【歴史】「たった一度の敗北で・・・」静岡市長らが今川義元復権宣言。菩提寺で再評価誓う★2 [無断転載禁止]©2ch.net
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静岡市の田辺信宏市長が19日、郷土の戦国武将、今川義元の
生誕500年(2019年)に向けて、今川家の菩提(ぼだい)寺である
臨済寺(同市葵区)で約200人の市民らを前に「今川復権宣言」をした。
5月19日は義元の命日とされる。命日忌法要の後、田辺市長は
本堂に集まった市民らの前で、「京文化に精通し、優れた政治的・
軍事的手腕のあった今川義元公の功績を再評価することを宣言する」
と復権宣言した。市は今後、文化歴史や観光経済の点で義元に光を当て、
地域の活性化につなげていく。
宣言に先立ち、本堂では小和田哲男・静岡大名誉教授が講話。
「義元は上杉謙信や武田信玄と肩を並べる戦国武将。桶狭間の戦いで
織田信長に討たれたが、たった一度の敗北でだめだということではない。
義元の功績を再評価できれば」と期待を寄せた。
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1495240807/
1が建った時刻:2017/05/20(土) 09:40:07.55 軽貨物 神戸480 そ76−63 三菱
スピーカーのボリューム一杯に上げて街を流す
騒音公害の軽自の焼き芋屋 義元の功績は、天下統一の大きな足掛かりを作った若き信長を調子づかせたことだよ
噛ませ犬饅頭、縁の下の力持ちの里とかで町おこししましょw 福岡工業大学の生徒がサークル棟で女性とイチャイチャして炎上
https://goo.gl/xrJ4Jq
今川 前スレからだけど、実際に武田も上杉も今川もたいしたことないんだよ。所詮は県知事レベルじゃん。
別に関東だけが激戦区だった訳じゃなく、中国、東北、四国、九州も激戦区であり化け物がゴロゴロいたわけだ。
地方制覇した毛利、島津、長宗我部、伊達、北条の方が彼らより圧倒的に上だから まぁ、北条と武田も今川がいるから迂闊に動けず、一番先に京に向かって進軍したのも今川だし、有能だったんだろうよ。
とはいっても、イメージは「ごじゃる」が口癖のバカ殿だしな。今更このイメージはどうしようもないw 歴史ヒストリアで30分ほど今川義元をやってもらえば十分だろ 中井貴一主演大河の武田信玄の時、中村勘九郎が義元を、北条氏康を杉良太郎がえんじ、三国同盟のシーンが面白かったw
勘九郎義元が貴一信玄に向かい「甲斐の人間から見れば裏富士は趣きがあるでしょうな」なみたいな喧嘩を売り、貴一信玄が甲斐の人間は誰も裏富士とは思っていない、富士が見える所での合戦は百戦百勝でござるみたいな返しw
裏富士論争っていまだに静岡と山梨の間で続いているのか?w
静岡市長は義元なんかよりそちらの論争に決着をつけるのが先だw あんな負け組武将を再評価とか功績がどうとか
むりやりすぎて草 武田も 旧日本軍もだよねぇ・・・
◇中国関連記事1のページ
http://ultiman2006.web.fc2.com/chna1.html
◇中国高速鉄道建設は亀より遅かった 風向きは日本へ
◇中国のトリック みせかけの石炭輸入停止に米司令解任要求
◇中国の批判封じ 支局閉鎖まで追い込まれる せめて天寿全うしとればね。氏康や信玄見ても、子や孫の代で滅亡しても評価下がらないからなw 顔グラがイケメンになって能力値も上がったんだから文句いっちゃいけない 信長の野望は九州勢を以上に強くし過ぎだと思うわ
九州とったらそのまま天下とれるからな 中高と静岡市葵区に住んでいたけど今川氏の名前はほとんど聞かなかったな
菩提寺のことも今ここで初めて知ったw
家康しか知らなかったよ 野戦で大将クビとられるなん今川義元、龍造寺隆信くらいだもんなw まずありえないw >たった一度の敗北でだめだということではない
大東亜戦争と絡めさえしなければ、どんどん使えそうなフレーズだな。
で、気が付くと日本人のマインドが変化していると。
自虐的、自粛的な気持ちがなくなり、ポジティブな気持ちになるのは、まあ、良いことだわな。 まぁ義元は失敗しなさすぎた過ぎたことが失敗だよなぁ運がなかったというか まあ信長がいなけりゃ秀吉も家康もなかったろうが
義元がなきゃ信長もなかったんだろうな
「東海一の弓取り」と言われ天下人に最も近いと目されてた男
組織作りの手法とか信長も真似てるものも多かったとか・・・
でもなぜかTVのドラマだとお歯黒の公家
「麿呂でおじゃる〜」
的なビジュアルが定番になってしまってて
雑魚キャラになってるというw どれだけ活躍しようが負けたらパーになる、それが戦乱の掟や
信長でさえたった一度の謀叛で終わったんだぞ 負けても跡取りが機能してれば滅びはしなかったろうに
つか滅ぼしたのは豊臣であって織田ではないような あそこで討たれてなかったら天下とれてたのか?・・・
でも信長、秀吉、家康よりも今川義元なら周りの連中が案外すんなり従ってるかもな オラが村がーってことでしょ?
だから田舎者は外出るなよそれで解決だわ 小和田哲男、あっちこっちで色々やってるが大丈夫か?
みこしに担がれてるんじゃないの? 敵は我にあり、だね
日本人の一番の敵が失敗は罪、と思い込むこと
意識しないうちに強く失敗は悪、で決め付けるから
注意が必要だ >>33
信玄は絶対従わないよ 結局川中島みたいに勝負つかないまま双方没みたいな?w 実際のところ、
日本史でよく出てくるストーリーの中じゃ、織田信長の躍進の踏み台みたいな扱いで、
義元がそれ以前にいかに地位を築いて、どういう政治を行ってたかなんかはよく知られてないな。
同時代だと、静岡は徳川家康のイメージも強いし。 >>23
地域によって名前違うんだが、静岡で今川焼きで売ってんの?
東京・神田発祥の名前らしいが、都内では回転焼きで売っている店も多いよ。 これは面白そうだね。
歴史は勝った方が作るので
特に歴史書なんて勝った方に都合よく書かれるから
負けた方の印象は悪すぎるんだよね。 歴史にifはないというが、もし今川義元が負けていなければどうなっただろう? 静岡市長は、民進党推薦川勝県知事の暴走に抵抗している一人 >>37
従うも何も信玄は圧倒的不利でしょ 上には上杉、下には今川、北条って・・・
今川義元が討たれて得したのは武田家。 >>44
それでも松平が天下をとったかもしれないな。 今川家の寺って、杉並にもあったよな
落ち着いた感じで雰囲気良かったよ >>29
何度も謀反されとるぞ
浅井とか松永とか荒木とか >>46
いやだから三国同盟結んだんだしw 生きてればそれはしばらく継続。でも信玄義元の性格だと絶対崩れたと思うからね >>21
朝鮮出兵で活躍したのが多かったからな
名目的に日ノ本オールスター戦で活躍したわけだから評価上げざるを得ない 周りを舐めすぎてたんじゃない?
信長にやられなくても、どこかでやられてたと思う
もっと用意周到な性格だったら、あるいはね >>40
そう言えばどっちも御輿だなw
龍造寺隆信はデブ過ぎて馬に乗れなかったんだと
負け戦になると御輿担いでる兵が投げて逃げていったそうな・・・w
同じ御輿でも大谷吉継は立派だね。負け戦になっても御輿担いでる兵が絶対に裏切らなかった。 臨済寺‥徳川家康ゆかりの久能山東照宮と比べるとジミで静岡市民も
あまり興味がない。 >>45
犬猿の仲だよね。
酷いことを言い合っているw
それだけでもおもしろいわw 評価される人物ではあるけどテレビにしろマンガにしろ麿呂化いう風評被害かならず受けるから全国では浸透することないだろうな つまり織田と同郷の安倍がムカつくってことか
これは共謀罪だな >>47
それだけはなかったかと
ずっと今川の下で、独立も出来なかったんじゃないかな
性格的にも、無茶なことできない人じゃなかった?
まぁ武田に負けてから慎重になったのかも知れないけど >>59
年1回しか内部を一般公開しないからだろうな。 テレビドラマで悪いイメージがついた大名
今川義元
最上義光 >>55
にしても九州はチートキャラが多過ぎないか?
黒田、後藤、立花、細川、小西、島津、鍋島、加藤・・・
九州勢だけで完結し過ぎでゲームバランスが崩れるわw 実際信長だって負けた事ぐらいある、まあ被害が致命的になる前にさっさと引き上げて被害を最小限に抑えてたけど
ヤバかったのは金ヶ崎ぐらいでしょ
だから敗北はいいけど、討ち取られてるのは擁護出来ないな 今川義元はあっさり負けてしまったので、過小評価されてる感はある。
実際は教養人で、内政に優れていたリーダーだったみたいね。 東部民やから今川とか家康とかピンとこないわ
この辺は北条氏とかになるのかな、よーわからんが >>46
今川が潰れて得をした…と思っていたら織田という遥かに強大な勢力に潰されたでござるの巻 いや義元はちゃんと評価されてるぞ
むしろむっすこの今川氏親を再評価してやれ >>33
京都に上洛して足利将軍の後見として
大権力にぎる所迄はいけただろうね 家康今川他にもたまにでいいから忠長思い出してやれよ 復権させるべきは氏真公。
毎回バカ殿に描かれるが、今川家を高家として残せたのは氏真公の功績。
幼馴染み?だけど壮年期は敵になった家康と、晩年は茶飲み友達状態になれるコミュ力。
武芸にも優れ、特に蹴鞠に関しては神。戦国のファンタジスタ。 戦国時代って華やかなイメージあるけど、実際は今でいえばキューバの麻薬戦争みたいなもんでしょ?
首切って腰にぶら下げたりとかヤバイじゃん明らかにw まあ負けたのが信長だったのが運のつきだな
信長ではなかったらこれほど過小評価されなかっただろう たった一度の負けがすべて、とは言わないがインパクトがそこしかないからなあ。
そして信長の苛烈さに持ってかれてる感じもある。
あるいは文化人=弱い、みたいなイメージもあるかも。 えーと、たった一度の70万人割りで政令市返上はしなくていいよねと言いたいんかこれ。 そもそも義元は上洛なんて一度も考えた事は無かっただろ
単に尾張の南半分と西三河は今川家と織田家の草刈り場だったので
それをきっちり今川領土だと示すために西進しただけだし。 今川家を題材にした大河は見てみたい気がする
でもマロになっちゃうんだろうな >>46
そうとは思わんなぁ。その武田を滅ぼしたのは今川義元を討った織田じゃね? 負けただけでなく、大名が戦場で首を取られるなんて滅多にないことだからな >>72
沼津の国興寺城が北条早雲のゆかりの地だから秀吉に会ったら殴っておけ 街道一の弓取りだったっけか
普通なら織田家なんて一ひねりだったのに。
家康も傘下に収めていた。 >>70
信長がヤバかったのは何度かある
金ヶ崎もそうだし本願寺と足利の対信長包囲網戦では信長の親族関係の大半が討ち取られたし >>85
今の大河は今川がたくさん出てきてるでしょ
氏真が人間味溢れてて楽しいよ >>68
輿から雷切ぶんまわしたり鉄砲ぶっぱなしたリアルチート道雪さんはノーカン 桶狭間の戦いは実は同じ位の兵力で戦ったのが実話
奇襲というのも嘘
戦に勝つことで織田の兵は強いというのを宣伝するために少数で撃ち破ったと周囲にふれまわることで自国 を守る為のアリバイ作り
現に織田の兵は弱かっただろ
今の愛知県人を見ればよくわかる >>79
討ち取った首は女房がきちんと洗って化粧まで施していたんやで >>44
桶狭間で負けなくてもいずれ信長に負けてたと思うわ 徳川以外は負けたも同然なのに不当に無能扱いされてるのは確かに感じるな。
あと、静岡なら相良の田沼意次の再評価の方が重要だと思うけど。 氏真は可哀想。
代を継いだ時はまだ若すぎて三河衆に追加の人質要求とかアホな事をしたけど
誰でもあの状況に置かれて若年だったら同じミスをしたと思うぞ。 (*^)/☆(+。+*)駿府城は家康が晩年大御所政治を行ったところで東照宮まである家康推しの場所なのに節操がないなぁ。
浜松も一緒で家康くんがゆるキャラでGPをとったのに
今や直虎ちゃんという二枚看板で町おこしをしている。
浜松城に行けば家康くんと直虎ちゃんがお出迎えだわ。 >>94
今川が兵を分散させてたから
織田と今川本隊の数が同じくらい
というのが真実な気がする
あとは天候と運の差では 歴史は結果がすべて
むしろ高家として存続したことの方に価値がある 部下の家康と同盟国の武田に裏切られるあたり
よほど人望がなかったんだろう 一度の負けでなく負けの過程と討ち取られたのがよくない
何でこんなのが開始時点で一番でかい勢力なのか不思議だった でも信玄に裏切られて大名家として滅んでよかったかもな
そのお陰で高家になれた。
大名家今川氏だったら高家として残してもらえたかどうか微妙。 >>94
今川は当時、2万以上で尾張に乗り込んでるが織田に2万も兵を集められる力なんてないだろ >>10
その人たちはみんな運も実力のうちって認めてたけどな 岐阜市民が信長を信奉するのはわかるが、
名古屋市民が戦国時代の誰を信奉するのかがわからない
まあ大阪の堺市だって三好を信奉するわけじゃないが >>97
ていうか義元がそのままなら松平の離反もないし
信長の天下取りは無かったんじゃね 北条ってゲームだと神奈川あたりのイメージだったけど、実は静岡の武将って本当? 劉備も呉を攻めるときに兵力を分散させたせいで大敗したけど
義元も同じ轍を踏んでしまった。 ゲームのステータスはどれも高いからまだいい方だぞ
ドマイナー大名だと有名大名の現代で言う係長や主任よりも酷い数値だし 日本もそうなんだよ。
たった一回の敗北でどうだというのか。歴史をさかのぼれば白村江の戦いとかあるが。
しかし、今回の正義の戦いにおいて、日本は悪、軍人は悪、九条は平和、護憲などと言うのはなぜか。
負ける戦争を無理やり強いられたわけだが。
周辺国が日本を恐れ、弱体化、願わくは絶滅したいと考えているからだろう。テレビはそれに貢献している。
国連憲章に違反している日本国憲法を礼賛してやまない。日本国憲法の矛盾点を指摘しない。
特別会計で日本がアメリカに貢いで、日本が貧困化していることは決して報道しない。与党も野党もすべからく
問題にしない。できない。米国の属国だからだよ。護憲などと言ってる政党は宗主国の回し者だ。
今の改憲がいいとは思っていないが、憲法の矛盾点に気付くべき。およそ、憲法などとは言えないデタラメ
なものだ。学校でも教えないね。テレビでも言わない。言わないことを見つける。それが真実だからだ。不都合な真実
は隠さねばならないからだ。学校で教えることを、真実と思う事は馬鹿、BAKAの第一歩だ。 >>112
伊豆の御領主さまだよ。
伊豆公方の茶々丸を殺して伊豆の国主になった。
だから下剋上の代表的人物と言われる。 >>10
東海道や中山道や木曽路がどれだけ交通の要所だと思ってるんだよ。
この中央に十字に延びてる道は上は越後、東は東北、西は京とどこまでも行けるんだぜ? >>114
センゴクの影響でイケメン、高パラメータ化したってのは本当なの義元公 趣味が公家作法ということは
しょせん、田舎侍としての
強烈なコンプレックスの持ち主だったんだ。 戦国時代の象徴である信長にやられてるんだから
こういう扱いになるのは定め
嫌なら負けるな >>93
とはいうものの輿利用者の家はみんな没落してるよな
立花は西国無双が再起させたが 敗北してても名声が落ちない人もいる
義元が駄目だっただけ
多分息子が悪い でもまだいいよ
天下人に負けた武将、大名ってのはその天下人の凄さを引き立てる為の敵キャラとして有名になれるから
上杉、武田、今川を越える化けてなんて当時は他にもいたのにな
大内、三好、尼子、大友、佐竹など彼らが可哀想だ >>120
センゴクの前から再評価の面はあった
特にネットが発達してから、義元の情報が知られるようになってから特にね
ネット前はもう散々だったなw 基本的に日本は敗者復活に寛大な土壌があるしね。
義元みたいに命までとられない限り。
頼朝は一族皆殺し死刑寸前からの復活、後醍醐も幕府天下の世に連戦連敗から復活、
尊氏も九州に落ち延びてから復活、義昭も負け組側から信長を追い込むフィクサーにまで復活、
竜造寺も一族皆殺し客分から九州半分の当主にまで復活、薩長も負け組外様から復活 義元を主人公にした何かが大ヒットすれば評価が変わるよ
坂本竜馬なんて、本当は大したことしてないのに、小説の恩恵を受けまくって日本の偉人にのぼりつめたわけだし >>69
マイナーすぎるうえに大河に口出して面倒くさがられる東北さんが悪い
せめて最上義光の名前を正しく読んでもらえないとねー >>122
当時は公家の作法が公式のマナーとされてた
お歯黒つけて輿乗ってってのも権威の象徴
信長の革新性は、むしろそういうのを脇に追いやったこと 討たれて負ければ評価が下がるのは仕方ない
家康だって真田の突撃で討たれてたら、詰めの甘い間抜けキャラになってた >>10
織田信長が恐れていたのが武田信玄と上杉謙信だけどな 信長は殺戮王子だったから
今川義元のほうがより良い平和が保たれただろうね。 バンデッドとかいう漫画が面白いな
後醍醐天皇がラオウみたいなんだよ でも今の時代の知事や市長よりは立派な方だったと思うよ
こうやって500年も語り継がれる人なんて滅多に出ないし
魅力のある人物だったと思うよ >>119
だから関東だけが激戦区じゃないんだってw
上杉も武田も実際はたいしたことないのに最終的に天下をとった徳川家康を若い頃に苦しめたってだけで引き立て役で有名になってるに過ぎないの。
川中島合戦なんてあれを越える戦は全国でゴロゴロあるわなw >>131
難しいだろ
龍馬は最初から偉人イメージだったからこそああだが、義元はマイナスイメージが定着しすぎてる 守護でさえない家の出身で天下布武のノブノブが優秀すぎてなああ 朝倉義景は無能だったと思うけど
今川義元は無能だったと思えないぞ 小和田さん、昔からずっと今川推しをやってたんじゃなかったっけ?ようやく市長を巻き込めたってところなんじゃない?
静岡民じゃないんで、詳しいことは知らないけど。
尤も、静岡市民がなぜあそこまで家康を絶対崇拝するのか、俺にはどうしても腑に落ちなかったよ。
まあ、駿府の城下町を実質的に整備したのは家康だけど、あくまで家康は愛知県三河地方の人。
>>109
「3人全員微妙だから、いっそのこと【3人全員並べてホルホルする】」というのが、名古屋市民の総意だったはず。
3人=信長・秀吉・家康。
いろいろ憶測してみたが、どうも俺が作ったこの仮説が一番的確なように思う。
名古屋人に聞いても、的を射た答えは返ってこないが、よく聞いていくと、
この3人だけ殿堂入りさせて、他の地方武将は全員雑魚扱いするんだよねあいつら。 >>136
殺戮王子って言うほど苛烈でもなかったけどな
既存の宗教勢力との戦いがあったから言われるだけだし
だいたい仏教保護も普通にしてた、敵対する俗世まみれのクソ宗教相手がメイン >>135
だからそれは織田信長が天下をとったからだろ?
北条が天下をとっていたら、里見、佐竹、結城とかが超有名大名になってたんだろうよ 麻呂のイメージがひどすぎてなにやっても無駄だと思う >>131
司馬史観なんて俗語があるくらいだしな。 >>57
今川義元も若い頃は武芸にも通じてシュッとしてたけど
病気と不摂生でクソ太りして桶狭間じゃ輿に乗って参戦してた。
信長の奇襲に太り過ぎて逃げれなかったと俺は見てる。
相手の指を食いちぎるくらいは一矢報いたらしいが(笑)
同じ輿に乗ってた立花道雪は足が悪かったので仕方なかったが輿に乗りながら隊列が乱れると棒でぶん殴るくらいの鬼軍曹ぷりででも家来が命をかけて守った人徳ある闘将らしいから器が違うかもね。 >>122
駿河までは田舎じゃないな
箱根かせめて富士川、それ以東が田舎
善光寺や諏訪大社は歴史古いぞ、格式高いぞ グスタフ・アドルフとか戦場で討ち死にだけど、評価高いよ
討ち死にだから低評価となるわけでもない >>145
義元はマジで無能ってのはありえんな
蹴鞠とお歯黒の印象がいけなかったのか ちなみに織田信長が上総守を自称したのは
今川義元が上総介(これは自称ではない。正式な任官)だったので
それに対抗して自称してみたんだよな。 もしも毛利が天下をとっていたら・・・
尼子、大内、宇喜多、大友がライバルとして超有名大名だったろうな >>150
地理的不利から考えるとかなり家臣団が強力だったとは思う ゲームじゃねーんだから当時天下を意識してた大名がどれだけいるかってことだよな。 言い分は分かります。
けど「のぞみ」は停めません by JR東海 織田信長が偉大だったのはハッキリ天下を意識してたからだろ
今川義元は多分一度も天下を意識した事は無い。 >>35
俺はこの人が戦国史じゃNo.1だと思うのだが >>1
そんな皆様に
皆川博子 著 「戦国幻野―新・今川記」を。
ステレオタイプではない怜悧な義元像が楽しめます。
一読の価値あり。 >>159
そうだよ?
だから徳川家康を若い頃に苦しめたからこそ引き立て役として武田も有名になっただけじゃん
実際は武田を越える連中はゴロゴロいるのに 本気で天下を意識してたのって、それこそ信長だけだったんじゃないの? 川中島は定期交流戦だもんな
あれで双方、10年は無駄にした
暗殺するなりして、とっととカタを付けていれば、
それこそ勢力図が激変したかもしれんのに 領地・石高をどれだけ持っていたか、それらを増やしたか、減らしたか。
「〇〇を苦しめた」なんて単発エピソードは評価にならないでしょ。 >>169
マジで天下を意識してたことが確認とれるのは
三好、伊達、島津、北条かな 実際何で打ち取られたんだろうな。
織田の戦力を舐めてたのかもしれんけど、
大勢力の大将が野戦で首取られるって不幸が重なりすぎだろw 結局、戦国時代って京を治めるのが全国統一への唯一の道で、都に近い愛知の三英傑と隣接してた国は不幸としか言いようが無いな。京の西側近隣の武将は好立地にも関わらず三英傑に屈服したのだから所詮井の中の蛙だろ。 たった一度というが、今川は祖父の義忠も塩買坂で横死してるし。
義元もうまく回っていたのはすべて太原雪斎のお陰で、雪斎が死んですぐこのざまだからな。 >>175
本願寺顕如(日本を宗教国家にしてドンに収まる野望たっぷり) ゲームの印象と太原雪斎にかなり評価を吸われてる所はある
しかも太原雪斎が死んだ後の義元関連で有名な出来事が桶狭間だけだから
ますます無能扱いされやすい >>171
確かに三好は狭義での「天下」=畿内周辺を支配してたけど
そのための統治システム構築には程遠かったからなあ >>173
センゴクでも本願寺が「上杉のせいで武田は長篠に全戦力を出せなかった」云々ってぼやいてたなw >>175
島津は天下を考えたことなど一度もないと言い切ってるぞ
伊達・・・こいつはバカだからほっとけ せめて氏真が徳川の配下の高家ではなく
ある程度の大名として復活してくれたらなあ
高家は玄人好みのポジションかもしれんけど
やはり大名の方が一般イメージ的には良い
徳川も徳川でかつての主君なんだし覇権を握った後は
数万石の大名として復活させても良かったんじゃねえの? >>78
その家康は氏真をうざがって遠くの屋敷に転居させたw 歴史は勝者が作る
ということに異様に拘る人いるよね。
現代の研究者はそんなこと承知で
いろいろ調べてるのに。 >>180
太原雪斎が生きてればって言ってる人はおるしな >>179
信長の野望で本願寺勢力だと一向一揆が仕掛けられるバージョンはやってて楽しい
鉄砲の生産も苦労しないしな >>163
戦乱の世になって100年たってるから
情報の少ない当時の人は戦国が当たり前なんだよな 「天下布武」とはっきり言ったのは信長だけだな
他は足利将軍家の権威とかでなんちゃって権力者にはなろうとはしてたろうけど。 >>161
大友配下の立花道雪・高橋紹運はもっと取り上げてほしい武将だ >>5
おんな城主直虎で浅丘ルリ子が寿桂尼(今川義元の母)を熱演しているおかげで
寿桂尼主役の今川大河やったほうが良かったんじゃねという声はある
今川の酸いも甘いも知ってる人物だからね >>176
なんとか崩れってよくあるよ。
家康の祖父清康も森山崩れで打ち取られてる。 >>72
源頼朝がいるじゃないか?伊豆から再復活したんだろ >>193
その2人は歴オタクから評価高いけど何で?島津の九州統一を阻んだくらいしか評価なくね? センゴクの大友編が凄く面白いな。
キリスト教など信仰してなければ九州で天下獲れたな。 >>177
一番悲惨なのは三英傑と隣接してたにもかかわらずあっさりと乗っ取られて滅ぼされ
戦国もののドラマ・小説・ゲーム等でもほとんど無視されてる北畠かと >>94
それは田楽桶狭間で最期を迎えた時の局地戦になってしまった時の大将の部隊と信長軍のことを指すんだろ。分断されたような状態で無防備だから義元は討たれた。
大軍の驕りと雪斎がいなくなり締まりがない軍に成り下がっていたんだよ。 たった一度だろうが何度目だろうが
致命的なやらかしをした以上、駄目なものは駄目。
そもそもどんだけ今更だよ。 智将、雪斎に認められて雪斎を家来に迎え
自分の兄貴たちを全て討ち取って大国の大名となり
武田信玄、北条氏康と互角に外交してた奴が無能なわけないだろ >>12
桶狭間での出来事を一時間単位で追う。
桶狭間24
一年持たないな。 >>177
思い出したよ。その言い方なwww
「三英傑」←これ。
ほぼ名古屋の方言と言っていい。他では聞かない。この単語の含意に>>109の答えがある。
ただ、今川氏に関しては、守護大名上がりで室町の記憶があるからね。室町期の守護大名は原則として在京都。
義元としても、上洛成功&京都での一定のポジション獲得のあかつきには、そのまま在洛化してしまおうという発想はあっただろう。
状況如何によっては、血筋を背景に将軍禅譲まで視野に入れていたという妄想も出来る(妄想だけどw
ここに、織田とも上杉とも毛利とも違う、今川の古き良き独自性があったような気がする。
上杉はあくまで関東志向、毛利は国人上がりで一所懸命、織田はいわずとしれた革命児。 >>168
アホか織田信長が家康に援軍を送らなかったのは信玄と真っ向から対峙して勝てる自信がなかったから >>131 漫画『センゴク』桶狭間編と『信長戦記』の義元は有能だけどね。 まあ負け方と負けた相手があれだから中々評価は上がらないよね。 >>175
伊達は天下なんて狙ってない、というか狙えないよ
政宗が元服するくらいの時には信長が中央をほぼ手中に収めて掃討戦に入りつつある時期なんだからさ
伊達が天下を狙っていたなんてことはミサワみたいに「いやー、生まれるのが早かったら天下取っていたね」って言ってるぐらいのもんよ >>198
そんなことない
武田信玄、上杉謙信も「西の立花道雪は武家にとっての良い見本」ってなくらい評価高い
関ヶ原で負けて領地没収された立花なんて全国の大名からラブコール出されてたんだぞ 徳川一神教の静岡人が何をいまさらw
徳川家康の観光効果がろくに無いからって、次は今川かよ。
徳川をもっと崇めておけよwごみくずどもが >>208
そこら辺はセンゴクでやってたね
家康の葛藤と成長は印象的だった 信長ごときに油断しすぎだwwwwwwwwwwwwww >>208
何で俺と君が争ってるのかよう解らん 俺もそうだと言ってるじゃん 実際、信虎相手だったら気を緩めなかったけど
若造のノブナガ相手だから油断した部分はある。 >>128
でも天下をとれなかったんでしょ?
天下人の驚異でもなかった。
まぁ、地理の理はあったかもね。
東北や九州じゃ遠いもの。 今川義元は優秀な武将だったよ
敗北で死んでしまったのが不幸 >>198
生きざまが熱いからね
親見て育った子が立花宗茂 >>212
とりあえず伊達は最上と仲良くして佐竹に完勝出来るほどの実力を持つべきだったな >>221
北条と島津は脅威だったろ
島津討伐は秀吉軍もヤバかったとフロイス日記にも書かれてるし >>203
雪斎は義元幼少時からの養育ががりだぞ。 信長の野望 戦国群雄伝
政治89 戦闘86 魅力93 野望92
信長の野望 武将風雲録
政治87 戦闘79 教養85 魅力92 野望95
昔から評価は高いな
ただ麿のグラフィックなだけど… 今川家は強力な有力家臣団は持ってたけど
北条家みたいな強力な御一門衆を持ってなかったので一度負けると
ボロボロだったな。
これは武田家も同じ。 >>175
三好…あくまで室町幕府内部での権力掌握を目指す
島津…ここが天下に色気を出したのはむしろ幕末(本気で明治天皇が将軍宣下する島津幕府を作るつもりだった)
後北条…関東に独立王国を作るのが目的。京都には縁はあっても興味はない。
その中では、誇大妄想とはいえ、天下を本気で思っていたのは伊達政宗だけだろう。
奴はなぜかいつも本気だった。どうみても無理ゲーの誇大妄想だが。
あとは黒田如水、前田利家、蒲生氏郷、この3人は本気だった気がするw >>225
伊達政宗が小物界の大物であったことは事実
こいつが徳川政権樹立の立役者だろw
本人はそういうつもりは全く無いんだが、小物すぎてやってることが全て徳川家康のためになる 信長のブースターになったというのは物凄い功績でもあるんだけどな
まぁでも、ネタにされすぎ、無能扱いされすぎというのはわかる
雪斎が生きていれば…というのはなくもないけど、義元本人も十分有能だしなぁ >>222
優秀さが見いだせないからずっと浮かび上がれなかったんだが。 >>232
だから、伊達政宗は小物界の大物なんだよ
意識高いだけの偏差値28号と同じw 今川義元の優秀さは政治力だと思うよ。
式目を最初に作り始めたんだろ? >>227
で?だからその間に義元が大名ならやってけると思われたんだろ? >>234
今川に関しては、地元の静岡人が徳川一神教で積極的に今川の歴史を無視してきた経緯が全ての原因だろ 今川方は何せ織田との戦いは優勢に進められてて
前線の織田軍はほぼ壊滅状態だったし
翌日にも天白川越えられて熱田方面に進軍される情勢
そりゃ今川軍も油断しますがな。 もしも伊達政宗は早く産まれていたら天下人だったから!
