 >>13
大丈夫だ枝分かれしたどっかの親戚が存続してっから安心して御家断絶しようぜ。おれんとこもそうだし。 >>13
ハプスブルク家も断絶したんだから
一庶民が気を揉むことはないだろ >>2
正しい
一世代25年として50世代遡ると1,250年
今生きている人間一人について50世代遡った先祖の数は2の50乗人
つまり1,125,899,906,842,624人
ところが当時の人口は地球全体で100,000,000人ぐらいしかいない
これは要するに今生きている人間の先祖が被ってるということ 新田と足利は始祖兄弟だし足利も別の苗字を名乗ってるが
元は兄弟だしそんなに珍しいことなのか? 崇徳院か
瀬をはやみー岩にせかるる滝川のー われても末に逢はむとぞ思ふー >>19
そこまでメジャーじゃないからこそなんだろ うちはこの人達の親戚かも?
結城家のお姫様が昔うちに嫁いできたことがあったんだけど、結城家は頼朝のご落胤説があり、乳母か乳母の娘に産ませた子らしい 南朝の血が流れてるけどおれの代で終わりそう
ごめんゴダイゴ帝 八つ墓村。、怖かったね。子供の頃、夜トイレにいけなかった。あと、悪魔の手毬唄……… なんか関係あることにしちゃいたい意識も働くよね
どうでもいい家系図作りが900年ぶりの兄弟に再会出来たら一気に意義あるやってて良かったになれるから >>3
自分もそろそろ鬼籍に入るから興味持つのかもね
まあ人類みな親戚なんだけどね こういう話には絶対に入ってこれない在チョンや帰化チョンざまあみろって思う >>1
>経俊の生母は頼朝の乳母だった
源頼朝の乳母って比企尼じゃないの?
山内首藤も比企能員とかそこら辺に一派ってことかな?
乳母は何人かいたのかな… 長野県松代の真田信之の子孫と仙台にいた真田信繁(幸村)の子孫が会合した記事を数年前見たことがある。幸村の子孫は伊達政宗に仕えたので、どっちかは大学教授とか 『わるい平安貴族
殺人、横領、恫喝…雅じゃない彼らの裏の顔』
PHP文庫 小野小町見て自分に似てるなって思って調べたら本当にご先祖様だった
顔は何千年も変わらない なんか平家にあらずんば人にあらずって言い放って平家を滅亡に追いやった張本人は長生きしたんだって? >>3
もうすぐ自分が死ぬとわかってるから
死後になにかを残したいという気になるのよ
その典型例が血筋
そしてその血筋ができれば立派なものであってほしい
だからインチキ家系図商売がいつの世も繁盛する アニメ化決定!
っていうか、マジで企画されそう
主人公は老人じゃなくなってる可能性高いけど 今生きてる70億人全てに先祖がいるし、共通の血筋も山程いるからな。 >>1
クソジャップは韓国へのコンプレックスから歴史をゴッドハンド(笑)するからなぁwwwwww >>42
人種が違ったら被らない可能性もあるけど日本人同士なら何十世代遡っても全く被らないなんて考えられないんだよな
在日何世とかを除けば我々みんな遠い遠い親戚だと考えるとおもしろいな
おもしろくもないか >>40
インチキだろうけど、その名誉欲をくすぐる知識は評価されて良いんじゃね? 旧家と言われる家系ほど途中で養子縁組したりして血縁は途絶えたりしてる
血縁より家名というか家督を相続する方が大事だったからな 中身がなくプライドが高いと沽券を潤す方法を他者に求める
日本人すごいとか先祖とかね 今の自分が変わるわけでもないうえに
悪化すると捏造しだす病気 >>47
その通り
国家だの民族だのなんて所詮フィクションで成り立ってるからね
フィクションならばエンタメ性が何より大事 子孫「なんだ、うちの先祖は百姓しかいないのか」
先祖「死ねよ」 小野寺って信長の野望の東北の雑魚大名にいるじゃん? 山内首藤俊経って伊豆で挙兵した頼朝から加勢してくれと頼まれて
「はぁ?身の程知らずな奴だな!お前が平家に勝てるわけねーだろ!」
とけんもほろろの対応した奴だよなw >>27
決起して正統な天皇として即位してください
あなたが日本の希望だ! >>19
正確には兄弟が別れたわけではなく新田が分家した、源氏から足利になり次の世代に新田が分家 途中で婿養子入ってて直系ではなくなってる
俺のじいさんもそうだし >>1
史学の鑑のようなジジイ
想像だけで語るエセウヨどもと大違い!泣ける(つД`) 男子だけでも全員のDNAをマイナンバーに登録しとけばいいのに。
天皇の男系男子のストックになるわけだし。
そのためのマイナンバーちゃうの じいさんはひいじいさんのいとこ甥でばあちゃんとはとこ同士で結婚したって40過ぎてから知った
親父も「あそこのねーちゃん俺のはとこだった」って言ってたしよく把握できてない血縁関係は多い >>67
系図揃えただけじゃ何も証明したことにならないって謙虚に捉えてるもんな
こういう人たちが歴史の基礎研究を支えてる >>52
だから日本人は韓国が好きなのか。
韓国人の血がたっぷり流れてるから >>39
人間としては当時としては長生きではあるが
平家滅亡後の数年後に死んだ
あと平家にあらずんば人にあらずではなく
平氏にあらずんば、な
清盛の近い親戚が平家、清盛から遠い親戚が平氏、この発言した人物も平氏 900年後の末裔なんて何百世代も重ねてるだろうし、断絶も多産も含めて単純に2の何百乗だろ?
