https://youtu.be/TSQZ1FX1AMQ?si=I5pQ_tfE2dxgADT9

■ホロドモールとは

スターリンは第一次五カ年計画の一環として自営農家を中心としたウクライナ地域で農業の集団化(コルホーズ)[1]を強行する。ウクライナ地域の富農(と見なされた者)は徹底的に弾圧され、反共・反露・民族主義の強いウクライナ地域から農産物を徴発し、外国に輸出した。いわゆる飢餓輸出というやつである。

この徴発は徹底的に行われ、肥沃なウクライナでも計画達成は困難で、徴発されたあと、農民たちの食べる分は殆ど残っていなかった。更にはパンの取引や落穂拾いは人民の財産の収奪であるとして罰せられた。それでも1930年は豊作の年であった。ソビエト連邦は、この年の収穫量をベースに翌年の徴発計画を立てる。しかし翌年の1931年は不作の年であった。それでも前年と同じだけの徴発を行われ、作付用の種子までも徴発した。スターリンはウクライナ地域の農民は農産物を隠していると考え、共産主義的考えより「農産物は人民の財産である」として徹底的に出させようとしたが、不作なので農民は本当に持っていなかった。

それでも共産党は徴発をやめなかった。食卓からパンを、調理中の鍋から粥を徴発した。そのくせ農民たちが飢餓を訴えても、「どうせパンを隠しているんだろう。それを食べればいいじゃないか」と相手にしなかった。更には飢えた国民はソビエト連邦の信用失墜を目論む資本主義の犬だとして、彼等に対する徴発を緩めるどころかどんどん強めていった。ウクライナの人々は、ネズミや長靴の革、更には肉親に至るまで食べて飢えをしのいだが、それでも多くの人々が亡くなった。

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