でも・・・上杉、武田、北条ライン突破しないと京に近づけないんだよね?上杉謙信の領土にちょっかい出して逃げ帰る絵しか浮かばないわw 信長のゲリラ部隊的な戦い方って近代戦みたいなんだよな >>237
そうなんだよね外交も巧みで
あの一戦だけ裏をかかれたんだよ
まあ信長の情報戦略が上を行ったからなんだが
世界でも珍しい奇襲大成功の戦だろ 太原雪斎と寿桂尼がすごいだけで今川義元はただの飾り物説 >>226
兵站がギリギリ、もうちょっとでアムリッツァになってたが、島津も分裂寸前だった言うし 今年の大河、今川義元でも良かったんじゃ
センゴクの桶狭間戦記っぽい今川義元像ならいけた気がする なんにしろ今川の低評価は地元静岡人が徳川崇拝のファシストなんだからしょうがない >>136
信長がうつけものみたいなイメージがついたのは親父の葬式で位牌に抹香を投げつけてから。傅役が切腹したりしてね。
仕方ないのは織田領は内乱から裏切りから酷かったから。
実際は領民と気軽に触れあったり身内には厳しかったみたいだけど六天魔王みたいな感じじゃなかったみたい。
当時のイメージじゃ先進的過ぎて周りがついていけない古い奴が多かった >>189
それと同時に「こんな事してたらそりゃ焼き討ちされるよな」って納得できる >>14
5/23(火) Eテレ 午後10時00分〜 午後10時45分
「だって仲間だもの 戦国武将 今川義元」 信長も強固な美濃よりもまずは不安定化した東方に向かう考えなかったのかね >>10
おいおい、島津も伊達などは地方制覇なんてしていないだろw
島津は南九州一帯で、北九州は大友や龍造寺がいる三国志状態。
伊達の横には最上、北には南部や安東、南には相馬や佐竹がいる乱立状態だ。
関東も、北条が制覇している訳ではなく、佐竹や里見などがいる状態だ。
伊達とか島津、長宗我部を出すのなら、一国だけではなく複数の国へ版図を広げた上杉も武田も今川も同じだ。
別格は毛利元就くらいだな。実質、中国地方の制覇をしているしな。 >>185
ウザがってた訳ではない。
家康の屋敷にまじで毎日遊びに来るので、ちょっと困ってただけ。
そもそも家康は大御所なんだから、本気でウザがってるなら遠くに引越しじゃ済まない。 >>259
武田今川北条の睨み合いのバランスを崩したくなかったんだろう 戦国無双だと
みんなで蹴鞠しようよ
みたいなキャラにされてたな。
ただまれに秀吉みたいに怖いとこみせるけど。 >>259
最初はあった。
実は義元を殺してから2年間も家康と戦ってる。
意外と手強いと分かり徳川と同盟を結び西に転進した。 >>244
信長の野望創造では国力差が
関東統一した北条>東北地方制覇した伊達
だからなw
伊達が北関東とってようやく均衡するレベルw もう結論は静岡人が徳川崇拝の朝鮮儒学かぶれの事大主義者だったから今川の評価できないでよくね? >>259
斉藤と和睦できるならその可能性はあっただろうけど
道三の譲り状を美濃攻めの大義として掲げてる以上実質的に不可能 >>213
老齢を押して出た島原の乱じゃ戦国のレジェンドが来たと若い武将の士気が一気に上がったとか(笑) 徳川の世が長く続いたんだから、今川が評価高い訳ない。 >>225
伊達政宗のカリスマだけは凄かったから…
どれぐらい凄いかっつーと政宗が死んだら殉死で国が回らなくなるぐらい
20人も重鎮に死なれたらそうなるわな >>265
氏真は普通に浜松に住んでたしな
むしろそれ以前の氏真がよくわかってないのは、静岡人の徳川崇拝事大主義で
今川の研究がされていないから
いまさら、なにが再評価だよw口だけだろ、やった実績ねえくせに
しかも、同じ口で駿府城天守閣再建とかいってる徳川一神教信者だろ、こいつw ノブヤボで1555〜1560シナリオを今川プレーすると、織田を食って人材吸収したらそのまま一気に統一行っちゃうくらいには強いんだよな。 >>275
それが「樅の木は残った」につながるわけですね >>273
それが事大主義って言うんだが。わかんねえだろうな、朝鮮人クリソツの静岡人には 復権させるにはそれなりのことをしないと無理。
光秀、尊氏とかは長い間、浮かばれなかったが、多くの研究家や作家などにより復権を果たした。
時代背景も影響するけどな。
龍馬や武蔵のように作られ過ぎた人物像は困るが、扱い方によれば復権がかなわないこともない。
が、それだけのことが果たしたできるだろうか。 >>277
織田家家臣団の能力高めだからな
ちと高すぎと毎回思うわ >>260
女枠の年で当たりを見たことがないな。まったく面倒だ
一番のトラウマは「いのち」で三田佳子のセーラー服姿 >>271
道三と義龍で親子喧嘩してたんじゃどの大名でも付け入ろうとするよな
武田が上杉と和睦してたら、絶対に美濃を狙っただろうし >>277
今川プレイで有利なのは、徳川家臣団をも吸収できるし、家康がいる事だな。
すぐ上に武田もいるので武田の人材も吸収できる。特に真田一族。 戦国時代にあっては、いくさに勝つか負けるかの評価しかできない
それ以外のことはどうでもよい あれから500年も経ってるけど今川でも遅くないからな 島津の場合もしとか考えられんな。官兵衛と小早川隆景のツートップ相手って無理ゲーだろw >>281
そんな大層な発想はねえよ。静岡市は徳川家康に観光効果がないから、
今川義元と言い出しただけだし
だいたい、今川義元について一番無知なのは静岡人だぞw
積極的に無視してきたからな >>207
三英傑が全員愛知出身なのが気に食わない嫉妬さんがよく言うよね。
愛知捨てて他所行ったじゃんて(笑)
領土が拡大したら最適な拠点に移動するのが当たり前で、大半の武将は近隣の小競り合いだけだから故郷以外に移動する必要が無かっただけやん。
ハッキリと天下統一の意志を持って行動にまで移したのは愛知三英傑と今川武田の5つだけやろ? >>277
歴史イベント無しなら大勢力になっていることもあるな上杉か武田か北条に滅ぼされるけど >>176
近代戦ではなかなか番狂わせは起きにくくなったんだけど、中世の戦では大番狂わせは結果起きる。
兵の90%以上が戦闘訓練もろくに受けてない百姓ばかり。
百姓兵相手ならなんとかなるけど、武将を前にするとただ逃げ回るだけ
だから何万の兵といっても、よく訓練された数百人程度の精鋭部隊に攻められると前線の集団は簡単に崩れてしまう。
前線が崩れて大挙して後退を始めてしまうと、退却する部隊が後ろに詰めていた部隊を塞ぐ形になって、
戦力を失ってしまうし、退却する兵と、踏みとどまろうとする兵とがぶつかってパニックになる。
「一騎当千の武将」なんて大袈裟な表現のように感じるけど、有象無象の兵は一人の屈強な武将に押されて
崩れてしまうこともあり得る。
千人を相手にする必要はなく、前線にいる数名を崩して退却させれば、部隊全体が崩れてしまう。 >>282
武田が無駄に高評価だったから最新のはさがってるな。 >>267
その期間、家康は三河で吉良とか親今川勢力と戦ってる
信長とは戦ってない それの数年前に亡くなった
太原雪斎ってのがすごいって聞くけどなあ >>295
吉良といえば忠臣蔵では幕府はむしろ討ち入りが起きるよう仕掛けてたなんて説もあるな でも大河でやったら確かに面白いだろうな・・・
そろそろガチガチにシリアス重厚な大河が観たい・・・ >>294
逆に北条が再評価されてるしな
しかも国力ブーストのおかげで畑で兵育ててるんじゃね?レベルで兵が沸いてくるしなw
上杉の関東進攻がこれほど厳しいとは思わなかったw >>293
簡単にいうけど
実際はそんな番狂わせは起きない
日本の歴史みても稀
特に桶狭間は劇的過ぎて、近年まで今川の本陣はセオリーではない谷間に置かれていたなんてのが定説だった
今ではみはらしの良い丘の上に陣取っていたとされてる
それでも信長がなしえたのは、天候の味方もあったからかなぁ 負けるってのはそういうことだ
古今東西問わず人類は勝者だけを賞賛してきたのが現実 >>247
軍師が有名で、今川家を取り仕切るいい番頭だった
もし存命なら桶狭間はなかったであろう
松平と小競り合いに終始していた織田家だ 慢心するのもわかるが 信長が凄いのは
那古屋城→清州城→小牧山城→岐阜城→安土城とどんどん遷都した事だよな。
信長が天下を獲ったらさらに→大坂城→寧波城→北京城と遷都した事は想像に難くない。 田辺は、県議時代に子飼いの若手市議を切り捨てたから嫌い 戦国時代に戦国武将から神扱いされてた人は現代とは違うのな
山中鹿之助(尼子家)
島津義弘(朝鮮での功績?)
島左近(三成にはもったいなき者) 一方九州では寡兵が勝つ番狂わせばっかりなのが笑える。 >>301
なにをもって「稀」というかの問題。
「○○崩れ」とか「○○の桶狭間」とか呼ばれる番狂わせは結果たくさんあると思うぞ。 >>302
>古今東西問わず人類は勝者だけを賞賛してきたのが現実
それは水に落ちた犬を叩く事大主義者だけだろw人類とか現実とかぬかすなw
まあ、静岡人には現実だろうけどな >>300
史実だとさらに冬場は三国峠が通行不可能で、物資は現地調達に頼らざるを得ないんだよな
そうなると勢い略奪行為に走るわけだけど、そんなのを繰り返してたら
そりゃ関東の諸豪族もだんだん離れていくよねえ
今の大河で井伊の話をしてるが
今川による締め付けが厳し過ぎ
これでは土豪たちが離反したがるのも当然 >>307
いや知ってるが大将を討ち取ったのは中々ないだろ
しかも少数精鋭で大将を討ち取り戦に勝つとかさ 正宗と言えばサンドウィッチマンの伊達が末裔
安倍も欧州安倍の末裔と言い張ってる
正宗も藤原氏の末裔と言い張ってた
自己申告を認めれば、安倍と伊達は縁故で繋がる >>301
九州の桶狭間って言われてる柿ヶ原の戦いはもっと凄いよ
島津300vs伊東6000で野戦で返り討ちにしてるぞ
九州、四国、中国は桶狭間以上の番狂わせが多い >>276
最期の将軍の慶喜も静岡で隠居してたからね。
駿府城下で気軽に自転車乗ってた。 >>312
静岡人が太古の昔からクズだったということじゃね?
いまだって静岡市さえ良ければ、あとはどうでもいいという政策だし >>230
いやいや、何いってんの、武田も一門衆は強力だっての
武田の一門衆がボロボロなんて評、初めて聞いたわ 義元がどうより、それを討った信長が偉大すぎるからな
若き武将信長が当時大勢力だった義元を倒し、やがてこの国を統一していく
引き立て役として完璧すぎる >>316
うちの婆さんガチで慶喜を生で見たと言ってた 日本橋を歩いていたと >>316
静岡人は徳川崇拝だからしょうがない
実際の慶喜は駿府に移り住んだ旧幕臣には全く無関心で遊び暮らしていただけなんだが、
静岡人の事大主義フィルターを通すと、崇拝対象の徳川様に変換されるw >>289
久能山東照宮(国宝)や駿府城(日本百名城)なら何度もメディアに取り上げられてて観光客は絶えない。
特に家康の亡骸がある久能山東照宮はパワースポットとしても有名。 >>318
井伊については創作のような史実がある
wikiで井伊直虎についてみて見ろ
今川圧政下の苦難の歴史だぞ 大河「徳川家康」のと漫画「センゴク」の外伝のはかっこいい >>320
ボロボロって言うか、一門の長老たちが一度諏訪に出た勝頼の言うことをまるで聞かなかったからな
長篠でもさっさと逃げ出してるし、穴山に至っては武田攻めであっさり寝返ってるし
信玄在世時はそういうことはなかったが >>293
そうそう。信長が最初にプロの職業軍人雇ってたんだよねぇ。半士半農が普通だったあの時代に >>311
信玄より上の関東管領になったために関東の諸武将に「北条と戦って!」って頼まれたでござる >>320
転厩信繁が戦死、息子義信を自ら殺し
自ら御一門衆を潰した事が武田家が滅んだ主因だろ。
秀吉が秀次など御一門衆を潰したのに似てる。 実際の桶狭間はこれが実は真実に近いんだって
尾張討伐に今川義元がくる情報を嗅ぎつけた織田はこっそり松平と同盟。
三河を通って尾張に入ったところで三河軍勢が退路を遮断。そこに織田信長が奇襲。
織田&松平の挟み撃ちだった可能性が高いと。 今川は天下が欲しくて上洛しようとしたわけじゃないからな
今川家は足利幕府の重鎮だから過去何度も上洛してる >>302
判官贔屓という言葉が我が国にはありましてな。 >>338
大阪新世界の串カツ屋のおっちゃん「二度漬けするなとあんだけゆうたやろ!」 >>338
高嶋政伸くんは茶漬けでも喰っていなさい >>325
だから、徳川推しで徳川マンセーしてりゃいいじゃん? >>324
慶喜が旧幕臣とあっていたら明治政府から疑いをかけられて処断される
だから、慶喜も旧幕臣もお互いに近づこうとはしなかった 小和田哲男大先生小和田泰経若先生は武田家の雪辱をはらした英雄だよざまあみろ尾張の田舎侍 >>244
伊達の天下取りへの唯一の現実的チャンスは、むしろ1615年だろうな。大坂の陣で豊臣が滅ぼされた時点での立ち回り。
でもまあ、ガチでやるなら、自分が何の官位を目指し、秀忠の征夷大将軍はどうするかのグランドデザインを描いた上で
10年前から、家康の目をかいくぐりながら京都の朝廷工作をはじめる必要があるが、それをやった形跡はない。
伊達は藤原なので、もし天下を目指すなら関白だろうと誰もが思っていた。
これに乗るか乗らないかも含めて、そうとうな賢慮が要求される。 その後、徳川がトップになったからな。織田+徳川の最高の引き立て役やん。
能なしにしなくてもいいとは思うけどな。
でも能無しにしておかないと、物語の序盤では困るのよ。 コーエーがごめんなさいすれば済む話だろ?
ボール蹴っておじゃるおじゃる言って首とられただけの無能イメージにしたのはコーエー >>328
信玄時代の一門衆から軽んじられてたのは確かだがそれも、一部だよ
若い世代の一門衆からの支持はしっかりあったし、これは勝頼の時代での実績を若い一門は知ってたしな
長篠の時に譜代でさっさと逃げ出したのってそこまで多かったけ? >>333
武田家は信玄の性的魅力で部下と身も心も繋がってたから
信玄の代わりになるような若い肉体的魅力をもった存在は家を滅ぼしかねない程危険だったの >>329
質は農民以下だったけどな、とにかく弱兵で粘りがないから崩れるのが早かった 「人は城なり」とか言ってるけど
実際は甲斐が武田、小山田、穴山連合体で
政略結婚で御一門衆にしてなんとか維持してたせいで
武田、小山田、穴山がお互いに主城を持たない協定とか結んでたんだろ >>343
2018年は大政奉還150周年なので、静岡市は徳川慶喜※一色になるよ。
※徳川慶喜は30年以上静岡市で暮らした。 >>333
は?一門って意味解ってる?
潰した?何いってんの?
家康は人質だったが
当時の英知であった臨済寺雪斉に教えを受け
学業・戦略の重要性を学んだ
信長も領国経営の細かさで義元を尊敬していた
尾張・三河からすれば駿府は最先端だったんだろう >>324
クーデター政権なんて疑心暗鬼で当たり前だし、下手なことをしたらすぐ殺されるわな 天下統一の野望を最初に実行したのが今川義元、
上洛途上愛知で無念の討ち死に。
二番目が武田信玄、上洛途上愛知で無念の病死、後に愛知三英傑に滅ぼされる。で愛知三英傑が天下統一を成し遂げたと。
東北関東中国四国九州のヘタレ共は近場で小競り合いしてただけやん? >>346
家光のときのポジション考えれば、これでよいのだと、天下取りはもう懐にしまっていたと思うぞ、その時期は。 >>338
武田勝頼「わしと氏政は親父代よりは一旦領土広くしとる」 >>332
すまん
ゲームは一切やらないから俺の頭の中での歴史上の人物は、基本は映画、ドラマ、せいぜい漫画から得たイメージなんだ >>330
更に言うと景虎に頼んだ元の上杉は
景虎に頼む前に北関東勢力の佐竹家にお願いしたんだけど
「なんで源氏の末裔である俺が上杉の名を継がなきゃなんねーんだよ!」
って心温まる一言で追い返されたでござるの巻 >>327
あの外伝格好いいよね
来週宮下先生Eテレの今川義元の番組に出るみたいだよ >>354
一門って兄弟とか息子とか有力親戚の事じゃないのか? >>333
信玄のやり方はイメージとして恐怖政治に近いものがある
誰もついていけない、力のみを拠り所にしすぎたというか
盟約も自分が有利だと反故にしていくやり方は
親を追放し、子を自決に追い込む… おかげで信玄自体はカリスマとして存在できたが
織田家と徳川家みたいな関係をどことも築けていない >>334
ナイナイ
松平元康(後の徳川家康)が救援した、織田から今川に裏切りホヤホヤの武将は、
桶狭間の後で東に逃げ出してるし。
松平元康にとって桶狭間は、今川方武将として恋愛結婚までしてこれから飛躍しようと思っていた人生の、突然の全否定だったのさ。 >>338
い、一応ノブヤボでは徐々に再評価されてるから……(白目) >>349
逃げ出した連中がどこに陣取ってたかというのも問題
逃げ出した穴山・信廉・信豊が揃って中央に陣取ってたせいで
両翼を担ってた山形・馬場・内藤etcが孤立して各個撃破されることになった 一度の失敗で命を無くす
戦国の気風を現しているだけ
それに比べたら今は平和でいいもんだ 本堂では小和田哲男・静岡大名誉教授
一瞬 静岡大名 誉教授に見えた ざまあみろ田舎侍これがDNAのちからだ 小和田氏(おわだし)は、日本の姓。東北地方・新潟県・静岡県に多い少数苗字。国際司法裁判所元所長の小和田恆とその長女の皇太子徳仁親王妃雅子の本籍地・新潟県村上市の小和田氏や歴史学者の小和田哲男が有名である。 >>343
遠州人に出世大名家康くんというゆるキャラ作られた上、ゆるキャラグランプリ優勝で家康は浜松というイメージがついたから。
駿河人としては海道一の弓取り義元くんでゆるキャラ優勝を狙ってるんだろう。 >>357
>天下統一の野望を最初に実行したのが今川義元
上洛=天下 ではないんだよ
誰でも勝手に上洛していいわけじゃないの
それが出来るなら信長は苦労してない
今川くらいだよ勝手に上洛しても歓迎されるのは >>370
氏◯「味噌汁をご飯に二度かけただけで怒られるこんな世の中じゃ」 >>349
だけど裏切りが凄かったじゃん?信玄は勘助は架空だと言われているが軍師と一緒に家来を戦争によってうまく手懐けていた。
勝頼は戦上手だったらしいが部下を見殺しにしたり求心力は信玄ほどなかったんじゃない?
武田菩提の天目山で死ねただけでも本望だったくらいで 静岡が有名なのは茶、三ケ日ミカン、サクラエビ
山梨が有名なのはモモ、ブドウ、ワインだろ >>369
信豊の最終離脱は勝頼と同時期と言われてる説もあるがどうなんだろうな
穴山に関してはもう何も言えんわw その一敗で死んでるんだから、そら仕方ないだろうなぁ。
逃げきれていれば、或いは天下人になれたかもしれんが。
死んだ事実が実力の全て。運も実力よ。 >>377
そういや伊豆で昔いちご狩りをよくしたな。
みかんも愛媛と同じように有名だしな。 >>373
今川攻めの遠江の拠点としたが
武田にボコられるカッコ悪いときの家康なのにwww >>313
厳島も木崎原の戦いも大将が討ち取られているけど? 静岡名物なら焼津のサバ缶イワシ缶にはごろも煮だろうに >>290
でもな、岡崎(愛知県岡崎市)の奴らは、名古屋人が勝手に家康を「郷土三英傑」に入れていることに、
かなりの不満を持っているんだよね。この話は散々聞いた。
尾張者ごときが、我らの偉大なる大樹公を勝手に剽窃するとは不届き至極。
あいつらの「徳川」は徳川でも妾の子の九男に過ぎん、御三家が何だ、妾の子の一党じゃないか、と散々聞いたよ。 序盤で大失敗やらかしたならダメでしょ
ぶざまじゃん >>356
和宮が慶喜の助命嘆願してたらしいから朝廷に守られた部分もあったんじゃないか慶喜。 大将が討ち取られた戦で有名なのって言ったら
ほにゃらら公方が北条氏康が殺した奴じゃなかったっけ? ぽっとでの田舎侍とは恪が違うんだよ格が
>『母方の先祖が武田家臣の馬場信春だ』と聞かされて育った小和田哲男氏 適者生存が冷酷なまでに貫徹される戦国時代では、結果がすべてだよ。
どんな卑怯な奇襲を食らおうが、負けは負け。
死んだ者は生き残った者に唾を吐かれる。
生き残った者が歴史を創る。 >>394
そこには行った事がないんだよ。
むしろ湖西市の牡蠣とか浜松市のうなぎは素晴らしかった。 今や焼かれてホクホクになって甘くなっちまったアイツ # 19 報道特注
【これじゃ日本はカエルの楽園だSP】
百田尚樹SP第2弾!中国侵攻を日本はハネ返せるのか?放送法4条を守らないテレビ局の偏向報道がこれだ!
https://youtu.be/22Z2cGc7mTA 戦国時代で北条が登場する前の関東地方ほどグダグダな所はないよな 片山殺気とか気持ち悪い国会議員を選出する県ってイメージがある >>400
それは江戸に今川橋というのがありまして。 >>394
掛川にフルーツパークなんか合った?
なかった気がする 北条氏政も武田信玄も信長も家康も秀吉も名言を残していて
立派な人だったのだろうと思うんだけど
今川義元って後世に残るような名言ないですやん 武田は、国力差のありすぎる信長とガチで戦った時点で終わってる。
家臣団が〜 とかいうのはお門違い。
狭い国土でも金を掘ることで広さ以上の国力を得られていたが、まあ限界はあるよね。 まあ1560年の桶狭間で歴史が動いたのはよくわかったわ。 >>389
純朴な三河人はゲスい尾張人に
不当に搾取され続けてきたという
積年の被害者意識があるのにねw 勝頼の求心力が落ちたのは信玄時代に掘りまくった金山が枯渇してカネがなくなったところに飢饉が続いたからじゃないの
強いやつはカネを持ってたのさ
謙信も金持ちだったらしいじゃないか 武田信玄の恩人は武田家康と新田次郎だよ
この二人が居なかったら今ほど過大評価されてなかった。 >>398
通常そうなるのに、むしろ日本史が続く限り忘れられない名前っしょw
結局信長の栄達に感謝ってことになるのか 義元さんが教えてくれるのは、別に負けてもいいけど死んだら終わりってこと
巻き返すチャンスもないからな 可哀想だよな義元。
なぜ麻呂のイメージなのか?
武田信玄とか織田信長なんてガチホモなのに、あんま言われない。 雑魚に奇襲でやられちゃって
どんくさいよねー
絶対ミスれない所でミスるのは
評価下がるもんでしょ 信玄は穴山信君の弟や山縣昌景の兄を殺害してるけど
ついでに穴山信君も連座で処刑しちゃえば良かったんだ。
そうすれば武田家はもう少し生き延びれたはず。 >>391
パークスが「慶喜が謹慎してるのに殺すなんて聞いたことがない」が一番だったのでは?
山岡西郷談判では「鳥取藩に預ける」(つまり鳥取藩の自由自在)になってるので
ほぼないとは思えないけど死ぬ可能性もあった >>413
桶狭間がなかったらしばらく武田、今川、北条、上杉あたりで睨み合ってた気もする。
やはり織田が覇権を握ってたかなぁ? >>416
武田は勝頼時代に真田を重用し木材と水運を重視する方向にきりかえてたよ
あのまま行くと財政が潤って勢力が復活する可能性はあったけど
秀吉の鳥取城制圧に成功して織田が武田に戦力集中できるようになったのと
火山が爆発して総崩れになったのが滅亡要因。 >>420
息子の氏真くんがそれを実践して、徳川政権では領土を貰い、孫の代で高家扱いになっているしな。 >>248
三成はともかく光秀はかなり評価されてるやん
漫画やコーエーゲーなんかでもかなりの高能力
三成はまあ、そこそこの評価だけど実際の人物像と大差ないかと。 >>423
公家かぶれで、しかも馬に乗れず籠で移動する。
こんなのカッコイイ武士としては思われんだろ。
織田・豊臣・徳川を正当性を主張するために
今川のような敵役の設定が必要なのは歴史の必定
歴史とは勝者に都合のいいように作られるもの >>399
浜松市は「うなぎの町」ではありません。ほとんどの日本人は騙されているのです。
多くの養殖業者は廃業してしまいました。 逆に愛知県や三重県の方が遥かにうなぎの養殖は盛んです。
ちなみに静岡県で一番うなぎ養殖が盛んなのは浜松から遠く離れた県中部です。吉田町と焼津市は県内最大のうなぎの産地なのです。
焼津港のカツオ(水揚げ量日本一)と静岡市の清水港のマグロ(水揚げ量日本一)のアラを餌にしているため脂がのって美味しいと評判です。 日鰻連の本部も静岡市にあり、日本のうなぎ養殖の中心と言っても過言ではありません。
最後にその聖地静岡市にあるうなぎの名店「石橋うなぎ店」を紹介します。 多くの著名人が訪れる名店です。
http://tabelog.com/shizuoka/A2201/A220101/22000386/ >>421
加来先生は無駄撃ちしすぎなんだよ嫌いじゃないが 義元が討たれた結果三好が一番得しただろうな
幕府の希望の光が消えたわけだから
でも三好じゃ天下は取れない幕府の係長レベルじゃ社長には就任出来ないからね >>410
いやあるよ
社員旅行でいったから間違いない 太原雪斎がチートクラスの戦略家だったしな
この人大河ドラマにしたら凄い面白そうなのに
武田や北条と渡り合って三国同盟締結とか熱すぎる >>434
俺、浜松に何度も行った事があるんだけど
いたるところうなぎの養殖池だらけだぞ。
愛知県がトップなのは最初から知ってる。 >>432
馬には乗れなかったが神輿に乗ってた雷神様はカッコいいけどな。 日本の歴史を代表する噛ませ犬だから戦国無双でもアホみたいなキャラで登場してる 子どもがスマホ依存症になっていないですか?
こんな工夫をして適切に使わせましょう。
参考にどうぞ
http://happy-teacher-singing.com うん、まあそうだけど
大将が死ぬような負けだから低評価はしゃあない 義元はなぜ馬に乗らなかったのかな。
諸葛孔明の真似したんじゃね?
太ってたからというのは後世の創作だと思うが。 北条の大河ドラマは面白そうではある
大した合戦や内紛がないから盛り上がりに欠けるだろうけど・・・ 今川義元が生前なにをしたのかを伝えてこなかった
地元の連中がわるいのだろ。
他の土地の人間がいちいち調べてくれるはずもない。 >>376
だから上洛=天下統一とは言って無いよ。
上洛する事で初めて天下取りのスタートラインにつけるって事。
現代の世界状勢と国内状勢に例えるなら、
国連と国会と天皇陛下のお墨付きを貰うって事。
天下統一するには正当性とか大義名文が無ければ重石が効かないから。 >>453
氏康が主役になるんじゃね?
ジョジョもパート3の丞太郎が一番人気があるけど
北条家も三代目の氏康が人気あると思う。 >>448
当時は公家のファッションがフォーマルな場でのファッション
むしろ信長みたいなのが野蛮人扱い 最近の戦国物では「のぼうの城」が1番おもしろい
と思て調べたら、もう約5年も前の作品だた…
時の流れは儚いものよ(´・ω・`) >>452
馬に乗って逃げようとしていたところを仕留められているしさ
乗馬できなかったんじゃないかな >>434
これ読んで思ったのは浜松と静岡の争いってホントにあるんだな。 戦死した戦国大名だと義元と龍造寺隆信くらいだよな
この辺りもイメージが良くない >>453
はあ?後北条は合戦だらけだろw
国府台の合戦は赤壁の戦いになぞらえて書いた作家がいるくらいだ。 >>455
家康が駿府を好んだから
今川氏の事など忘れ去られたのだろう
徳川政権下で駿府が荒れ放題になっていたら
みんな徳川を恨んで今川を慕ったと思う 敵地に乗り込んで討ち取られるとか武将としては最低の結果ですやん
せめて逃げ帰らんとさ >>451
道雪は信玄や謙信と文通してたしね。義理の息子の宗茂も闘将としてお手本になるツートップ。
生きざまが超格好いい >>459
成田姫だな。
実在した女武者。
しかも絶世ときたもんだ。 でも大河ドラマで取り上げてもらえないから
氏康さんは高嶋政伸に「汁を飯に二度もかけるな」と言った人という認識しか持たれてないんだよね >>385
収穫量割合は、和歌山県が19%、愛媛県が16%、静岡県が12%
まぁ二位争いしててよ >>465
まあそうだよね。死んだら終わりだものね。うんこ漏らしてでも帰還すれば天下をとれるかもしれないからね。 >>457
実は氏康よりも二代目の氏綱や3代目の氏政の方がイベントの数は多いんやで >>440
愛知で有名なのは三河一色産のうなぎな。
浜松は浜名湖の水質汚染が酷くて養殖も品質落ちまくりで評判悪いわな。 >>376
しかし、まず上洛して公方や帝を抱え込まないと天下取りはできない。 >>428
多分東北並みにごちゃごちゃやり続けてる
と思う
リアル出る杭は打つゾーン、敵の敵とは手を組めるとかそんなんばっか 圧倒的な戦力を持ちながら油断して
飲み食いに興じたあげく殺された
奴が尊敬されるはずがないだろ >>456
信長の上洛と今川の上洛は意味がまるで違うのよ
今川は幕府の取締役専務なわけ
だから本社で揉め事があると「お前らしゃんとせい」と叱りに行くわけ
義元の父さんもじいさんも同じことをしてるわけよ >>470
北条は五代目がダメだっただけなんじゃね >>465
家臣がだらしないな。何やってんだろうw 普通は斥候とか放つし、影武者で自分が犠牲になったりするよな 北条を大河でやるとしたら、伊勢さんからの5代記かね。
氏康主役だと晩年は認知症ってかボケちゃって、ドラマとしてキツイそうなんだよな。
ま、今川絡みになるので、今年井伊でやはり今川絡みだし、当分はなさそう。 >>482
いや秀吉が強すぎただけだろ
朝鮮なんて一瞬で灰燼に帰してるし >>475
だからね 誰でも上洛していいわけないんだよw
法律があるの わかる?「天下取りに来ました」って上洛したら殺されるからw >>459
のぼうの城の佐藤浩市が超格好良かった。
また野村萬斎、佐藤浩市で秀吉時代、生け花の池坊の映画やるみたいだが他に役者はいないのかと言いたくなる。
脚本は直虎の森下。 >>481
足利一門として幕府を立て直すという大義名分があるね 靜岡ならば家康がゐるから吉本なんざどうでもええぢやないかw 信長の野望的には評価低くないだろ
秀吉・家康クラスの評価はあるし
結局天下取れなかったんだからその位の評価で諦めろよ 実際に天下獲りに来ましたって将軍殺しちゃった奴がいたじゃん
松永久秀とかいう奴だった気がする >>466
その二人と文通とか意味深ですなぁ
実際はお遊びが過ぎて、膝を壊したとかじゃないすかね 浜松はすっぽんの養殖を100年以上前からやってて、京都の超有名店の御用達となってる。 >>489
大義名分というよりは責任が今川にはあるわけよ
それは野心というよりも責務だから足利家を廃して自分が将軍になるというのとは違う 二度かけで怒られた氏政さんだけど
ああ見えて宿敵の里見を臣従させてあの鬼佐竹とやりあっていたからな
以外に頑張っているのよ >>493
膝を壊したとかじゃなく、半身不随だからね。
まぁ、間違いなく落雷の影響でしょ。 でも浜名湖南部ではうなぎと同じくらい「かきカバドンブリ」というのをプッシュしてたぞ
牡蠣の蒲焼なんだが1300円もふんだくるんだよな。 >>474
浜名湖は貝毒事件でも有名で今年も潮干狩りが中止になったし
同じく浜松市内にある佐鳴湖は水質汚染で6年連続全国ワースト1だからね。
養殖できるような環境にはない。 >>484
伊勢が名家の北条を名乗ったと思ってたけど伊勢も坂東武士の名家だよねぇ >>499
朝廷対策を上洛する事前に詰めていたんだから構想力と実行力の高さだと認めたい 北条氏政は戦下手過ぎてドラマにならないwww
今川氏真より弱い。 >>462
その二人が目立ってるだけで他にもいるよ。三好義賢とか宇都宮尚綱とか。 氏政って兄弟が多いよな。
そいつらのまとめ役というイメージ 知名度では今川氏真の方が織田秀信(織田信忠の嫡男)よりも上だと思う
いやむしろ信忠より上か 今川家って、桶狭間で負けた瞬間、
滅亡したんだと思ってた。 でもボロクソ言われてるけど一番領土を広げた人って間違いなく汁飯氏政さんなんだぞ 氏真は戦国ファンタジスタとしてキャラ立ってるからな だがお前らより遥かに利口な人だったと思うよ
国をひとつまとめていた人だし
今で言えば知事3人分の仕事をこなすデキル社長さんだよ
それをお前らときたら貶すことしかできないのか!あー情けない
死んだら皆仏
高野山を見習えよ >>514
武田信玄が侵攻した瞬間に滅んだ。
でもその静岡は氏政と家康が信玄から取り上げ分けてしまった。
アホな信玄。 >>315
人類史上最も兵力差がある戦いは、300vs20万だそうだが、
勝てはしなかったが、時間を稼いだそうな。
てか、桶狭間は不思議な戦いだな。大将首獲られた位で全軍瓦解ってのが凄いな。
秀吉みたいに弔い合戦やってれば、今川家の中で一気に飛び抜けられたろうに。 >>487
誰が殺すのさ?ww
信長に衣食住を恵んでもらったテンノー?w
二条城って江戸城より小さいんだろ?ぷっ
家康に家作ってもらっておいて恩知らずだよねwぷっ
今川も信長もテンノーあがめて権力握ろうとしたなら、テンノーこそが戦国時代の原因じゃんw
松永秀久を再評価しよう!www
幕末期の京都御所と二条城の面積が坪で知りたい。掲載文献も紹介してほしい。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000035137
京都御所は安政二年(1855)に造営。二条城は寛永元年(1624)に本丸を取り囲む二の丸の完成で現在の規模となっているので、現在の規模について以下のとおり回答する。
二条城
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E5%9F%8E
京都市街の 静岡って行ってみると凄くおおらかでノンビリした良いところだから、今川義元のイメージなんて多少良くなったって邪魔にしかならんと思うわ
むしろ世知辛い戦国の世に合わなかったってイメージ作りした方がいいんじゃね? 今川義元知らん人なんていないしな
義元すげぇ!し続けると、じゃあ何でそんな凄い人が何も出来なかったの?ってなって墓穴掘る
息子はエースストライカーだし >>518
義元は名君だったかもしれないが
義元の母ちゃんがかなりの切れ者
この人がいなかったら今川は滅んでたかもしれん >>522
法律破ったらどうなるの?
そもそも朝廷から授かった国司でもないのに両国を統治している時点で法律違反なんだが? >>521
誰かが敗軍まとめて弔い合戦やろうにも、その敗軍をまとめる重臣も
一緒に討ち死にしてるわけで >>481
だから現状維持の古くからの名門と新しい力で現状の悪習をぶっ壊す革新勢力とではやり方が違うの。
権力を得る為には権威が必要不可欠だって言ってるんだよ! 尾張仕置きの仕方を間違っちゃったよな。
義元自身は駿府館で留守して遠征軍を命ずるんじゃ駄目だったの? 伊達は強くないだろ
節操なしなだけだろ
たまたまそういうの秀吉に気に入られただけで >>522
義昭という法的な資格を得た信長ですら
「天下を簒奪しに来たんだろ」と疑われてあれだけ抵抗されているわけよ
これが今川はなら天下を簒奪にはならんわけ 今川が本社建て直すのは当たり前だから この差よ >>1
受験や新卒一括採用もそうだろ
現在の個人すらたった一度の敗北で再起不能なんだから
戦国時代の大名ともなれば、名声が地に堕ちるのは当然 >>530
ジョージワシントンって偉いんだな。
こういう話になるといつも思うよ。民主主義ってすごいな。
世界中の権力者が破壊しに来る理由がわかるわw >>459
のぼうは、三成の書き方が今ひとつなんだよなあ。
石田三成を、「水攻めの流入量計算をパーフェクトにやったはずなのに、
梅雨は滋賀も埼玉も同じと思い込み、関東の空梅雨を知らずに計算を間違えた」
という「ロバート・マクナマラ(ベトナム戦争時の米国国防長官)的なキャラ」にしていれば完璧だった。
「こんな時期に水攻めなんてやって、水なんか入らねえに決まってんべ?」と農民にディスられるなんて落ちがあれば完璧。
中央権力の物量で単に押しまくるという単調な構図より、こっちのほうが三成の実態にも近いと思う。 >>532
旅行の道中で成敗するって感覚だったんじゃないかな 「公家になって朝廷を支配」
ってのは失敗フラグだからな
朝廷というブラックホールに飲み込まれて最後はきえてしまう >>25
長尾能景
木沢長政
足利義明
三好実休
宇都宮尚綱 アニメのこち亀や戦国basaraだと顔に白粉塗った麻呂眉でイヤミみたいな髭はやした
バカ殿として描かれてたよな?教科書だと太った松平健みたいな姿だったのに >>536
ワシントンって桜の木を折って「ごめんなさい」した人だろ? >>531
徹底抗戦しなかったから江戸が守られたんだろが つーか義元の功績というか最大の見せ場は何になるんだ?
花倉?三国同盟? 漫画「桶狭間戦記」のおかげで実はクソ有能な武将ってイメージ
信長や家康など後の武将が義元の政策、戦略等パクリまくってるしな
師匠の太原雪斎が軍師として神がかってる >>542
違うし!リンカーンもお釣りの間違いを届けた正直な人がメインじゃないし!
教師も胡散臭いw 「おお よしもと! しんでしまうとは なさけない!