全くもって珍しくもないどころか、過去に複数回婚姻してる可能性すらある >>68
天皇のY染色体ハプログループが知りたい
DなのかOなのか
多分俺と同じOだろうな >>3
親を知らない子供は親を探し求める。老人に限った欲求じゃない >>34
チョッパリ民族自体が、朝鮮民族が中出し種付けしてやってこの世に作り出してやった民族だけど馬鹿なの? 源義家の実子と思われる為義の乳母父とその父は三河武士であり
その乳母父の息子の嫁は源義朝の乳母であり
その乳母父の孫の嫁は源頼朝の乳母なのである
■源為義乳母父:首藤資道
首藤資清(初代首藤氏、三河国住人)→資道(源義家郎党、三河国住人(尊卑分脈))
源義朝乳母:鎌田通清(初代鎌田氏)の嫁
首藤資清(初代首藤氏、三河国住人)→資道(源義家郎党、三河国住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→政清(源義朝乳母兄弟)
■源頼朝乳母:山内首藤俊通(初代山内首藤氏)の嫁(山内尼)
首藤資清(初代首藤氏、三河国住人)→資道(源義家郎党、三河国住人(尊卑分脈))→親清→義通→山内首藤俊通(初代山内首藤氏)→経俊(源頼朝乳母兄弟) 人間って突然変異した1人の女性から増えていったんだぜ。 そもそもその小野寺という名字はいつ付けたという話
江戸時代の家系図があるのか >>3
調査を始めた時はまだ中高年だったぽいよ?
最初から年寄りな人間は存在しない
若い子でも墓巡りが趣味な子はいる
マジレスしていいものかw >>80
一番最初の生物を女性と考えたら確かにそうだな >>82
>>1のここ?
> 「弟」の義寛も源氏の家来として活躍し、軍功を挙げて
栃木県栃木市岩舟町小野寺
に居を構えたという。 >>85は、このスレッドを読んでいる人たちに向けての書き込みね。 平安時代まで家系図を辿れるのが凄いな
ちなみに私は室町時代の忍者の末裔
確かに家族みんな足が早いのは遺伝か 家系図はほとんど明治以降に捏造された偽物
平民が名字を名乗り始めてからだ
そもそも紙を何百年も保存するのは極めて難しい >>88
お前は馬鹿だな。
室町時代のところからは世代を経て、大分、遺伝子が薄まってるから、
足が早いのは室町時代の忍者は全く関係がないよ。 >>88
お前は馬鹿だな。
室町時代のところからは世代を経て、大分、遺伝子が薄まってるから、
足が早いのは室町時代の先祖は全く関係がないよ。 山内氏は須藤氏が興したのを初めて知った。
鎌倉の山内という地発祥なんだな。 >>3
趣味の一つだからな。ハマる人はハマるよ。
秘密を解き明かす探偵とかパズルみたいなもんでカチっとハマった時の快感がある。 >>46
んなこたあない。
京大に暗黒蝿って呼ばれる蝿を70年近く飼ってるけど東京の蝿と混じったことは一切ない。1500だか2000世代も経てるけどね。 >>90
爺さんも家系図全部眺めると食い違いあるからそれだけで決まらん言ってるでしょ。
他の物的証拠が必要。
それなりの勢力があったなら寺の過去帳やら、石碑に名前が残ってるし、末裔は基盤を引き継いでる。ていうか先祖の墓もないのに戦国武将の末裔はない。 どんな家系図も養子縁組やNTR托卵が有り得るんだから真相なんて誰にも分からんよ >>99
それは問題ない。つながりの記録は途切れない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています