自民党70年<上>

 自民党は15日、結党70年を迎えた。1955年11月15日に、当時の自由党と日本民主党による「保守合同」で誕生して以来、長らく政権与党の座を維持してきた国民政党のいまを追う。

(略)「頑固」「人の意見を聞かない」――。周囲の高市評だ。党内や霞が関と交友を深めることには1線を引き、「独りで政策の勉強に打ち込む」(周辺)のも独自のスタイルと言える。高市は総裁就任の翌日の10月5日から1か月以上、1度も外で会食をしていない。
 高市はそれを美学と感じている節もある。(略)
 かつての自民総裁は、派閥 領袖りょうしゅう や幹部などとして意見や利害の調整に心を砕き、気配りしながら高みを目指した。国民各層との接点を持つ様々な他派閥と競い合い、糾合することも、首相としての強みにつながった。

 だが、派閥は2024年以降、麻生派のみを残して解散した。党内の議員集団、人的つながりが「液状化」し、明確な固まりも見えづらくなった。そのような中で、自民入党後にほとんど派閥に属さず異色の歩みを重ねてきた高市が、党員の人気によってトップに上り詰める構図は、いまの党の現状を如実に表している。
 そんな高市が「結集軸」に掲げるのは、元首相・安倍晋3から引き継ぐ保守地盤だ。積極財政、外国人政策、防衛費増額など保守的な政策を矢継ぎ早に打ち出し、好調な船出となった。
 もっとも、憲政史上最長の政権を誇った安倍の時代と比べ、自民を巡る状況は様変わりした。衆参両院で少数与党となり、4半世紀の伴侶だった公明党は与党を去った。日本維新の会を連立政権に迎えたものの、針路はいまだ定まらない。
 安倍もかつて、政権安定化のために靖国参拝を断念したことがあった。高市も「異次元の柔軟性」を旗印に、立ち位置を探ろうともがき「リアリストに変わろうとしている」(側近)。
 高市はかつて安倍から「仕事は1人でやるもんじゃないんだよ」とたびたび苦言を呈された。松下政経塾に所属した際に松下幸之助からは「衆知を集める」ことをたたき込まれたという。
 鉄の女が見せた孤高、安倍らに学ぶ衆知――。その間を揺れ動くリーダーの下、70年の節目を迎えた国民政党は未知の 政まつりごと に臨もうとしている。(敬称略)

読売新聞 2025/11/15 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20251114-OYT1T50220/