【歴史】<碓氷峠>城跡発見 真田昌幸ら北国勢、北条攻めで急造か [無断転載禁止]©2ch.net
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群馬、長野県境の碓氷峠(安中市松井田町峠)で、戦国時代末期のものとみられる城跡が見つかったと、群馬県教委文化財保護課の飯森康広さん(55)が発表した。
1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、前田利家、上杉景勝、真田昌幸らによる連合軍「北国勢」が、北条氏側の支城が割拠する関東に侵攻する足がかりのための陣地(陣城)として急造した可能性が高いという。
飯森さんは「当時の碓氷峠の戦略的重要性を物語る城跡」と説明している。【吉田勝】
城跡は、碓氷峠頂上(標高約1200メートル)から旧中山道を群馬側に下って約250メートルの地点にあり、長さ約200メートル、幅約100メートルの楕円(だえん)形(広さ約2ヘクタール)。
長野県軽井沢町教委の遠藤丘(たかし)さん(49)が2015年12月、旧中山道の道筋調査中に発見。
群馬側であるため、遠藤さんから情報提供を受けた飯森さんが個人で独自調査を進めた後、今年4月から、日本の城の成り立ちや変遷に詳しい江戸東京博物館の斎藤慎一学芸員と現地調査していた。
調査の結果、空堀や土塁跡のほか、「枡形虎口」という戦国末期に出現した防御に強い出入り施設や東斜面には六つの「竪堀」など成熟した築城技術が垣間見えることから、
北国勢が松井田城攻めをした際の1590年3月ごろに造った陣城であると結論付けた。
飯森さんは「日常的な支配の拠点としての城なら、中心となる主郭がもっと高く造られているのに、高低差がわずか。緊急に築城されたとみられる」としている。
江戸時代・天保年間にまとめられた真田家の正史には「碓氷峠合戦」と題して、真田方がこの城跡から約4キロ群馬側に下った場所で、
松井田城の守将、大道寺政繁の手勢と小合戦を繰り広げたとの記述もあり、北国勢の攻撃拠点だったとみられる。
真田昌幸が石田三成らに戦況を伝える書状にも同様な記述があるという。
北国勢は約3万5000人、松井田城の守備兵はわずか1000騎だったが、豊臣軍の松井田城攻めは上野国(群馬県)での最激戦となったといわれる。
碓氷峠は道幅の狭い山道のため、大軍であっても数の利点を生かしきれない。
飯森さんは「北国勢は数にものを言わせて一気に攻め落としたイメージで伝えられているが、陣城を松井田城の手前十数キロ地点に設けたとしたら、セオリー通りの戦略で慎重に攻めたことがうかがえる」と解説する。
飯森さんは今後、旧中山道沿いに同様の城跡がないか調査を継続するという。
城跡内で最も高い約5メートルの盛り土がされている場所について説明する飯森康広さん(左手前)と遠藤丘さん(中央奥)=群馬県安中市松井田町峠で2017年5月12日
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/05/16/20170516k0000e040213000p/9.jpg?1
配信 5/16(火) 11:51配信
毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170516-00000041-mai-soci 直虎がつまらんから、まだまだ真田で喰えるんだろうな >「碓氷峠合戦」と題して、真田方がこの城跡から約4キロ群馬側に下った場所で、
>松井田城の守将、大道寺政繁の手勢と小合戦を繰り広げたとの記述
花の慶次に描かれた奴 「真田ら北国勢」って。清宮と同じ扱いだな。
前田・上杉ら だろ。真田はおまけみたいなもん。 利家景勝昌幸
誰が作ってもいい城(陣)になりそうww 前田>>上杉>>>>>>>>>>>>>>>真田
メイン扱いの真田w 碓氷峠にあった城を増強したというならわかるが
新たに作ったってのはちょっとね
碓氷峠は信濃と上野の出入り口なんだから あんな場所で合戦してたのか...
つか出来るのか? >>2
あの人精神病んで自分の指切り落としたんだっけ 母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。 日本の戦国時代ってスケールが小さ過ぎて萎える
信長以外の武将は全て過大評価と言ってもいい Mama, Do you remember the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago flew to the foggy canyon yeh
Mama, I wonder what happened to that old straw hat
Falling down the mountain side, out of my reach like your heart あんな山奥でも取り合いになんのか?
なんもねえだろ。
真っ暗で夜は恐ろしくて眠れん。
冬は寒いし。 >>15
あれ美味い?
長野からの帰りにバイパス下りたとこで食ったけど何かパッサパサして美味くなかったな…
器だけは小物入れにしてるw
器>飯 だなw >>30
ままあー どぅゆーりめんばー
ざ おーるど AE86〜
凄いやんか、東京の檜原城なんて場所も判ってるのに
調べても何も出て来なかったぜ、400年前なら何か残ってるよな
八王子城なんかでも墓石がゴロゴロしてる 城マニアの俺様もこれは楽しめないな
せめて石垣がないと城とは認めない 薄い峠じゃなくて碓氷峠だからな!
間違えるなお(´・ω・`) 花の慶次を読んだお前らならワクワクするだろ
碓氷峠からの大道寺〜小田原まで一気にフラッシュバックするw 生活の跡はないのか?
エロ本とかコンドームとか探せば出てくるだろ 関所跡でないものが見つかったか
これは上毛カルタの差し替え不可避 >>44
銀座SIXにも出店してたな峠の釜飯って。
どんだけ売れてんだろう。 >>58
おまえはこっち↓だ
【研究】育毛には本わさび 毛乳頭細胞活性化で、効果の度合いは市販剤の3倍 最大手メーカーがメカニズムを解明©2ch.net
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1494916244/ >>49
戦国時代以前に主流だった山城にほとんど石垣なんかないぞ (-_-;)y-~
シルエイティの碓氷峠やん。
草刈まさおしまーす。 >>49
山城なんて空堀の類しか無いようなとこ多いだろ >>37
なんちゅうか、こう、もっと要塞って感じが欲しいな。
山のてっぺん削って丸太のちょいちょいと柵作って砦とか。
ロマンが感じられん。 ええ、ジョニーにどこへ行くのかと訊いたら「キスミーへ行くんだ!」って言ってましたね。 意外に知られていないが碓氷峠は山と言うより群馬側からだと壁なんだよね。
長野県側が平地になってる。 >>70
むかしブラタモリでやってたね
長野側からだと平地みたい 旧碓氷はこの時期山ビルの宝庫です
みなさんお気をつけて 直虎は恋愛ドラマ化してるからつまんない
真田丸の方がまだコント仕立てで面白かったよ 真田とか英雄扱いだけど八王子城でやったことは鬼畜の所業だよな 碓氷峠か、カリフォルニアシンドロームで知ったよ
あの時は愛車のジープじゃなくてツレのポルシェだったっけ?あかんもう忘れた こういう城跡ってちょっと小高い山にもあったりすんのよね。
調べたらうちの近所だけでも4つあった。
>>37
>>39
山のてっぺんの城がハードとしてどれほど重要性があったのか、疑問ではあるな。
むしろ「こんなんほっとけばいいじゃん」と思わせるのが主目的なのかもしれんがw >>81
後方を遮断される危険性くらい当時でも常識。
なのに無視されたと怒って突撃して完敗したのが三方ケ原の家康。 >>37
無視して進んで後ろでゲリラ戦法でヒット&ウェイで撹乱されたらたまったもんじゃないぞ >>75
真田3代とか、立花親子とか、島津4兄弟とか
血縁で肩書きが付く奴の活躍はは江戸時代に講談で作られた偶像だよ >>81
城は一つの県に300や400くらいあるからそこらにあるよ。高さは村の規模に合わせてるから高い山にある城は麓の村の規模が大きいか交通の要所で周囲の城と連携するのに拠点になる城。スルーできない >>86
岐阜の城とかもそうだが、むしろ出口塞いだらいいのでは >>89
年代によっても場所が変わるから、調べたら馬鹿みたいにあるよね 碓氷峠なんてイメージ以上に未開の秘境だからな
日本にもまだまだこういうとこあるんだぜ >>49
石垣をついた城は最後のほうだろ。
山の中に陣取ったり、平城や、川を掘りに利用した城だって城。 >>1
群馬の土人の城だから牛の糞でできてるんだろ >>90
城の中にどれだけの軍勢が籠もってるか分からないから
出口を塞ぐだけの軍勢を残すなら気持ち多めに残さないと駄目だし
そうすると進軍する軍と残る軍に分けるって、戦力分散の愚を犯す事に成りかねないし >>81
俺の住んでる盆地だと知ってるのだけでも10個あるわ
更にマニアしか知らんようなのがもっとある模様 >>42
そうかな。岩櫃はちょっとした山の上で面白かった。名胡桃はいかにも作りましたって感じだったけど
>>79
いま入れるよ、熊の平。>>83が言ってるけど旧線が横川から熊の平まで遊歩道になってる パンツ先輩のバカ野郎。なんでもっと早く追いかけなかったんだよ。 >>49
アホか 山城に石垣があるかよ 戦国後期の平城で、権力者の飾りみたいなものだ たった一夜で八王子城を陥落させた上杉軍の凄さが際立ったね。 >>86
武田信玄も上杉謙信も、そうやってわざとスルーして籠城兵を野戦に引きずり出すのが上手かったんだよねw
ただ、この2人も小田原城に引きこもる北条氏康だけは引きずり出すことができなかった。 安中って悪の工場ってかFF7に出てきそうな工場がある市だな >>1
それまでないとされていた、三浦半島の古墳も、民間の研究者が発見したんだよな。
・・・ところで、日本昔話の『茸の化け』で「碓氷峠のホウカク坊」って出てくるんだけど、
あの話は、このあたりの話なのかな? >>101
比較的古い山城の七尾城ですら石垣あるんだよなあ >>105
そうやって小田原を包囲しても攻められず撤退した上杉と武田軍に追撃しようと
氏政 氏邦らが背後から突こうとしたがことごとく負けてる。
特に対武田軍は追撃部隊が三増峠にいると見抜かれて逆包囲されてこてんぱんに負けてる。 ガチの城マニアに言わせれば石垣とか天守好きはニワカ同然だからな >>112
どう見ればいいの?
城マニアの人は実際の城も見てるだろうけどどんな本とか読んでるの? 前田利家加賀83万石
上杉景勝越後90万石(当時)
に対して
真田昌幸数万石程度で
北方方面軍はこの構成バランスがよくわからんのだよな。
ふつう大大名一人に中堅大名数人が付くとかになるだろ >>105
毎回引きこもってばかりいて
小田原以外の領土が荒らされまくったんで
お坊さんにいい加減にしろと怒られたんだっけ >>115
そんで豊臣軍の小田原侵攻は廻りにあった関東や伊豆や駿河の支城を次々落として包囲網を狭め、
石垣山に一夜城立てられてさらに海上から加藤 九鬼 長曽我部の海上部隊まで置いてと用意周到。
石田三成がバカやって小田原開城まで落ちなかった忍城以外みんな潰した。 天守閣や立派な石垣にしか興味が無いと
城マニアなんて浅い趣味に終わってしまうが
全国数万とある山城や都市部の城跡(石碑だけなのとかも有る)にも
興味持ちだしたら一生掛かっても極められない深い趣味となる >>119
城マニアと城跡マニアは、なんか別ジャンルっぽい。
後者は廃墟マニアの仲間っぽいしw 長さ約200メートル、幅約100メートルの楕円ならグーグルで発見できそうだけどな
前からあるのは知ってたけど、城跡とか真田幸村の砦とかの認識はなかったってやつかしら >>1
なんか妖怪が出るんだよな。
ぬらりひょんだっけ? 碓氷峠行くときに磯辺温泉に泊まった
あの辺だと一番評価高いところ選んだら飯が冷めててがっかりだった >>113
古文書とか地元教育委員会編纂の城郭発掘調査報告書とか
あと絶版な専門書をヤフオクだのアマゾンだので購入
早く電子書籍にしてくれ…
何十冊もある城郭研究史が一冊四万円とか五万円とかかなりキツい >>126
磯部温泉は温泉記号以上の価値はないぞ
碓氷峠なら霧積温泉とかにしときゃよかったのに >>119
地元歴史研究家が地元の旧家に残る古文書読みまくっても存在さえ定かではない館や砦とかもあるしな
この城もそんな歴史資料には存在があるが未発見の城だ罠
つか縄張りが判る程度に残っているのも凄い 城と言えば天守に始まり天守に終わる。
よって、天守の無い城は男で言えば三枚目。
また、石垣の無い城もレベルが低い。
石垣の高さ→城の魅力。
この基準に照らし合わせれば自ずと城のランキング表が完成する。
特Aランク
名古屋城、大阪城、熊本城、姫路城など
Aランク
松山城、丸亀城、伊賀上野城など >>123
縄張り確認出来て城跡だと認定されたんじゃないの?
藪の中に空堀とか郭跡とか >>113
石垣とか残ってる江戸時代以降の城は基本スルーでいい
戦国期の山城跡がやっぱいい
石垣はなくても空堀とかは発掘復元されてるので、そこに下りて上を見上げて城攻めする足軽さんの気分になるといい
あとは山1つが城郭になってるのが基本なので、麓の町から歩いて行くと坂道登って戦うとかやっぱしんどいなーとか >>129
キスミー
おかあさん ぼくのあの帽子 どこにいったんでしょうね >>132
特Aランクの城、ほとんど新築天守閣ですやん
名古屋城とか大阪城とかコンクリート製
大阪城なんか天守閣内部にエレベーター有り >>135
個人的には赤坂千早城好きです 楠木正成ー! >>132
うんにゃ、城と言えばやっぱり門じゃろ。
いくら天守が堅固でも門がガバガバでは話にならん。
今治城の鉄御門とか、黒光りしててステキw >>140
城門を絞め忘れて陥落した1000年の都がありましたな >>132
人は城 人は石垣 人は堀
つまり城と言えば家臣団含め領民全て
殿様「お前等全員肉の壁!」 碓氷峠を攻めると聴くと何となくNight of Fireが浮かぶ >>37
ヨーロッパとかの城でよくある確かに難攻不落だろうけど10人位で道ふさいどけば
何もできないんじゃね?って感じの城か >>101
日本三大山城の我が岐阜県の岩村城は石垣があるんですよ
http://www.mahoroba.ne.jp/~nakamoto/mugen/n3yama.htm >>141
なんじゃそら? と思って検索したらコンスタンティノープルだったのね。
間抜けすぎるw >>143
Maybe tonightじゃないのか >>113
天守は、城主がたまに登るぐらいで普段は武器倉庫か物置レベルでしか使われないと知って醒めた。
戦国時代も江戸時代も殿様が実際にいて合戦の指揮や政治をやっていたのは天守の前にある御殿なんだと >>114
大大名二人の軍に道案内がついただけじゃね?
上杉いれば要らない気もするが >>101
東北屈指の堅城として知られる二本松城は総石垣の壮麗な山城だ。 花の慶次で、前田・上杉・真田がそろった場面があったな >>123
>>134
開発が進んできれいな形では残ってないのかも知れない。
この手の城の築城目的は後方支援基地、つまり食料の保管と配達の拠点だから
交通至便で比較的平らなところに作られる。
つまり開発で破壊されやすいって事。 >>150
政治をやるのは御殿だが合戦の指揮は天守閣だよ。
特に戦国後期の平城では、見通しが利く高層の櫓がないと的確な情勢把握が出来ない。
だから山城には普通天守は要らない、が
それでも作ってしまったのが織田信長だな。 >>135
それ楽しそう
行けそうなところ探して早速週末行ってみる >>152
二本松城って少年隊の二本松?
あれ山城扱いなの?? (´・ω・`) >>132
合戦経験があってなおかつ落城してない城だろ。
この条件にあてはまるのは千早城、上田城、忍城以外ぐらいだろ。
合戦DTが許されるのは元服までだよね。 >>149
織田信長の尾張国小牧山城やら美濃国稲葉山城(岐阜城)なんかも石垣が有名だよね >>160
山城には毒蛇とかがいたりするから気をつけるべし 天守閣は、指揮取るような場所じゃないと思うが
大砲が出てくると、標的にしかならん >>166
しかも近代戦
あれは熊本城をほめるべきか薩摩軍をけなすべきか… 遠征軍の兵站線確保のための付け城か
たしか付け城の使い方は家康が得意だったんだよな >>166
神風連の乱で一旦占領されたのは苦い思い出 ある研究者によると織田信長の作った尾張国小牧山城が石垣のある城のルーツらしいね
http://ironna.jp/article/1030 >>175
石垣と石積は異なる?
野面積みとかも石垣になると思うんだが、アレ古いはずだよね? >>47
十三世紀頃に造られた城が縄張りと土塁と堀がほぼ原型で残っているケースもありますよ さいとうたかおが描いた「風林火山」という武田信玄の一代記の漫画はすこぶる名作だが、
その中で軽井沢の国境に築かれた城(陣地)で戦うシーンがある。竹の束で鉄砲玉を防ぎながら
ジリジリ近づいていって、陣地奪取。 松井田城が1か月近く粘ってるから、拠点は作ると思う
花の慶次で格好よく描かれてる大道寺政繁は降伏して、道案内してるんだよね
結局処刑 >>136
o-o、
('A`) メガネメガネ
ノ ノ)_ 安中藩の初代藩主は井伊直政の長男直勝だったけど
大河の主人公は直政ではなく直虎だからほぼ関係ないという
信越線の横川〜軽井沢が長野新幹線(現、北陸新幹線)が出来た関係で
ぶった切られたのはつまらんし
しなの鉄道は18切符使用出来なくて不便だわ >>180
ごめん、十四世紀頃には造られていた、だった
1330年代の南北朝各々の勢力がその城で戦った記録がある 軍略に長けた織田信長
調絡に長けた羽柴秀吉
ただただ、運がよかった脱糞大将徳川家康 >>138
ナチュラルに勘違いしてた
ありがとう。この感謝の気持ちを抱いてもう寝ます >>167
鶴ヶ城と呼ばれる会津若松城はいわゆる会津戦で新政府軍の毎日20000発近い砲撃で
天守閣を滅多うちさせられたが崩れなかった。
特に小田山の砲陣地にいた佐賀藩のアームストロング砲で徹底的い撃ち込まれた。
99式155mm自走榴弾砲かFH70かMLRSなら数発で天守閣はバラバラに吹っ飛んでる。 >>189
俺の先祖が大阪冬の陣で真田幸村に追われて泣きながら逃げてきた
家康をかくまって、後に淀川の水利権を貰ってるよ。
、、、余計なことをw 運も実力の内
信長は桶狭間で、秀吉は本能寺の変で運が良かった
正確に言うと、運も利用できる実力が必要だね >>174
戦場から3〜4里後方って事は補給拠点だよ。>>154
遊撃部隊の襲撃に備えなければならないので最低限の防御力を有する。
内部面積を稼ぎつつ堀の掘削距離を最小限にしたいので円形または楕円形となる。
そういう城の典型として田中城というのがある。
方形の居館だったのを円形の郭で包んで城とした。
築造目的は、対徳川戦の後方支援基地。
武田流の築城術をよく知る真田がこれを模倣したのが今回の城では、
と俺は思っている。
https://blogs.yahoo.co.jp/s04hi992ma/35327628.html >>33
その通り
今で言ったら市町村大きくても県レベル同士でちまちました戦いを繰り広げてただけ
日本史は大概しょぼいがそれでもほかの時代のほうがまだ見れる 碓氷峠といえばこれ
ttp://www.geocities.jp/rabuca2003/EF6324-25-HM-asama.jpg 織田家も徳川も北条家と比べると小さかった事実
を言うのは少ない >>132
それギャグでいってるのか
