奔放プリンセス「佳子さまの乱」全内幕――眞子さま、小室さんを応援(週刊文春 2019/03/27)
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「佳子さまとご両親との仲は以前から必ずしもしっくりいっていなかった。
佳子さまが秋篠宮さまのことを、『イヤな父親』とお友達に漏らすこともありました。
最近でこそなくなったようですが、佳子さまが小さいころには秋篠宮さまが時に手をあげることもあった。
でも悠仁さまには決して手をあげないため、佳子さまが『なぜ私ばかりが』と反抗したこともあるそうです」

“奔放プリンセス”のご性格は、いかにして育まれてきたのか――。
 ご自身の意見を貫く姿勢は、幼少期から現れていたようだ。佳子さまの幼稚園時代を知る元宮内庁職員が述懐する。

「姉妹は小さなころからとても仲良しでしたが、子どもですから、他愛もない口げんかをすることもありました。
そんなとき、佳子さまは小学生の眞子さまに『そうじゃないでしょ、こうでしょ!』と、言いたいことをはっきり仰っていた。
眞子さまも初めは言い返すのですが、終いには『はいはい、分かりました』と折れておられました」

“口げんか最強”の佳子さまは、その負けん気の強さを生かしてフィギュアスケートに熱心に打ち込まれた。
佳子さまはいつも50代くらいのお付きの女性と一緒だったが、反抗期だったのか、その女性によく「うるさい!」と口答えをなさっていたという。

「学習院の高等科時代には有志でダンスグループを結成。文化祭ではセンターでセクシーなダンスを披露され、話題となりました」(前出・記者)
 そんな佳子さまは14年8月、学習院大学を中退。眞子さまが通われていたICUのAO入試を受験されることが明らかになった。

「学習院大側は、子どもの教育に関心を寄せていた佳子さまのために、小学校教員を養成する教育学科の開設を前倒しして環境を整えていた。
そこまでしたのに佳子さまにソデにされたことで、学習院関係者からは落胆の声が挙がりました」(同前)