東日本大震災13年

東日本大震災から11日で13年。県内最多の16人の死者・行方不明者が出た千葉県旭市で今、保険年金業務に当たる市職員の石毛早苗さん(51)は発災時、防災担当として混乱する職場での対応に忙殺された。当時の記憶や今の思いを聞いた。

「あの日、あの瞬間のことは脳裏に焼き付いて、決して忘れられません」

平成23年3月11日午後2時46分、老朽化した市庁舎が大きく揺れ、身構えた。

周りの同僚は全員が防災無線の戸別受信機を設置するため、各家庭に出向いており、その場に防災担当は自分しかいなかった。

他の職員は屋外に避難したが、自分は逃げるわけにもいかない。すぐに10カ所の避難所の設置に動いた。

午後3時25分。市内に避難勧告が発令された。25分後、津波の第1波が沿岸にきた。約3千人の市民が、着の身着のままで避難所になだれ込んでいた。市の想定をはるかに超えていた。

「庁舎内は騒然としていた。大声を出して避難所に運び込む物資の個数を確認し合った。メモを取る余裕もない。避難した住民が不安な思いをせずに済むようにということだけを考えた。とにかくいろんなルートからの調達に追われた」

日没まで残された時間はごくわずかしかない。暗がりでは避難する住民も身動きが取りづらくなる。

そのうち、「物資が足りません」「避難者が困っている。どう対応すべきか」と、各避難所に向かった同僚から自分の元に問い合わせの電話が殺到してきた。ただ、急きょ市役所に設置された災害対策本部に判断を仰ぐにも時間がかかる。

「避難所から連絡を寄せる職員らのいらだちを肌で感じたが、即答できないもどかしさに苦しんだ。ひたすら電話を受け続け、対応するしかないと自分に言い聞かせた」

市庁舎は混乱を極めた。

旭市によると午後5時20分ごろに到達した津波の第3波は最大7・6メートルもあった。この大波に多くの人が巻き込まれた。

震災から2年後、高さ8メートルある避難用のタワーが完成した。市ではあの日を教訓に、津波を想定した避難訓練を重ねる。今年は2月25日に実施した。

毎年3月11日を迎えるたびに、ある不安な思いを抱くようになった。

「今年の訓練は、震災を経験した高齢者の参加が多かったが、子供連れが少なかった。これでいいのか。親の世代が子供に津波の怖さや訓練の大切さを教え、伝え続けなければとこれほど強く感じたことはない」

(松崎翼)

産経新聞 2024/3/11 12:13
https://www.sankei.com/article/20240311-YREFX6RFOJMNFJKUQFO7XRDVD4/