戦国時代、自治に初めて成功したとされる「山城国一揆(やましろのくにいっき)」(1485~93年)に関する古文書が大量に見つかった。一揆の原動力となった国人(地方在住の武士)らのやり取りが克明に記された新出史料。詳しい分析はこれからだが、専門家は「将来、教科書の記述が変わる可能性もある」とみている。

 見つかったのは一揆で中心的役割を担った椿井(つばい)家に伝わる書状の写し124通。馬部隆弘・中京大教授が2021年、奈良県平群町教育委員会に所蔵されていた大量の古文書を見つけた。3年かけて調査し、椿井家の関連文書と特定した。室町・戦国期の書状を江戸時代の子孫が写したものとみられ、京都市東山区の八坂神社に残る原本7通と内容が共通していることから、本物と確認したという。

 山城国一揆は、山城国(現在の京都府南部)守護・畠山氏の後継争いなどで疲弊した国人36人が畠山氏を追放した。国人らは8年後、新守護・伊勢氏に臣従し、自治は終わったと考えられてきた。

 だが、今回見つかった古文書では、国人同士が密に連絡を取り合って椿井家を中心に自衛活動し、一揆以降もまとまった集団であったことがうかがえる。敵にスパイを送ることを伝えるなど、生々しいやり取りもあった。馬部教授は「通常残しておかない戦時の細かい情報伝達で、現代なら(無料通信アプリ)『LINE』で交わすような内輪のやり取りと言える。椿井家が国人たちの中核であったことを示すものとして残されたのでは」と推察する。

 呉座勇一・国際日本文化研究センター助教(日本中世史)は「自治の当事者が書いた点で貴重だ。分析が進んで、彼らの自治運営の内容がより明らかになれば、戦国期の一揆の研究に役立てられる」と指摘。その上で「伊勢氏に攻められたことで自治は消滅したと考えられていた。だが、国人の連合が緩やかに続いていたことがわかるので、教科書に書き加えられる可能性もある」と期待する。

 馬部教授は過去の研究で、江戸後期の椿井家の子孫が残した「椿井文書」が偽書だと明らかにしたこともある。ただならぬ縁で「本物」と出会った馬部教授は「戦国期の文書がまとまって見つかること自体珍しく、山城国一揆についても新出史料がほとんどなかった。100点以上も出てきたのは奇跡に近い。この古文書で研究は進むだろう」と期待している。【大東祐紀、中島怜子】

毎日新聞 2024/4/9 17:00(最終更新 4/9 18:11)
https://mainichi.jp/articles/20240409/k00/00m/040/013000c