そなたに もういちど きかいを あたえよう!」 >>537
三成も秀吉に「忍城は水攻めで落とせ」と厳命されてたわけで
現地の状況理解してない上司に作戦まで決定されて、それでうまくやれって言う方が無茶かと >>16
それな、富士山の手前に山々が見える(人に例えて)甲州からの方が
表の富士だとか言って、駿河から見るのは尻丸出しと言った
これに対し勘九郎義元は「尻丸出しとは!」公家風に高笑いした。 >>524
下克上が当たり前だった時代、ボンクラがお頭では務まらない。
戦国武将と名を馳せた人物は、皆有能だったんだろう。無能な奴なら名を残せなかったろう。
更にふるいにかけられ、そういった名を残した武将たちの中で誰が無能だったのか?
そのふるいに落ちた武将なのさ。 家康にその名を奪われるまでは街道一の弓取りっていえば今川義元だったんだもんな。 負けそうな時はいち早く逃げないとな。
信長は何度も敗戦しているがその時の逃げ足はピカイチ >>11
志村けんのバカ殿のイメージは義元なのか。 >>538
確かに信長が台頭してきたので叩き潰しつつだったのかもね。
何かの番組で桶狭間の前に義元VS信長で軽く一戦あって義元が信長に引っ掛かっていたとあった。
その時も火計の奇襲だったらしい。 >>555
奇襲過ぎて負けると思うどころじゃなかったし・・・ 朝倉義景なんかも今川義元以上に酷い言われ方してるけど
実は時流に敏な名君だったなんていう新説を言い出してるし
地元は名誉挽回のチャンスと見てるんだろうな 総大将が善戦の近くに居ちゃあかんわ。
始皇帝は一度もそういうミスを犯さなかったぞ。
キングダム嫁 センゴクのおかげで、だいぶイメージは回復しただろw
信長の野望の顔グラも、昔みたいな無能からイケメンになったぞ >>555
負けそうって感じさえなかったろ。そう思ったときは死ぬ数分前って感じじゃねw >>561
あれは遠征という名の朝廷と諸大名へのアピールだから
公家の姿で諸国を打ち従えて進んでいくことに意味がある
ただの公家マニアのバカ殿じゃないよ >>23
でも息子はなぜかコアな人気あるよね。
乱れた世の中から目をそむけ、自分の生きたいように生きた、ってイメージ。
あんな風に生きてみたいな、って思わせるとこがある。 >>546
領国経営手腕じゃね?
秀吉治世の時代は100石で3人を出すってな兵役だったが、
毛利家は、厳しいっす!って泣き入れていた動員数。
100万石満たない今川家で、信長凹って、美濃も飲もうとしての3万の京都までの遠征軍。
どーやって人数揃えたか?今も昔も戦は金掛かり過ぎるw >>564
始皇帝みたいに戦争が終わってから巡幸するのでは駄目だったの? 信長は義元に勝つべくして勝ったのかね?
運ではない? >>521
あれは中核の精鋭が300で、全体では1万いた >>568
たまたまラッキーパンチが当たっただけという側面があるのは否めない
信長の凄い所は、桶狭間以降ラッキーパンチ狙いを一切しなかったこと 有力戦国大名が野戦で討ち死になんてこの人ぐらいでしょ
有り得ない失態を犯したのだから順当な評価
家臣団に裏切りまくられ野垂れ死んだ武田勝頼の再評価の風潮とか
何でも改めればいいってものでもない >>525
そう、アレw
ペルシャ軍が、スパルタ兵との肉弾戦、超絶嫌がったそうな。
20万の軍勢が、たかが300人にキンタマ縮み上がるって、スゲエわなw >>568
運も実力のうちだもんな。秀吉も家康も運持ってるしw >>567
統一の途上だからね
示威行為としてこれ以上はないでしょう
始皇帝ほど圧倒的な存在でもないんだし
邪魔する奴を蹴散らしながら悠々と進んでいく姿を見せつけるのはかなりの効果が見込める >>554
そう、海道一の弓取りと称されたのは義元が家柄、国力、智力、武芸、統治力全てに秀でたから。
義元が敗者になったのは名門であると言うプライドと傲り油断だろうな。
何の後ろ楯も無い革新勢力の愛知三英傑が天下取ったのが史実やし。 >>564
結果論では、バカ殿で終わってるけどな。 戦国時代のベビーでもヒールでもない
ジョバーという新しい役どころを作った 大河の徳川家康で成田三樹夫が演じた義元はスゴ味があったけど、
実際はあんな感じだったのかな。 >>528
けんか売っているわけじゃないんだけど。そもそもこの国はめちゃくちゃなつぎはぎのパクリで権力者が後から自分に都合の良い歴史に書き換えているだけでw
それを言ったら律令制度で公地公民制に戻りますが。
日本は私有財産制の国じゃなかったような気がwww中国のパクリねw
不輸不入の券を正式に持っているのがどれだけいるのさ?
それから私有財産制度っていうのは、権力者を守るのではなく、権力者から市民の財産を守るための権利ね。
もう言ってることからめちゃくちゃだろこの国はwww >>149
伊賀に代わって風魔が忍び界の天下をとっていたのはガチ 信長のように生死が不明だったら何とでも理屈つけれるけど
クビ持ってかれちゃあなあ 阿斗っぽさでいうと織田信秀がナンバーワンだよ
氏真とか全然武士っぽいし優秀 >>584
姫二人が可愛かったよな
「竹千代よ。どちらを嫁に欲しい?」って >>573
ラッキーパンチじゃないよ。
狙いにいって首を取ったんだよ。
まともにぶつかったら勝ち目はないから、桶狭間で大将軍を襲う計画を建て奇襲に成功したんだよ。
義元の位置確認を密にして全勢力を送り込んだんだよ。
信長は兵法をよく知っていたんだろ。 太りすぎで馬に乗れなかったんだろw
馬に乗れてたら一旦戦場を離脱してから織田勢を壊滅できたかもな プロ野球でいうと、シーズン40セーブをあげた抑えが日シリ7戦で打たれたみたいなもんかな。
今川義元を駄目にすると、凡そ全ての大名は大駄目になる。
下手に名前を売るぐらい優秀だと、世間に叩かれる好例かと。 >>69
まぁキャラゲーだから
キャラが立ってて逸話が多い武将は厚遇されるよ
ファンも多いし じゃ静岡は初犯は無罪にするっての?
明智と同じで単に大河利権に噛みたいだけだろうがw 負け方にも良し悪しがあるだろ
天下人連中と違って再起不能になるまでやられたら評価低くて当たり前だ
後世の日本人に禍根残しまくりな負け方した帝国日本のクズ共と同じ >>574
でも冷静に考えたら
討った信長の死に目の方が義元より間抜けだと思う
部下による謀反だもん >>599
功績とか実績を再評価するのは良いと思うけど、
大失敗した歴史上の人物を漠然と「優秀」とか言っちゃうと、
それは違うだろうと思う
打たれた野球選手だって、大一番で弱いって評価になるはず なんといっても海道ーの弓取りですから
(´・ω・`) >>352
それはしゃーない小山田も穴山も甲斐の国人だが今川や後北条に付いていないと滅ぼさる存在だったからね共存共栄しないとね
武田は甲斐から出ないとジリ貧で滅ぶからね
それに甲斐では何年も戦争してたから国力も上げないと >>607
時は今!
敵は本能寺にあり!
是非に及ばす!
人生50年
ここまでが名シーンのテンプレだ。お前は歴史好きを敵に回したな。 >>610
「スランプは名選手にしかない」の言葉のとおり。
本当に無能だと登板できないし、それ以前にプロ野球に入ることさえできないみたいなもん。
土岐とか斯波とかね。 たった一度の敗北といってもひどい負け方で命まで落として笑い者にされたんだから復権はないな。
ついでに静岡から見る富士山は裏富士、山梨から見る富士山が表富士ということでOKな。 歴史は詳しくないけどこういう話題や昔を知るのは大好きだ。ところで我が地元の蒲郡は当時どちらの殿様についたんやろ?酷い扱い受けてた松平氏に同情して…というのは聞いた事あるが果たして?吉良生まれの母ちゃんにもっと話訊いておくんだった、残念! 項羽もたった1回 垓下で負けて 楚は滅亡して漢の世400年になった訳だが
そのたった1回の重要さが判っておらんな >>412
海を持っていて豊かだった尾張と。内戦が終わって直ぐで内政もやる暇がなかった武田とでは差がでるのは当たり前かとね 今川義元って雪斎なしで何回も戦争して勝ち続けて唯一の敗北がこれだったわけ?
違うだろ?もっと負けてんだろ? 今川の菩提寺って東京の観泉寺かと思ってたけど、義元までは違うんだね。 「お前、誰よ?」よりかは後世の庶民風情にまで「バカ殿」といわれるほうがまだマシなのかな?
難しいところだ。 >>11
別に今川も上洛する気で尾張攻めたわけじゃない >>615
当時の大名はみんな優秀でした、とか意味無いだろw
今川義元の比較対象は信長、家康、信玄、氏康なのだから、
他の有象無象よりも優秀だった!とか何なのw
野球選手だって、野球選手な時点で一般人よりも野球が上手いのは確定だからな >>612
かつての甲斐国(国中地方≒甲府盆地)は、風土病(寄生虫=日本住血吸虫)が異常に深刻なところだったから、
農業生産はどうしても必要以上に削られてしまうし、農民兵は若年感染で昔から使い物にならなかったと考えるべきで、
兵站基地自体を甲府盆地の外に設けないと、公衆衛生学的に武田は戦国大名としても生きられないんだよね。
いくら黒ボクとはいえ、大平野を抱える後北条や、豊富な雪解け水と日本海側の航路を使える上杉と戦うためには、
すでに深刻なハンディキャップがあった。 静岡市長は馬鹿なんだろうな
今川義元を復権させるんじゃなくて「今川家」復権させると言うべきじゃないのか?
数百年も駿河を治めた御領主様だろうが。アホですかw >>504
乗っ取りじゃなくって勝手に名乗ったんじゃなかっけ? 今川持ち上げれば持ち上げるほど倒した信長の評価も上がるから信長ファンも持ち上げたいよな 歴史から戦術学べばさ、細い山岳地帯に行軍し、そこで夜間休息を取るって、
油断しすぎなんじゃない?
やっぱバカ殿だよ。 普通総大将やられたら弔い合戦で兵隊の志気も上がるんじゃない?義元にカリスマ性なかった? 織田ノブヲと毛利のTERUも再評価してやれよ、無理やりにでも評価してやれ
どっちも生き残ったから凄いとか 「たった一度の敗北で・・・」って
合戦で雑兵に首級とられたら
それだけのレベルって事だろう。 龍造寺隆信はもっと恥ずかしいよな
5万で6千の島津に挑み釣り野伏せに引っかかる。手薄の本陣に奇襲かけられて味方は御輿を放り投げらて逃げる。
討ち取った島津軍も総大将を放置どころか御輿ごと投げる事にビックリしたそうだぞw >>618
蒲郡は普通に三河だから家康だと思ってたわ。
自分は西三河岡崎出身だから当たり前に家康だけど。
浜松も静岡で一番デカイ街なのに静岡からよそ者扱いされて不憫だわ。豊橋の親戚みたいなものだから独立して東三河になれば良いのに(笑) >>634
どちらともいえるよね。
伊勢新九郎が北条の後妻を娶ったのは事実だが
本人は一度も北条を名乗った事はなかった。
息子の氏綱がどんどん領地を広げ関東へ侵攻する大義名分とするため
俺のオヤジは北条の後妻と契りを結んでたから俺等っていわゆる北条じゃね?
と言い始めたのが最初。 >>620
でも項羽は王朝を開いたわけでもないのに史紀の本紀に名を連ねてたり
歴史的には破格の扱い
今川義元の評価を上げようと思ったら
右腕である太原雪斎とセットで売り出すことだな
そして太原雪斎の秘蔵っ子が後の徳川家康って話も >>522
つ今川は足利の分家ね。
徳川の御三家と同じポジション >>630
きっついなw
その鬼基準だと、自分の先祖の農民とか土豪なんて「呼吸するだけ酸素がもったいない糞虫」とかになっちまうだろ。
現代なら「年収1000万以下なんて無条件に射殺してOK、だって人間じゃないしw」レベルのきつさだわw 島津もドラマにしたら盛り上がるんだろうけど
全編字幕つきじゃないと何言ってるかわからないだろうしなぁ
役者に方言の指導するのも大変そう >>639
戦国→幕末→戦国→戦国→幕末→戦国→戦国 >>641
あの時代に誘引包囲なんてのができるほうがおかしい >>414
逆だ、尾張を搾取してきたのは三河
尾張の荘園の領主は三河の奉公衆
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>645
今川とか吉良は実際には徳川御三家ほどの
継承順位高くはないみたいだけど
越前松平とかそんなイメージ 気候が良すぎてポーとしたのが多いて
静岡出身の奴が言ってたっけ >>130
日本人は敗者復活に寛容なのではない
単に最終的に勝った奴、その時々の強者に唯々諾々と従うのみ
そして死んだ奴についてはどうでもよい
最早現世に影響を及ぼせないから、賞賛しようが崇拝しようが自由 >>642
あんた岡崎なのに、「三英傑」に違和感を覚えないの?
普通、岡崎市民なら家康一択であって、信長や秀吉は完全に他所の人の感覚だと思うんだけど。
まず家康(東照公、時に「THE将軍=家康」の意味で大樹公と呼ぶ人もいる)が出てきて、
その次は、本多、酒井、大久保などの徳川家臣団ホルホルに移行する。
三英傑と称して、信長・秀吉・家康の3人横並びにするのは、名古屋人。
名古屋以外の尾張地方の人は、家康を抜いて代わりに加藤清正か地元の織田家臣団の誰かを入れる傾向がある。 >>414
こんな情けない田舎者はいない
三河に勝った事がないんだよ
■那古野荘(名古屋)
・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当)
藤原顕隆→顕頼→小野法印別当
藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院)
■平安時代
・小野法印顕恵が開発
・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る
■鎌倉時代初期〜中期
・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する
■鎌倉時代末期〜南北朝
・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる
■室町時代
・今川那古野氏が領家職となる
初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か?
・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城
■江戸時代
・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城
■現代
・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる >>646
誰も今川義元が糞虫とか言っていないだろw
周りの大名たちと比べて、まあ互角に戦ったよね?ってレベルの大名
実績に関しては、色々有るみたいだし、
大名として標準以上の能力が有ったのは確実だろうけど負けは負けだよねって事 >織田信長に討たれたが、たった一度の敗北でだめだということではない。
負けて知名度がないだけで、一度の敗北でダメだと言ってる人間がいると思い込んでるところがダメwwww > 豊田佐吉(三河吉田藩山口村)
遠州人じゃねーかよ >>658
三河のラーメン屋とか家康セットばっかりで萎える。 >>12
1話で主人公の義元が討ち取られる場面から始まり、そこから生まれた時に戻るのか >>660
底辺と上位者を基準分ける前提がわからねw
「電産の永守なんて孫さんに比べたらプ〜ですわ」と言われたら、
そこらの年収1000万もないオッサンどもどないするねんって話。
ガス室送りが妥当になるw >>631
それに信虎が戦キチなのと国人の力が大きかったからどうしても内政の暇が無いよね。
信玄は20年って年月を掛けてなんとか農作出来るまでの内政をしながら戦もしてた訳よ。
信濃取って甲斐の分もまかわないとあかんしね。どうしても北条や今川と戦争するには
力が足りなさ過ぎるのがね。 >>658
三英傑は、三河の源頼朝、三河の足利尊氏、三河の徳川家康だろ
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 同じ御輿でもここまで違う
今川軍「うわあああ 織田の奇襲だ!あれ?義元様どこ?」
龍造寺軍「うわあああ 島津の奇襲だ!デブ大将なんて背負ってられるか!捨てとけ!」
大谷軍「うわあああ 小早川が願えった!殿を守れ!」
大谷吉継「もはやここまで!お前たちはワシを置いて逃げろ!」
大谷軍「何をいいますか!小早川軍にこのまま攻めいって朽ち果てるのみ!」
どうしてここまで違うのかw >>12
花神もそんな感じ。
第一話は大村益次郎が
襲撃されて切り刻まれるところから。 >>643
まあ、それで鎌倉公方の足利(源氏)やら関東の上杉(藤原)と戦したわけだしある意味源平合戦みたいなもんだ >>666
大名に求められる能力と、農民に求められる能力は全然違うわけで、
むしろ一緒にする意味が分からんだろ
お前さんの方が人の上に立つ義元の苦労を分かっていないぞw 足利尊氏は岡崎生まれだし、源頼朝も岡崎で生まれた可能性がある
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏が生まれただろう上杉氏の屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 息子の代の、周辺大名に領土が草刈り場にされていく様が無様すぎて
再評価が難しいw 人生なんてそんなもんだろ?
TDNとか見ろよ
家康だってうんこ漏らしだし >>658
うん!自分は岡崎出身だけど愛知の三英傑を普通に誇りに思ってるよ。
愛知県の人間は大概そうだろ。
てか自分は三河だけど祖先は秀吉に使えて外様大名にまでなってるし
革新の信長とか大好きだよ。 一回の戦で滅亡しかねんから戦国時代なんだろうが
役人らしいくだらなさだなぁ 信長も秀吉も家康も全戦全勝でもなんでもなくみんな負けるときは負けてる
でも致命的な敗北は無くて逆に勝たなければならない戦いは勝って生き残ったから天下人になった
吉本は絶対に負けてはいけない戦いで負けた敗残者以上の人物ではない
しょせん信長の踏み台 信長のシェフを読むと大名より坊主の方が強そうに見える 京の公家のようないでたちで信長に討たれた義元のほうが
鎧兜姿のまま討たれた義元より間抜け度は少ないように思
う。現在の評価のままでいいいんじゃね? >>655
徳川は室町ベースにしてて強化した様なもんだしね。御三家の継承順位とか室町は無くて
源氏特有の内ゲバで様は今川が足利の代わりに将軍にってのがあったと思うの。
吉良は名門だけど戦国時代はさほどね >>614
人間五十年です。
それと敦盛は当時人生は五十年という意味じゃない。 >>673
俺は天才だったら厳しく査定されて当然、非正規やガイジは甘く査定されて当然って発想はないね。 >>10
確かに実力では大友が日本一強かったからね 日本の武家政権(天下人)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー平安時代
平清盛 三重県松阪市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー鎌倉時代
源頼朝 愛知県名古屋市熱田区
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー室町時代
足利一族 愛知県岡崎市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー安土時代
織田信長 愛知県愛西市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー桃山時代
豊臣秀吉 愛知県名古屋市中村区
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー江戸時代
徳川家康 愛知県岡崎市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー明治時代
島津斉彬 鹿児島県鹿児島市
毛利敬親 山口県山口市 ※明治天皇を南朝子孫とすり替えた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー昭和時代
GHQ 敗戦で植民地化
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー平成時代
豊田章男 愛知県名古屋市昭和区
藤原道長→藤原長家→三井高利(三井財閥創始者)→三井高長→三女が豊田章一郎の嫁→豊田章男 >>682
実際信長の最大の敵って坊主の本願寺だからな
武田なんて信玄死んだあとはほっといても国力で上回って圧殺できる段階だった
でも本願寺だけは武力も政治工作もすべて注ぎ込んで大損害出しながらようやく倒せた >>679
最後にやらかしたという点では明智に討たれた信長も似たようなもんだろ >>682
安国寺恵瓊とか当時の坊さんはそれなりに教養もあり地位も高い人が多かったしね。
まぁ 足利学校って軍師育成学校もあったくらいだしね >>694
高等教育機関でもあるし
宗派のネットワーク使って
外との外交交渉とかもやるような
大使館的役割も担ってたからね >>687
「大名として標準以上の能力が有った」って評価は
かなりの評価しているつもりなんだけど…
これで満足できないなら、もう歴史改変して天下取るしかないかなw 上杉謙信なんて戦国時代トップクラスの知識人・教養人・風流人だったよね
なぜかゲームでは戦闘バカ扱いだけど >>689
天下一代姓だから今川家はないはずなんだがなぜか現代もあるなw
御一新のころ今川町の出身者が勝手に名乗って役所も天下一代姓という事を
知らないで受け付けてしまったんだろ。 >>691
こう見ると愛知県凄いな。
何故今こうなったw 上杉謙信は史実では商業上手だった
日本海側の海運ルートを独占して青そ貿易の全国シェア9割を支配・・・二度の上洛もこのルート使ってる
さらに陸路に関所を設けて、治安維持と引き換えに通行税をかけて莫大な収入を得ていた
全盛期の石高100〜120万石だけど、これとは別に毎年現金で10万石以上の安定した収入があったんだよ
それで謙信軍は関東信越加賀への長期遠征を繰り返しすことができた
家臣に知行も与えなかったのに動員できたのはこれが理由、途中で引き上げたのは謙信が生理だったから
感状だけで謙信のために死んでやろう!っていう越後の家臣団や国民もクレイジーだけどさ >>644
実際本人が関わってる戦で負けてないからな 最後以外
単騎なら中国史上最強の武将だし >>669
そこに御輿ごと突っ込んで切り捨てまくりそうな立花道雪を足してくれ 上杉謙信ってもともと僧侶出身なんだよ
漢詩・和歌・物語・書など博識で、上洛して和歌の古今伝授も受けた当時最先端の知識を持った教養人
専門的な勉強をしてない信長・秀吉・家康・信玄・氏康・元就とかよりずっと頭よかったんだよ(ほんとはね)
領土欲とか天下統一への意識がなかっただけでさ、あと女の子だったし
室町幕府の中世大名ってのが限界でもある >>699
家康が清州から都市機能名古屋に移したから
これほど名古屋が大都市になった
織田政権のままだったら岐阜のベッドタウンとかだぞ >>698
駿河だけに今川がいた訳じゃないしね
九州にも今川さんはいましたしね。 義元が馬鹿殿なら、太原雪斎、朝比奈、岡部を始め、あれだけの家臣をまとめながら勢力拡大なんて無理でしょ
そもそも家督相続できたのだって、周りから押し上げられて、内乱を勝利したわけで
運の悪さと油断が全て
氏真も、義元が死んで三河遠江の国人領主が離反しまくったのを粛清の嵐で纏め上げようとしたけど、家康の独立で三河を失い、落ち着いたと思ったら信玄と家康にフルボッコされたわけで
まあ、その因果応報で武田家は滅んでザマアなんだけどね >>699
そして愛知最後の天下人は河村たかしになる予定だ! 上杉謙信についてももうちょっと書こうか
戦国時代って賄賂で僧位買う戦国武将が多かったんだけど(信玄の延暦寺の大僧正はこれ)、
謙信はガチンコで勉強して45歳のときに真言宗の阿闍梨法印大和尚になってる
いまも高野山の奥の院で一番立派なお墓は上杉謙信の廟だよ・・・まあ女性説もあるけどさ 【河内源氏】
源義家(八幡太郎)系の戦国武将
・足利義昭、義輝、義栄
・最上義光(足利流)
・今川義元(足利流)
・里見義堯(新田流)
・徳川家康(新田流)
源義光(新羅三郎)系の戦国武将
・佐竹義宣
・武田信玄
・南部信直(武田流)
・津軽為信(武田流) >>642 数年前から上京してるんやけど、こっちからも静岡の天気予報とかやりやがる。三河に居た時もワイプで映るのに。「このコウモリ野郎!」っていうのが第一声だったw 静岡なんかどーでもいいから! >>642
蒲郡は藤原氏の荘園で松平が力を伸ばしてくると勢力下になるけど
西尾らへんが実は今川氏の発祥の地で駿河の今川が力を伸ばしてきて
清康、広忠と相次いで暗殺されるをきっかけに今川の勢力下に入り
桶狭間の戦いで家康が独り立ちするのに従い、西尾の吉良氏と結んで対抗するも
援軍が望めないからやっぱり家康に従って今に至る感じ
西尾は矢作川の水運により発展していたけど
蒲郡は山と海に挟まれてあまり人が住めない地域で主要街道から外れていたから
あまり重要視はされなかったみたいよ >>3
海の物も山の物も美味で、地震と噴火の心配が無ければ移住したいんだがな。 なんかこの調子だと桶狭間の負けも
仕方ない、誰でもそうなる、今川は悪くない的にクリエイトされそう 戦国最大の激戦と名高い「第四次川中島の戦い」
武田軍
旗本本隊(8000人)
総大将:武田信玄
武田信繁、武田義信、武田信廉、武田義勝(望月信頼)、穴山信君、飯富昌景、内藤昌豊
諸角虎定、跡部勝資、今福虎孝、浅利信種、山本菅助(勘助)、室賀信俊
妻女山別働隊(12000人)
春日虎綱(高坂昌信)、馬場信房、飯富虎昌、小山田信茂、甘利昌忠、真田幸隆
相木昌朝、芦田信守、小山田虎満(昌辰)、小幡憲重
上杉軍(13000人)
総大将:上杉政虎
柿崎景家、斎藤朝信、本庄実乃、色部勝長、五十公野治長、山吉豊守、安田長秀、長尾政景
加地春綱、中条藤資、村上義清、高梨政頼、北条高広、宇佐美定満、荒川長実、志田義時
小荷駄護衛:直江実綱
殿(しんがり):甘粕景持
死傷者:武田軍4000人(副将信繁などが討ち死に)に対して上杉軍3000人
65%の寡兵(少ない兵力)で戦って最後は挟み撃ちになったにも拘らず、
武田軍により多くの死傷者を出させたところに謙信軍の強さがわかる
しかも相手は全盛期の武田信玄とその全軍だぞ!!!
両軍合わせて死傷者7000人という戦国史上最大の犠牲者を出した >>691
源頼朝が名古屋で生まれるわけないだろう
系図で確認してみろ
三河の熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→女→源頼朝
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、源義兼(初代源姓足利氏)を生む >>703
謙信は次男だったし出家して小坊主から初めててたからね。信玄は源氏のエリートの田舎のボンボン 義元は将軍家の外戚 北条は名門も出で関東で戦だし。 信長の野望はコーエー(神奈川県の会社)なんで北条インフレになる
同ゲームにまったく足りないものを書いておこう
一つ目は「兵質」だ
平和ボケした近畿の1万人より越後や東北1000人の方がはるかに強い
二つ目に「装備」だ
これ戦国武将ごとに実際はかなり違うんだよね
上杉軍と武田軍と織田軍と北条軍の装備を比較すると、ほとんど差はないんだけど、
馬は北条が多い、鉄砲は織田が多い、手槍は謙信が他の2倍多かった
これは雪国育ちで万年内乱状態だった越後兵は1対1での戦いに無類に強かったから
謙信軍ってのは銀英伝でいうローゼンリッターみたいなもの
軍神謙信だけに上杉の強さの理由を求めるのはおかしなことだよ >>719
その装備が10年も遅れてたというわれる
長宗我部は 織田信長については一言で言える!!!!!!!!!
日本国王 足利義満
日本国王 織田信長
目指してたものはこれ
公家筆頭の関白が近衛前久
武家筆頭の将軍が織田信忠
有名な三職推任問題・・・信長が望んだものは太政大臣 昔は「義元は上洛の途中で信長に討たれた」というのが通説だったけど
最近は「あくまでも尾張攻めの為の出兵」という説が有力と聞いた たった一度の失敗で死ぬやつなんぞいくらでもいただろ >>706
バカ殿だから神輿にしかなれなかったんだろ >>279
地味に有名だもんなこの爺さん
この爺さんつくった福山城は残ってたら姫路城とならんで間違いなく国宝 >>703
謙信女説信じてる池沼マジいんの?wwww >>722
そうなんだ
まぁあんな離れたところに大軍率いていくなんて危なすぎるよね >>722
上洛なんて駿河や遠州や三河だけ持ってても無理だしね。尾張や伊勢などの裕福な海を手にい入れて出来るかどうかだろうしね。
武田や北条なども虎視眈々だから仕方ないね。 戦国物で描かれる今川は毎回バカ殿みたいな扱いだからなw
いちばん最初にそう演出したやつのイメージが残ってて次の作品でも同じようなキャラになってる 過去の映画やドラマで義元が出てくるシーンは決まって桶狭間の
シーンだもんなあ。城下町の人達だって悔しく思うんだろうよ。
ドジだけでない、しっかりしたとこもある男だったってわかれば
いいよなあ。信長はアスペルガーだったっていう説も最近出たし。 >>728
ホモだったんだろ?
女なら子供出来るんじゃ? >>722
信長討っても美濃や近江通過しないといけないから京都にいけない。
それに将軍から御教書出てないでしょ でも、最期は大事だよ
謙信をドラマにしにくいのも本人が電波なのもあるが、「織田と大戦やろうと思った途端にトイレで死亡」じゃな >>714
今川に内通者が多数いたならそうなるかもだが
それなら今川やっぱアホだしな >>732
武田や北条は当時長尾景虎対策で駿河なんて見てるヒマなし。だから尾張に
出陣できた 信玄も政宗も義元も坊主がブレーンだったしね。今の大河の井伊も坊さんは切れ者の知恵者に描かれてるだろ?そういうこった 義元の野望でもコーエーに出してもらえばいいじゃん
義元以外の大名は選べず日々蹴鞠や和歌で過ごしてさ
桶狭間を生き抜いたらエンディング 信長の野望で今川義元を選択
・真っ先に織田信長を滅ぼす
・茶器で有力武将を手なずけ、召し抱え
→あっさり天下統一 >>740
それが義元の狙いだったのかもしれんし
それにハマった武田や北条がなんとも
義元が長生きしてたら甲斐や信濃や相模は取れたかも >>741
しかも皆禅僧。
あの当時最高の知識人だったんだよ禅僧は。だいたい京都で修業してる人多いから
坊主同士でネットワークあるし、書物あるから知識豊富、医学関係も強いのもそのため。 >>741
今で言う大学卒エリートだからな 坊主は >>725
源頼朝の親戚は三河にしかいない、何故か?
答えは、源頼朝は熱田大宮司職を乗っ取った三河武士の家に生まれたからだ
E藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→Fへ
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→Gへ
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→Hへ
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
F藤原範忠
・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司)
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺)
・任暁(仁和寺)
★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
G藤原範信
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫、頼朝右大将拝賀先駆)
・藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))→藤原範俊(左馬助、大学助、源実朝近習)
・藤原信綱(駿河守、尾張国海東郡地頭)
・藤原信雅(高松院蔵人)
・藤原憲行
・藤原実豪(延暦寺権僧正) >>745
天海自身は坊主だろ?徳川のブレーンでもあったからね。江戸の町やらは天海が作ったとも言うわれてるのさ。家光の時なんかは
坊主と女が世の中にを廻してるなんて言うわれてたくらいだからね >>722
そうなの?
義元は名門のプライドと実力で上洛までの東海道を邪魔する者はねじ伏せて行くつもりだと思ってたわ。
「てか普通に兵力差があり過ぎるから降参するっしょ」みたいな油断… >>746
嵌るも何も武田は信濃攻め、北条は旧上杉と関東覇権争ってた以上
今川なんて構ってるヒマが本当にない。ただし今川も兵制に問題抱えてたから
限界があった 死に様もなかなかだと思うけどなあ
最初に挑みかかってきた服部の足を切り、首を取ろうとしてきた毛利の指を食いちぎるとか
命乞いしてたら正に馬鹿殿だけど、そんなこたーなかった >>714
仙石「ワシの戸次川の負けも島津家久や島津豊久に釣り野伏せされたんじゃ仕方ない、誰でそうなる、ワシは悪くない」 >>748
本願寺はどうだったの?
禅僧でも宗派同士の争いはあっただろうね
天海と金地院とかの様にね 今川が再評価されても相対的に信長の評価が上がるんだよなw
寧ろ信長の評価を上げる為に今川の評価をあげてる節がある
踏み台やかませ犬の宿命か 尾張に大軍で行くのは良しとして本隊の大分前に斥候兵を送り込む
のが作戦としての定石だと思うが何故しなかったのか?信長は500
人程度で出ている。いくら少人数とはいえ500人の軍勢を斥候兵が
見落とすわけがない。やっぱり義元は間抜けでドジでボンクラだった? >>749
・最高の知識人
・天皇や公家から尊敬され師扱いされる
・武士からも尊敬される
だからね。安国寺恵瓊も東福寺住職になり、最後は
禅林の最高指導者になった >>755
ていうか、今川が駿河遠江三河をがっちり押さえていたから武田は南に出られなかった。
武田信玄の領土拡張のきっかけは、桶狭間で義元が死んだから。 >>753
斉藤義龍や浅井長政、六角承偵いるぞ信長の後に。
そういうのをねじ伏せるだけの力は今川には無い。 >>755
農民兵と職業兵との違いかいな?
織田は職業兵だったけど今川は農民兵だったんだけ?繁忙期は兵士は帰りたがったのがネックよね。つうか織田も農民兵じゃなかったかね? 公家かぶれのバカ殿様っぽいのに実は途轍もない実力者という今川義元像が結構好きなので
従来の麻呂そのものな義元のイメージをあんまり崩して欲しくない 敵の土地を取りに行った義元と
敵の大将の命を取りに行った信長
戦争のやり方と目的に大きな違いがあった >>736
毘沙門天の力を借りるのに女は邪魔だったらしい。霊力が鈍るそうだ。
モノホンの軍神だよ。
勘兵衛もキリストに改宗したり精神世界や芸術に傾倒してたけど戦争も芸術だと思ってた天才肌だよね 静岡県民だけどだーれも義元の話なんかしないし不人気すぎて無理だな
信長に討ちとられただけでも痛いのに見た目が公家の格好でダサいから
どこでも大概滑稽なお笑いキャラ扱い、ゲームとかですらそう
今更無駄な努力しなくていいよ 杉並にもあるよね今川家の菩提寺
住所まであの辺は今川 >>753
上洛するという証拠がないし上洛後のビジョンを語った形跡もないから。
武田信玄の場合は、かなり時間をかけて上洛までのビジョンを描いてから進撃している >>760
義元自身が斥候してた
織田の小部隊と交戦して勝利し、有頂天になって踊り踊ってたら信長に打ち取られた
これほんと 河村たかしの先祖は尾張藩の書物奉行
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/ichi-nagoyajin/20140402/20140402000441.jpg
欅坂46の平手友梨奈は平手政秀の家系
アナウンサー(元SKE)の柴田阿弥は柴田勝家の妹の家系
AV女優(元SKE)の三上悠亜は源氏
清和天皇-源義家-源為朝-尾頭義次-鬼頭景義-鬼頭桃菜(中川区中島新町の空雲寺に家系図)
清和源氏・河内源氏の嫡流 >>762
武田は今川が居なくても信濃取らないとヤバイからねどちらにせよ信濃取ってからじゃないと領土広げられないのがねぇ 安倍自民公明維新による共謀罪の強行採決は「日本の」敗北でーーす。
安倍自民公明維新による共謀罪の強行採決は「日本の」敗北です。 >>762
いや南信濃→美濃というコースあった。信玄が北信濃にこだわり過ぎて時間を無駄にした。
南信濃だけにして東美濃に進出して斉藤氏倒せばよかった。実際に東美濃は武田の勢力圏で
斎藤道三でさえ手出しできなかったんだし >>762
武田は南に出る気なんか当初はなかったし、
そもそも一度今川を滅亡から救ってやったのは信玄なわけだが。 長野県は実際に行って見ると地形的に統一勢力が出なかったわけがよくわかるな >>761
禅宗というか曹洞宗の開祖は「道元」だから。。。
道元は村上源氏の久我家に生まれてる。
父親は源通親だし。。。
扱いは別格よ。天皇の血が流れてるし。 >>758
本願寺は法華宗や天台宗と勢力争いしてたような
もともと山科に本願寺あったのが大阪に追放されたカタチ
>>760
雨が降って視界遮られたところを織田軍が乾坤一擲の攻撃しかけてやられた
今川軍は雨の為織田軍の本陣攻撃に気づかず援軍なし >>776
信玄って結構戦略が迷走しているんだよね。
南信濃の次が北条川領地→結局ダメで→やっぱり北信濃→攻略後は東美濃→信長から人質→断念。
だからなあ。 >>771
大河の武田信玄で
予算見積もりの場面とか
侵攻ルートの想定とかあったし
あの辺は面白い場面だった >>777
北条との争いを仲裁した件?
>>779
勅願寺という天皇の肩入れ激しい寺は禅宗ばかりだからな
一休さんも禅宗だったし >>782
そうそう。
会議の話であそこまで面白い場面を作るのって結構難しいと思う 家康が従ってね
たり、秀吉が家臣の家臣の家臣だったり、信長が三河から追いやられ、尾張の南半分も奪われたりした事跡があれば、それなりに評価はされても良いと思うよ
斎藤義龍だって、存命中は信長を撃退しまくってたからそれなりに評価は高いし
相対的に評価されても良い武将が、やっと再評価され始めたってことじゃね? >>782
あれって結構最後の方で上洛する金がないからなんとかしてくれって勘定方に言うわれてて暫く内政してから行けば良かったのにって個人的には思ったけどあの時代は目標を部下に与えないと寝首かくのが当たり前の様だったから可哀想に思えたよ 静岡が義元を前面に出してアピールするのは良い事じゃん。
武力智力統治力全てに秀でたから武田や北条とやりあいつつ一国を発展させれた訳で海道一の弓取りの呼称は伊達では無い。
愛知の三英傑が更にその上を行っただけの話。 市長はまず義元フォーラムとか今川サミットを開き仲間を集めて復権を図るべきだな。
参考になるかわからんが、マイナーな里見家に関する里見サミットが存在し時々千葉県に里見関係者や歴史研究者、ファンが集うんだぜ。
里見浩太郎は行かないがw >>23
織田の息子の信忠は有能だったらしいよ。
既に信長は信忠に仕事を引き継いで自分は退こうとしてた
けど本能寺で息子も一緒に死んでしまったから とりあえずコーエーテクモにキャラ設定変更の嘆願書を出そう 三河出自の今川氏と言えば元弘の乱だろ
元弘の乱の話をしようぜ
関西(六波羅探題)、関東(鎌倉、中先代の乱)を同時にヌッ殺したのは三河国だけだよな
足利尊氏は、後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作宿(三河県岡崎市)で三河の足利党19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。
19家とは
01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職
太平記第20回「足利決起」
https://www.youtube.com/watch?v=PkXC670fo-M >>782
あの場面で「物資は敵から分捕ればいい」「荷駄なんてムダになるからみんなで担ごうや、うちの兵隊に担がせるよ?」
とリアルな話してて面白かった
たしかに経済遅れてる甲斐からしたら鎧や武器の補充なんて高負担だったんじゃない?あの信長が京阪抑えたメリットは
そういう軍需物資が大量に格安入手できたことだから 公家顔のイメージが定着しすぎてるからダメなんだ
義元→羽生くん
信長→織田信成
これで大河ドラマやれ >>787
その上を行ったと言うか義元や信玄などの良いとこを吸収しながら勢力を拡大して行けたと思ってます >>758
宗派争いか
一向宗→本山の山科本願寺を法華宗(日蓮宗)により焼き討ちにあう→石山本願寺の要塞化
法華宗(日蓮宗)→比叡山の僧侶と宗教問答し法華宗の一般宗徒が論破。比叡山僧兵により21本山が焼き討ちにあい3千〜1万人が殺害される
ちなみに信長の京都での常宿 本能寺は法華宗の寺院 は?陰陽道ばっか使って相手を貶めるクズ野郎だろうが!
復権無理無理 >>786
というか内政してもどうにもならんでしょ。
むしろ信玄の寿命近かったから何とか実現させたいという
方向になるでしょ規模落としても上洛とか やっぱり雪斎を失ったのが大きいな。もし彼が生きていたら桶狭間の合戦での
今川軍の布陣も違っていたのは間違いない >>789
だから家康はこれ教訓に秀吉が死んでスグに息子を江戸に帰らせてる。 >>792
信長が勢力を拡大できたのは熱田やらのデカイ経済圏があって更に京都や堺などの裕福な土地を抑えて更にデカくなれたのが多きいよね。武田は鈍いから仕方ないね。徳川が独立した後くらいに駿河取ってたらまた違ったかもしれんけど兎に角信玄は遅かった。
まあ国人の力を削いで武田の集権にするのに時間がかかりすぎたのがネック >>797
尾張美濃北伊勢支配でも
相当、優位だっただろうに
堺大津とか抑えた信長相手に
時間たてばたつほど不利だしね >>783
適当な事言うなよ
天皇とダチだった松平氏創建の寺は浄土宗だ
3代目松平信光創建
・信明光寺(1451年創建) 1479年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
・妙心寺(1461年創建) 1481年、後土御門天皇勅願所綸旨発給 地元の岡崎もこういうやって欲しいわ
一応家康の出身地なんだぞ……… >>795
本能寺はその時の教訓でどこも要塞みたいな寺になった。
信長が妙覚寺や本能寺に宿泊してたのは警備にもってこいだったから >>802
経済的にもともとジリ貧で金山頼み>武田氏
その金山もヤバイから早々に勝負に出たんだろうな武田信玄は。 >>797
内政というか、武田領は国人衆の力が強くて家臣の結束力は弱いし
石高は低くて生産性もない、あるのは甲州金山ぐらい(この存在が大きいけど)で
石高の大きい南に出るしか道がなかったのだけどね。
まあ、天下取りには近江辺りで信長に勝利しないといけないし勝利しても
浅井朝倉と折衝もしないといけない。
どうやっても途中であきらめて帰還するか京都で義昭にあってすぐに帰るぐらいじゃなかったかと >>771
尾張攻めに三万の兵がいるかよw
上洛目的以外ないだろ。 >>779
親鸞も藤原北家日野流の血筋じゃなかったか
子孫は皇室とも縁続き >>626
全部野戦と呼べると思うで。
この時代の戦いって拠点の近辺で起こるから
城攻めの要素が皆無ではないが
少なくとも城内での討ち死にではない
長尾能景 般若野の戦い
木沢長政 太平寺の戦い 野戦で敗れて退却中に討死
足利義明 第一次国府台合戦 逆上して単騎突撃→討死
三好実休 久米田の戦い 鉄砲で 但し自害説あり
宇都宮尚綱 喜連川五月坂の戦い 伏兵の矢で >>797
まあ土台無理ゲーだったんだけどね。
信虎代まで戦ばかりで信玄の治世でようやく落ち着いて内政も出来たが家臣の改革なども遅れてたからね。武田は今川同様の源氏の名門だけだから上洛するにしても規模落としたら 家各落とす事になるからどうしてもねぇ 三河押しの彼が戦国時代スレ等で貼るコピペは、他の文献やら歴史学者の説などで一度も見たことが無い
足利将軍家の本貫地はあくまでも下野国やら上野国
(´・ω・`) 今川で評価すべきは太原雪斎
コーエーゲーム最強スペック武将だってさ
家康の先生な >>801
だって穴山と小山田に最後に裏切られてるから掌握できなかったんだろ信玄でさえ
北信濃にこだわり過ぎて美濃に進出できなかったのが信玄の選択ミス。海欲しけりゃ
美濃に出ればいいのに >>808
生産力も信玄の晩年でようやく軌道に乗った様だしね。武田集権を晩年でようやく出来たが後を継がず義信をヌッコロしたからなぁ
義信が居たら武田は更に大きくなれたかもだが織田には降っただろうね >>804
家康の場合は生まれは岡崎でも育ちは静岡だから。
今で言えば地元は田舎でも育ったところは東京ならどうしても後者のほう
に愛着出てしまうでしょ。
家康も岡崎にはそんなに愛着無かった感じだしな。
>>808
農民兵主体なんで春先には帰らないと田植えに間に合わない
備中高松城攻めも田植えの時期だから毛利氏は早く和睦してぇと逃げ腰だった。
無論信長が高松城に到着しちゃうと滅亡確実になるからという焦りもあるが >>789
甲州攻めの後ゆったり
富士山みながら帰るとか
2代目が結果出してくれて
ホッとしてるというかちょっとした気のゆるみが出てきたのかも
個人的に信忠好きなんで評価されるのは嬉しい この500年の間、何度となく織田との戦いを思い出したぞ。
私の、ただ一度の敗北!ゴミのような織田に、今川が敗れたのだ!
500年の間この辱めに耐えてきた。
だが、今日でそれも終わる。
お前達を葬り去り、あの敗北が、武田の仕組んだ罠だったと証明し、
この僅かな傷をぬぐい去って、完全な復活を遂げるのだ! >>818
隠居して後継者育成しなかったもん信玄は。
義元、信長、氏康はみんな隠居して後継者育成を
一応やってたから。 >>818
信玄の後継者は弟の信繁だった形跡があるんだよな。
その意味で北信濃に拘って上杉と戦ったのは失敗だったと思う。
北信濃に手を出さなかったら川中島の合戦も起きず信繁は死ななかっただろうからね >>814
まあ、雪斎で町おこしはありかもな。
大河狙いも雪斎でならわかる。 >>815
小山田や穴山は武田と同格って意識が常にあったから信玄の治世では従ってたが武田家自体には服従してない訳よ。武田には穴山も小山田も譜代だから仕方ないね。板垣や甘利や飯富はなんとか消せたけど。 徳川家康が隠居所に使ってるくらいだから
子供の頃の待遇はそんなに悪くはなかったのだろう >>825
継いでるのは義信と思うよ。母親が三条夫人と家格が最強だったからね。
それに三条夫人はドラマイメージと違いみんなから尊敬される賢夫人だった >>813
知識のない奴はこれだから
三河でプータローしていた源義兼→源頼朝から足利荘を貰う→足利に移住する
足利氏は三河→下野だ
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→女→源頼朝
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、源義兼(初代源姓足利氏)を生む >>825
典厩が後継だったんだけどね。信虎の本意ではでもそれだとまた甲斐が内乱になるから
信繁が自重した感じがするんだよねぇ
北信に拘ったのは板垣や甘利などの力の強い国人や信繁などの派閥を消すことだと思ってます。 >>827
高坂が長篠敗北の責任で穴山粛清しろといったのを実行すべきだったな。粛清の大義名分だったしその時してれば
後々寝返りはなかった。
たしか信玄作った分国法も小山田や穴山の領地では適用除外だったんだろ? >>824
長男は自害
次男は盲目で出家
三男は早死
四男は側室腹で諏訪を継いでた
五男も側室腹で仁科を継いでた。
うん 滅ぶわな 静岡民は愛知から家康をパクってないで地元の英雄である今川義元を盛り上げろよ。
事大主義ばっかり。だから静岡はダメなんだよ。 >>828
土地勘ある場所だからでは?家康も駿府ではいやな目にもあってるわけだし
後年自分をいじめたヤツが捕虜になったを見つけて速攻処刑してるし 実は大河向けの素材だよね
変な幕末物や女性主人公ものより遥かに 最大の功績は人質の徳川家康に武将として教育して
織田信長に負けて東の脅威を無くした所だろ 歴史に詳しい人は
旅行が楽しくなるな
おれにはそれが無い(トホホ 初期の信長家臣団は、イケイケのどヤクザばかり。相手が悪かった。 >>832
そんなことを言っていたらみんなアフリカ出身になっちまうがなw >>819
史実の家康は、わりとあちこちで暮らしてるよね。人質と言う名の転勤族子女状態。
長じてからは、浜松にいた時期が長い。これも、岡崎を嫌ってというのではなく、
織田家の「従属的提携企業」みたいな微妙な地位(要するに属国)で、
東海道方面の統治(現実には武田対策の緩衝国)を担わされていたから。
この任務を果たすには、岡崎では西すぎて(織田家の本拠濃尾地域に近すぎて)都合が悪い。
静岡好きだったというのも、静岡市民の認知バイアスが多分にある気がする。
江戸初期に、殿様の隠居城作りが大流行するんだけど、最初の豊臣秀吉以外、
どの大名も、日較差の少ない海岸沿いを選んでいる。最上義光ですら日本海側沿岸部(鶴岡)に作った。
おそらくこれは脳卒中対策で、家康としては、領内で一番よく脳卒中対策になる土地が、駿府だったのだろうと思う。
(実際、沖縄を除く本土最強の温暖な土地ではある) >>834
そうそう。国分法も効かないから穴山や小山田なんかはやりたい放題だしね。
長篠で粛清なんてしたら自壊するだろうね
駿河を取った時に穴山や小山田も粛清しとけば良かったのだがいかんせん北条ともやりあわないといけんかったから仕方ないね。
勝頼に譜代を粛清なんてとても出来たとは
穴山や小山田もそうだが信豊も情けないというかね。 >>832
ぜひとも学会で発表して学者たちの賛同得てよ >>833
信虎追放時に信繁推してたのは信虎とそれに近い人だけでは?
それ以外は信玄についたところ見ると
>>835
諏訪の人ということで家臣からは引かれてたし、信玄も孫の信勝が
成人するまでの代わりという扱いのはず 何で岡崎って愛知県なの?
織田信長=愛知
徳川家康=静岡で覚えていたから
岡崎を静岡県って言って笑われた><; >>757
井伊「仙石さんは何言っても無理でしょwwww・・・俺もそろそろ井伊カッスwって話にならんかドキドキしてる。」
李信「中国で時代も違うけど、ワイもキングダム終了後の悪評が心配や。」 >>846
家康なんて人質とはいえるのか?って言うくらい優遇されてたしね。義元の従兄弟?娘?の瀬名と結婚したし 名前も一字貰って
元康って名乗ってるしね。かなりの厚遇っぷりだよね >>835
武田信玄の子孫は今も生きているよ。
盲目の二男の家系が今も存続している。 >>846
・江戸と京都の中間で京都の情報は江戸にいるよりも早い
・京都に行くのに近い土地
・江戸に行く大名はまず家康に挨拶に来る
・鷹狩りするのにうってつけ
と好都合だったんだろうな。江戸にいると京都からの
情報は3〜4日遅れるしな >>828
普通人質は大切に扱われるけど、厚遇されていても冷遇されていたとしても、
どちらの場合も駿府を隠居城にする可能性はあるんじゃね?
冷遇されていたなら、自分を冷遇した今川の本拠地を睥睨するのは復讐心を満たす行為でもある。
でも、もし雪斎に師事したというのが本当なら、かなりの厚遇ということになるけどな。
ただ、家康自身は駿府で丁重にあつかわれていたとしても、岡崎の家臣連中は屈辱的な環境だったと思うけど。 >>849
信繁が有能で操りにくかったから国人は少なかったんだろう。晴信は操り安かったのかもね。まぁ信玄が家督継いでからは国人に気を使いまくりで大変だったみたいだし。 信長ヲタは近づかないように
積年の恨み〜!とか罵声浴びるぞ 桶狭間の戦って豪雨をついて奇襲のイメージ、
実際は奇襲じゃなくて、真正面激突で寡兵が大軍に勝っちゃったのが実相らしいけど、
信長、どうしてかてたのかね? >>832
嘘付いたらダメだよ。。。
源頼信(河内源氏初代)−源頼義−源義家と伝領して来た上野国(元は摂関家の領地)を、
源義国(新田・足利の祖)が相続したのが始まりなんだが? >>853
たしか甲府市役所勤めだったか?
>>757
あれはどうみても仙石悪いだろ。よく長宗我部から命狙われなかったな。
秀吉がわざわざ「大隅をやるから息子の件こらえてちょ」と長宗我部元親に詫びを
入れるくらいの失策だったのに >>852
不思議に思うのは、お前の知識がないからだろ
家康は、三河出自たる今川氏の初代の血を引くから、準一門扱いされたに決まってんだろ
■今川記(1553年成立)
松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘
一色満範の娘の仮定する
源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
■熊野国造家 和田家系図
松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
家康とやらに源義家、源義国(源姓足利氏・新田氏の祖)、足利義兼(初代源姓足利氏)、一色公深(初代一色氏)、今川国氏(初代今川氏)、吉良長氏(初代吉良氏)、源為朝、安達盛長、足助重範、楠木正成の遺伝子イン >>853
次男は信長の信濃や甲斐進行で自害してその子供は出家して後々高家になるよ言うても綱吉の時だけどね。柳沢吉保の柳沢家は元々武田の家臣だった >>858
大軍と言っても帯陣したのが狭間で縦に長くなった。
オマケに義元のいる本陣と主力が離れて帯陣。
その情報を信長は得ていたから本陣だけを狙った。
まあ、情報を正確につかんだから。 >>856
義信事件もその国人のクーデター未遂だからな。
穴山とかも絡んでおきながら当主の弟が謎の自害をして幕退くとか
もうねぇ 家康が天下取ったからな、主家を裏切って信長と同盟組んだ、家康を正当化しなければならなかった。仕方ない罠 >>861
とりあえず下野国の梁田御厨をググるといいと思います >>858
桶狭間は狭くて当時ぬかるんでた。あとはわかるよね? >>858
豪雨で周辺の今川軍に気づかれず本陣に近づけた。
周辺の今川軍は豪雨で本陣襲撃されてることに気付かず。
本来は桶狭間山という見晴らしいいところに本陣構えてた
のにさ 功績は評価されてるだろ
信長に負けてそれで全て否定されたわけじゃない
信長に負けてどん底まで評価が落ちたのは朝倉くらいだろう
上っ面だけの人間だったってばれてw >>860
子どもがだいぶ前に、いいともに出演してた。
どっからどう見てもその辺にいる小学四年生男子ってところだった >>869
それは逃げて打ち取られた場所田楽狭間ってとこ、実際は桶狭間山という
山に本陣張ってた。 >>866
息子じゃないかい?まぁ飯富が主導ってなってるけど傅役が謀反に加担とかありえんくらいだわな。穴山にしたら武田の力を極力さきたかったんだろうね >>819
今川の呪縛から解き放れた家康は真っ先に故郷岡崎に帰還し独立再起をはたしたんだ。
三河統一から信長との同盟、信長は東に家康は西に睨みを効かせる鉄壁の同盟。岡崎城と大樹寺見においでよ。家康の命を救った大樹寺の正門から岡崎城はっきり見える。徳川全将軍の身長と同じ高さの位牌もある。日本で唯一八丁味噌の蔵も城近くの八丁町に二店舗だけあるから。 >>871
朝倉からしたら織田は元々家の格が違うからね。織田は元々越前の神社の神官の出だからね >>858
義元の陣の正確な場所は現在もいろいろな説があるけど
「信長公記」によると「おけはざま山」という周りよりも高いところにあったっぽいんだよな
低い場所から高地の敵に向かって強襲突撃した話になってる >>828
人質自体は誰かに仕える立場の武士なら誰もが経験する可能性があることだし
本来はそれ自体は特段良いも悪いも無い事だよな インターネット初期の雄の企業は、いくつも敗れ去った >>854
それだけなら、浜松でも岡崎でも清洲でも、どこでもよかったと思うんだよ。
むしろ駿府だと、中山道に全く手が届かない。静岡ほど「日本海側から遠い」地域もない。
まつを人質に取っているとはいえ、駿府からでは北陸に君臨する前田の監視は不可能に近い。
むしろ、東海道と中山道がある程度ルート収束する濃尾平野に隠居城を設けて、
近畿以西から江戸へ向かう大名を、全員直接監視するという方法もあった。
でも、実質駿府城下の拡大版(ほぼ3倍)として作られた名古屋城にも、「妾の子」を入れただけだった。
理由は?といえば、おそらく気候なんだろうと思う。名古屋や岡崎は伊吹おろしで寒い。
豊臣を滅ぼすまでは、脳卒中なんかにかかるわけにはいかなかった。 >>868
チミは俺と論争するレベルの知識がないわ
悪いがスルーだ >>873
そうだったんだ 教えてくれてありがとう >>858
今川側のミスがよくよくわかってないかな。
岐阜県とも揉めていた中で織田が最善を尽くしてたのは事実なんだけど。 >>874
息子は巻き込まれた側。
親駿河派の穴山氏主導のクーデター未遂事件。 >>853
大丈夫な人なのかよw
武田アンリとかいう信玄の子孫を名乗るモデルがいて嘘がバレただろ。
まあ、姫たちはいきのこったからな。
家康は武田家の家臣が好きで召しかかえたしな。
八王子千人同心だっけか?
松姫も八王子に移り住んだんだよね。
おんな風林火山で鈴木保奈美が松姫を演じてラストに松姫幼稚園が出た。 _
,滋賀.すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ(フライボード・パドル・カヌー)
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. 復権て言われても何するんだよw
とりあえず、戦国モノのアニメやゲームでマロ設定禁止させるぐらいしか思いつかないが >>875
徳川家は
位牌ー岡崎の大樹寺
菩提寺ー寛永寺と増上寺
と分割したんでは?本貫地の岡崎には位牌だけ設置
>>881
それあるかもね。 今川義元が、家康を岡崎に帰さなかった割に一門扱いしてたのは、国人領主を領地から切り離して、家臣化する過程だったとも思えるんだよな
兵農分離を推し進めてたのかね
その財源として熱田経済圏から、伊勢湾支配を目指しての尾張遠征だったと捕らえれば、あの力の入れようも分かる
上洛?無いわ 死に様が無様すぎるからな。
国内の統治が如何に素晴らしくても、武将である以上は実戦での戦い方が全てを決する。
評価は永遠に覆らないよ。
信長の肥やし。 今川義元って少なくとも大河ドラマじゃ
殆ど悪役的扱いだモンな・・・ >>885
穴山信君の弟が自害した方ね。穴山もかかわったけど信君の弟が自害するから許されたって事じゃないかい?飯富も甥か弟かの昌景が
武田の親類の山縣になったからね 江戸時代の大名も江戸生まれ江戸育ちが多いから、領国が好きではない大名も多かったようだな。
江戸屋敷では他の大名や幕府の手前、体面を保った贅沢な暮らしをしているけど、領国に帰ったら、
領民の手前もあって質素な生活をすることになるから。 >>896
そこだよな
まず、義元がすげぇ奴って前提があるからこそ信長の勝利が輝くのに >>887
甘利先生なんか私の先祖は甘利虎泰とか平気で言っちゃっていたからな >>882
梁田御厨をググった?ググってない?
逃げるが勝ちって言うもんねw
三河さん逃亡しましたw 創造パラメーターは 統率93 武力67 知力87 政治98か。
「小早川隆景、直江兼続、最上義光、下間頼廉、鍋島直茂より総合評価低いのはおかしい」とKOEIにメール入れる運動とか? >>892
光秀は織田に使える前の前半戦は不明だしね
天海も芦名の出とされてるけど分からんからね 光秀も知識人でエリートだし 天海も足利学校も出たり川中島の合戦見てたとかいうわれてるからね 義元は桶狭間の敗戦しか知られてないからな。
小豆坂の戦いとかみんな知らないもんな。 みなさん、三河さんが現れたら「下野国 梁田御厨をググれ」でOKです
(´・ω・`) 桶狭間の戦いは現在でも経過に不明な点が多い
義元当人もどうして負けたのか訳がわからんまま討ち取られたのでは 信長の野望で蒲生氏郷のパラメーターは高すぎると思う >>893
あの女は松姫をいじめていたし裏切り者の穴山の嫁じゃ。岡田奈々が演じていた。
それより伊藤かずえが演じた菊姫=上杉景勝嫁が良かったな。 そこそこの武将だったみたいだけど油断して負けるとかやっぱダメだわ >>907
「海道一の弓取り」とまで言われてるのに
大半の人のイメージは麿呂なんだよなあ 会津かよ
先祖の恨みは忘れろ
大戦中は官軍も幕軍も同じ隊で戦ったんだぞ >>1
市長もゆとり脳なのかw
生きるか死ぬかの時にもう一度とかあほだろ
静岡って市長も県知事も池沼かよ >>839
秀忠の隠し子を武田の跡取りにしようとしたけど江に見つかり元武田家臣の保科の養子にだしたりとか、何かと武田の再興を目指してたよね 信長が凄すぎただけで、義元が生きてる間は、信玄も北条氏康も手も足も出ず。
家康はただの家臣。 世の中にはいい加減な奴がいてな。
うちの遠縁に大久保姓がいるんだけど、ルーツを調べたけど分からんかったが、墓に家紋入れたいとか言いだし、大久保彦左衛門の家紋を入れちまったわw
たぶん、先祖は大久保彦左衛門だと吹聴しているw >>914
誰があんな麻呂キャラにしたのやら
海道一の弓取は徳川だけとか思ってる奴が
居たんだろうねw だから過去の恨みは忘れろって
山口出身の上司が着任してきたから
長州の下に付けるかボケ!と飲み屋で陰口を叩き
あっさり地方に飛ばされた俺が言うんだから間違いない >>906
天海は年齢的に秀満のほうがあり得るってどこかで見た >>919
信長は元々チートからスタートでしたよ?
熱田やらの湊持ってたし尾張統一前にも朝廷に献上品送れるくらいの経済力 復権・再評価が必要なのは井伊直弼だよ。
日本を開国させ近代化に導いた最大の功労者なのに、
いまだに真逆の評価をされてる。
NHKは「女城主」じゃなくて井伊大老を再び大河化すべきだった。 >>921
そらお歯黒とか太って馬に乗れなかったとかのエピソードあるからなあ
ほんとかどうかは知らんけど >>915
戦争起こしたのが官軍だし、
そいつらみたいなのがいつも「外国が攻めてくるぅ〜宇宙人が攻めてくるぅ〜」
とわめいて軍拡し増税するんだろ!
ナチやらスターリンそっくりだろ???www! >>923
秀満説もあるけど2人で天海って名乗ってた説もあるよね 光秀と秀満の2人でね 海道一の弓取りと言われたのもどうせ雪斎爺のおかげだろ
義元が有能なら爺死んだ後あそこまで無様にならんわ 大軍を動員しておいてあっさり打ち取られればあほの誹りは免れない >>924
どうも、叩きあげの人ってイメージが世間では強いらしい。
現代で言えば、そこそこ大きな会社を親から継いだ天才ボンボンだと俺は思うんだけどね。 死んだら負け
信長も死んだわけだが、全国制覇一歩手前まで色んなこと成し遂げたからな >>935
まあ本来なら家督は継げない位置に居たけど
兄が次々に亡くなって家督相続できたし
家督を継ぐまでは読書しまくりだったりだしねぇ >>921
20年ぐらい昔に読んだ歴史漫画の時点で麻呂だったなあ 信長が運だけで大したことないならそれに負けた三好六角毛利浅井朝倉武田今川、
間接的にこれらと戦い苦戦した上杉北条とか皆、運だけのアホに劣る事になるがそれでいいのかオイ >>938
俺がガキの頃に出たゲームの信長の野望戦国群雄伝でも公家風だったからねぇ * *
* + 麿呂です
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y * >>922
その長州は270年間もの間、
関ケ原の敗北を引きずり徳川幕府を恨み続けた。
幕末に外国武器商人と組んで内乱を起こしたのは、
関ヶ原の恨みを晴らすためだったと言われてる。 >>938
1988年かな?の大河ドラマでも麻呂だった 政治家として偉大だったよな
雪斎亡きあとの軍事面を任せられる人物を得ていれば、あるいは 信玄にしても義元にしてもそうだが、上洛すればクリアであるかのように上洛が
強調されすぎだよな。
その間の地域をすべて支配下に収めないで上洛したって、京都と本国の間を分断
されて終了。そんなことがわからないほどアホなわけがない。
尾張侵攻は尾張侵攻そのものが目的だったに決まってるわ。 >>940
いうても六角やら三好とかは下り坂で全盛期とは違うからね。浅井や朝倉も金ヶ崎でやれば勝てたけどひよったからしゃーない
毛利も吉川と小早川も一枚岩ではなかった
信長がそれらに侵攻してた時はどれも最盛期は過ぎてたから勝てたと思ってます >>943
毛利が徳川恨むのは妥当。関ヶ原のときは特に兵も出さず
大坂城に篭城もできたが徳川の5カ国安堵を信用したら防長の二国に
減封されたからな。恨んで当然 新田次郎の武田信玄だと最晩年に麻呂化してたがそれまでは普通だった
大河ドラマだと終始麻呂 >>947
そうでもない
武田や今川は名門だから
京を獲れば意外とすんなりいったかも
信長や秀吉だとちょっと 谷原章介がやってビジュアル的ににも評価上がったのに春風亭昇太がやってまた・・・・・ >>894
そうそう。信長も光秀に対してやったし、秀吉も家康に対してやったよね。
住民自治がおきることや原住民がなつくことを恐れ、定期的に移動させる。
つまり、「中央集権こそがいけない、大事なのは住民自治」って自分で認めてるのに。言っていることが矛盾だらけ。
今も東京へ一極集中させるのはこういうわけだし。
日本って、住民が力をつけないように独裁者や権力者が常に気を使う国だよね。 >>947
その辺をすり替えてる人が多いですな
普通に尾張は持ってるとかなり優位に立てるし経済力も飛び抜けるから天下に近くなると思って 上洛=尾張を取るって思ってる人が多いんじゃないかい? >>924
>>935
単なる弱小勢力ではないわな。だが、少なくとも親の代には義元にボロ負けして三河から完全に追い出されている。
武田はともかく、織田、北条はそれなりの勢力だが、信長以外は手も足も出ていない。 >>1
何言ってるのかちょっとわからない。
京都人からドン引きされるような。
推し方練り直したほうがいいような。 今川焼の名称が定着したのは、
判官びいきな江戸っ子が今川義元を評価してたから。
武田や上杉と比べると格落ちだけど、
今川の評価はそんなに低くないはず。 >>927
籠に載るのは、当時の偉い人が普通にやってたからじゃなかった?
桶狭間では、ちゃんと刀をふるって、敵を倒してるぞ、
死んじゃうけど。
あと、一応、花倉の乱で、兄弟と今川当主の座を争って、
今川家を継いでいるし、
還俗する前の坊主時代も優秀だとかなんとか……。
甫庵の信長記ではどんな扱いだったっけ? 無双の扱いは悪意があるとしか思えんし
公家が蹴鞠しかしてねーのかと言う浅い知識な人がいないとわかるね 武田は自称名門。本当は素行が悪くて左遷々々を繰り返してた家柄。
茨城から山梨に左遷された所で、金山を掘り当てて成り上がっただけ。
そこで満足していれば、決して潰されることはなかったろう。
どうせ金山はいずれ尽きる。
他国にとっては永続する脅威ではない。
その勢力が最大の時に、周囲の勢力と手を切り、上洛などを目指して、全てを敵に回したのが武田信玄。
武田を滅ぼしたのは、誰がどう見ても信玄です。 >>947
ぞもそもの話、戦国大名が天下統一を目指していたと考えるのが間違いだと思う >>964
自称じゃなくて佐竹と同じ源氏の名門でっせ?悪さして甲斐に流されたけどそこでも
ドンパチしててある意味見捨てられた様なもんよ とりあえず、少数で京都に遊びに……じゃない、
上洛している上杉輝虎さん。
「上洛なんて、簡単ですわ」 >>846
静岡市(駿府)にいた年数が一番多い。
徳川家康は
8〜19歳の12年、45〜50歳の4年、66〜75歳の10年の
通算26年を静岡市(駿府)で過ごしている。
元服や一番最初の結婚も静岡市(駿府)で経験している。 >>969
子供の頃から信長の野望にハマってから興味でてからだからなぁまあ小学生から日本史と言うか戦国時代の時のテストは点数良かったからね >>965
将軍を補佐して力を強くするためだろ。
その意味での上洛。
義輝の時代、足利将軍家は傾きに傾いていたからな。 >>943
知ってるよ!
うちだって最後に勝ったのは壇之浦だ
だが負けても負けてもそのつど勝った奴にゴメンナサイゴメンナサイして
ぬらくら付きまとって生きてりゃどうにかなるんだよ!
仲良くやれバカヤロー いや義元は有能だろ
たまたま信長にやられただけで
もし信長が義元にやられてたら信長の居ない歴史が作られただけで、結局秀吉やら家康はどっかで歴史の表舞台に出てきそうではある
かれらはしたたかだから、信長配下の秀吉や、秀吉配下の家康が主君の死後に権力簒奪したように、
たとえ義元配下として歴史に登場してもやはり義元の死後に台頭してきただろう >>968
その遊びで家臣が怒って謀反起こしましたわw >>935
信長は最初から後継者と確定してた訳じゃないし
尾張統一までの道のりはボンボンじゃ出来ない事だと思う
義元も跡目争いしてるんだよね 晩年自ら住んでるから家康は三河より駿府の方が好きだったんだろうなw 戦国時代当時の尾張国は熱田神宮の力も強かったけれども、津島神社の門前町もかなり商業が盛んでここを拠点にしてたのが織田弾正忠家
織田信長の祖父の代から津島神社の門前町の利権を手にし、領地は少なかった織田弾正忠家に莫大な富と最新の情報をもたらした
この家の子と、旧態依然とした今川家の御曹司とでは戦い方が違ってくるよね >>194
寿桂尼は風林火山でも本当に女傑という感じで良かった >>984
やっぱ織田家じたいが神社の出だからネットワークがあったのかなぁ?
尾張に来て土着するのはどんな経緯だったんだろうね 致命的な敗北した時点でたった一度もくそもないんだよなぁ・・・ 社会人はたった一度の失敗で立場も名誉も全て失うんだよ
だから慎重に生きなきゃいけない >>987
神社の神官の出だからね、いろいろと津島神社にもシンパシーを感じたかもね
織田本家自体は尾張国守護の斯波氏の守護代として越前国から来てる
織田弾正忠家は織田本家の分家 最近の信長の野望じゃ既に復権してるやろ
能力値は北条氏康に次ぐ
息子の氏真でさえ政治力は80以上になってる >>987
かなりざっくりだと、織田は尾張守護の斯波さん所の部下だから、
越前を朝倉に獲られたんで、斯波さんと一緒に尾張に来ました。
ちなみに朝倉さんも元斯波さんの部下。 >>862
戦国くわしくないもんで、昔テレビをみてたら、山頂に正面攻撃して不思議な勝ち、みたいな解説だったの覚えてる
>>865
>>869
>>870
>>878
詳しい話感謝 >>993
津島神社の天王祭は地方の祭りなのに半端ないよ 敵地侵攻して相手にクビ奪われるクズは戦国時代において最低の結果であり最低の采配
それを覆すつもりはこれっぽっちもないな
バカだよこいつ 桶狭間の敗北から掛川城明け渡しまで強国に包囲されても兎も角9年間今川氏真頑張った。戦国大名の多くが滅亡するなか徳川幕府でも高家として恵まれた待遇で幕末まで存続できた。 このスレッドは1000を超えました。
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