天守基準なら、熊本城姫路城はわかるが、復元天守の名古屋城って・・・
大阪城は復元天守の最高峰という別の意味で貴重だが・・・
ついでに天守だけに萌えるのは素人
なーんにもないところにぽつーんと城跡の碑がたっているところに萌えてこそマニア >>206
初期は織田も徳川あわせて愛知県内で収まるレベルだったからな
どからこそすごいのだが 戦国時代だって趣味で石垣作ってたおっさんくらいいるだろ >>15
あれ厳密には釜飯じゃないね。味付けご飯に具材をのっけただけ。 >>37
放っておくと、補給線が絶たれるから、潰しておかないとダメ。
戦争の基礎中の基礎だぞ。 読了した本によると先に北国勢が碓氷峠を押さえ最初から勝負はあったようなものだが
松井田城の規模はかなりのものだから、それでも攻城戦は1ヶ月には及んでいる 関東勢は北条のせいでだいたいひどい目に合ってるなw 城跡見に行ってもだいたい小田原征伐でやられてる >>123
放棄されて数十年もすれば木が生えて空中写真ではほぼわからなくなる。
専門家が地図を元に河や街道の側とか近くに集落があるなどありそうな場所の当たりをつけ、現場に行って人工的に削られた平地や空堀、切通しなどの存在を確認してやっとわかる場合が多い。 単に碓氷峠は真田領、別に上杉、前田よりクローズアップされててもおかしくないんじゃ 戦国だけじゃなくてそれより前のまあまあ平和な時の遺跡も残ってたらいいのにね 大道寺政繁があぶみを無くしてなかったら、慶次に勝てたかもしれん 竹田城とか大分の岡城とか、「確かに難攻不落だろうけどこんな所城作るとか馬鹿じゃね?」
と言いたくなる城あるよなぁ >>232
城は落とせなくても街は制圧できるよなw >>44まだ碓氷峠に電車が走ってた頃への郷愁じゃね?横川に電車着くと我も我もとホーム降りて買ってたからなあ。発車ベルと同時に売り子一同列車に向かって深々とお辞儀。
まあ、アンタの言う通り大して旨いもんじゃなかったけどね。 >>233
もちろん高い山ならなんでもいいわけでもなく
峠などの道路の要地に構えるのがきほんなんだろうけどね
無視して進むにしても補給路を破壊されては元も子もないから
ある程度の兵力を抑えに置く必要はある
その抑え兵力を節約するには陣城付け城を作った方がいい
て、今回発見された城が出てくるんだろうな >>33
お前の人生のショボさは足軽人生以下だけどな。
クズが口聞くなや 母ちゃん、あのドクター論文どうしたでしょうね?
ええ夏碓井から霧積へいくみちで谷底におとしたあのドクター論文ですよ >>228
真田の信州上田と上州沼田を繋ぐのは、浅間山の北側鳥居峠
浅間の南側にある佐久から碓氷峠は徳川の庇護を受けてる依田の勢力圏
信蕃が戦死してなけりゃ佐久小諸で10万石、それ以上の信州外様第一党になれたのになー 秀吉は小田原城を見渡せる石垣山に陣城を築き、
箱根湯本から移ると一斉射撃を行わせるなどして北条方の気勢をくじいた。
六月に入ると城内から秀吉方に内通・投降してくる部隊も出始めるなど北条方の戦意は次第に低下、
ついに七月五日、氏直は弟の武蔵岩槻城主・氏房を伴って徳川家康の陣を訪れ、
降伏を申し出ることになる。
秀吉は家康の婿である氏直は助命する(高野山へ配流)代わりに、
氏直の父・氏政と叔父の北条氏照は許さず切腹を命じた。
両名は従容としてこれを受け、九日に医者の田村安栖の宿所に入って切腹、
ここに戦国大名小田原北条氏は滅亡した。
これにより秀吉に正面切って反抗する大名家はなくなり、ついに天下統一が実現されたのである。 戦国時代の同時代の記録ってあまりない場合もあるから
江戸時代に編纂された資料もやむをえず利用するしかない場合もある 埼玉とかこの手の城跡がいっぱいあったんだけど
宅地造成でどんどん潰されたな なんだよ!
2年前にハケーンすれば真田丸効果が出たのにw 上野に出ても戦わず、碓氷峠あたりをブラブラするだけなら賛成に御座る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています